昨日、マスクして町を歩いていたら、長い直線道路の向こうの方から、下向き加減で歩いてくる人物が目に入った。近づいてくると、多少オーラのある人物のように見えた。すれ違う寸前…彼の方から声をかけてきた。 “こんにちは、久しぶりです。” 見ると、近くの専門学校の学校長である。 “お元気そうですね!”と、続けてきた。 えっ…私は今…インフルエンザにかかっているんですが…とも言えず、笑いながら… “元気ありませんよ…。”と、言った。 彼はすれ違いざま“まぁーまぁーまぁー…”と言って通り過ぎた。 インフルエンザで町を歩いている私も、どうかと思うが、病気の私よりも、心配ごとがあるように見える歩き方の、校長の姿も問題だ。 思い過ごしかも知れないが、彼が今の悩みから、上手く抜け出せるように祈っておこう…。 私も…人前に出ないで、完治するまで、もっと大人しくしておこう。 |
先日、居留地時代のことで調べたいことがあり、アメリカ合衆国大阪領事館に電話した。例によって、録音テープのアナウンスで日本語と英語のどちらで聞くかの選択があり、日本語を選択して、以後数回、質問の答えをプッシュした。しばらくして人間の肉声にたどり着いたが、そこでも英語でしゃべりかけられた。日本語で話すように頼んでから質問をはじめた。 ところが、どうも“居留地”と言う言葉が通じない。私にすれば、皆が知っていて当たり前のことなのだが…ここではたと気が付いた。アメリカ領事館だからという訳ではなく、居留地という言葉の意味は一般的ではないのだ。 居留地のあった町で育った私と、そうでない人とでは認識に大きな違いがあるのだろう。そこで英語も交えて時間をかけて説明した後、数分待たされ返ってきた答えは、あっさりと“現在資料庫の改装中で電話での答えができません。ウェブで問い合わせてください。”で、あった。 電話を切って言われるままに、ホームページから問合せしようとしたが、そのページが見つからない。仕方なく領事のフェイスブックのメッセ―ジ欄に日本語でメッセージを送ってみた。あれから1週間近く経つが音沙汰なしである。英語で質問するべきだったろうか?問題外と無視されたのだろうか?それとも、忙しくて誰の目にも入っていないのだろうか? ともかく、もうしばらく待つことにしよう。 35年前にも領事館に電話して、数日後に領事館を訪ねたことがあったが、ウェブの時代に変わり、問合せ数も格段に増えて、きっと回答に手が回らないのに違いない。 私は、アナログの時代のほうが好きやな…、YesもNoも、なんだかもっとはっきりしていたように思うんだが…。 と…言いながら、今日にでも返事があれば、すぐに前言を翻す私である。 |
辛い事や、楽しいことを、いっぱい経験して、“いい、お顔ですね!”と、言われる人生を送りたいな…。 |
英語の先生が話してくれた。 昔、アメリカのお母さんがdough(パン生地)をこねてパンを作ろうとしていた。すると…、横で見ていた子供が、いたずらしてスプーンで真ん中をくり抜いた。そのまま焼いたら真ん中に穴が開いたパンができ、食べたら結構美味しかったので、以後その形で作られるパンのことを、形がナット(ボルトとナットの…)に似ているパンということで、doughのnutでdonutと、呼ばれるようになったと言う話だ。 本当かな? 本当かも知れんな…。 おもしろいな。 |
昨日、私の年齢の半分くらいの青年に、仕事上のことで愚痴を話した。彼は目をそらさず私の話に相槌を打った。ちょうど愚痴も底を尽きかけた頃…、 彼から“他の話に話題を変えませんか?”と、言ってきた。 私が“どうしたんだい?”と聞き返したら、“他人に対する怒りや愚痴は、思ったり話したりする人の人生を捉えて、いつまでも虜にするからです。”と、答えてきた。 私は、彼に一本取られた…と、思った。きっと、彼の考えは経験から生まれたのではないだろう。人生を歩むうえで、とても重要な本に出会ったか、師と思える人に出会えたのだろう。 彼のこれからの人としての成長を見守りたい。 それにしても、私自身…未熟であると思い知った。 |