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SOLILOQUY

ひとりごと

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October 05, 2012 14:17:04

寄付

カテゴリー: 日記
私が氏神様に決めているその神社は、町中だが入口が細い路地に面しているので参拝客がそれほど多くない。私は、営業的ではない、その神社のつつましやかな宮司様と奥様が好きである。
ご長男は、町で一番大きな神社(営業に長けている)の神官として働きに出ている。おそらく父親が年をとれば後を継ぐのだろう。私とは面識のない長男は昨年結婚し、その奥さんが父親の神社へ手伝いに来るようになった。

この季節になると、毎年神社の奥さんが秋祭りの寄付金を集めにやってくる。今朝も、長男の奥さんを伴いやって来た。きっと若奥さんも義母の仕事を継ぐことになるのだろう。

ビルの1階で奥さんから“申し訳ないですが、秋祭りの寄付金を集めにきました。”と、声をかけられた。
“えーっ、どうして、申し訳ないのですか?”と聞き返した。
“どこへ行っても、みんさん…不景気や!不景気や! 言いはるから、悪いなーと、思って…。”と、おっしゃった。

神社の秋祭りの寄付と言えば、神様へのお供えみたいなものなのに、きっと多くの人が奥さんに愚痴を言い、前回より寄付の額を減らしたりしているに違いない。神様の仕事をしている人に肩身の狭い思いさせるのはいかがなものだろう。そんな人には神様のご利益はあたらないような気がするのだが…。

頭を下げながら集金してまわる義母の姿を、若奥さんはどのように見ているのだろう…?
若奥さんが、笑顔で集金できる世の中が、はやくやってくればいいのになぁーと、思った。
October 04, 2012 16:19:59

意欲

カテゴリー: 日記
昨日、スポーツクラブのスイミングデビューを果たし、クロール教室でおじさんやおばさんに交じってレッスンを受けた。7人の生徒のうち5人は以前からのレッスン常連者のようで、かなり泳げる人達だ。初めて参加のおばさんは、私とさして変わらない水泳初心者だ。
泳げない二人は他の常連者とは別の基礎練習のメニューが組まれた。先ず呼吸ができない。体が硬くて沈む。従ってバタ足をしても進まない…思っていたより自分が泳げないことがよく分かった。小学生の頃には重度の喘息で水泳の時間を見学で終えた私は、これまで見よう見まねで泳いでいるふりをしていたが、ここにきて心から泳げないことを思い知った。

自分のレベルをはっきり自覚でき、おじさんおばさん(私もおじさんなのだが…)に負けて悔しい思いがあるので、今…絶対上手くなるという自信が湧いている。
幸い、レッスン後には筋肉疲労は全くなく(日頃のトレーニングのおかげだと思う。)心地良い疲労と、やる気だけが残っている。これなら続けられそうだ。

予定通り、年内に私のコンプレックスの一つを解消できそうだ。


今朝、会社へ来る時…曇りだと言うのに木々の間から遠く大阪の山並みがくっきり見えた。こんな時のいつもパターンで錨山の駐車場に車を止め、崖に面した道を抜けて展望台を目指した。
素晴らしい写真日和とは言えないが、そこそこの写真が撮れたので紹介しておこうと思う。

私の町はきれいな町だと思う。
October 03, 2012 15:18:48

馬鹿

カテゴリー: 日記
他人が考えた答えが

安易に転がっている世の中だ

少しは、自分で歩いて…探して…もがいて…選別して

自分で考えてみないとな…

痛い目にあう前に
October 02, 2012 13:24:22

鹿肉

カテゴリー: 日記
台風の日の夜、家にあったバローロ(イタリアの赤ワイン)を抱え馴染のイタリア料理レストランに行った。店はノーゲストで、しかもシェフ一人だけしかいなかった。スタッフには嵐で休みをとらせたらしい。
私が電話したから開けてくれたのかと尋ねると、8時半から予約が入っているから…とのこと…、もし他の客が来なかったら、閉めたいのに閉められない…、やっかいな客になったかもしれないと心配していたから、一安心した。

早速、店のスパークリングを1本空けるから、ワインを持ち込みさせてくれと頼み、了解を得て酒盛りが始まった。

しばらくすると、客がパラパラと入り出した。とうとうシェフ一人では料理が追いつかなくなり、テーブルが空いているのに新たな客を断りはじめた。

予約客がやってきた頃、私たちは店を出て家路についた。
彼にとって、私たちは有難い客になったようだ。ひょっとすると普段よりも売り上げが上がったかも知れない。
きっと、彼も、嵐が幸せを運んだ一人に違いない。

この日、まだ9月だったが、害獣駆除で特別に手に入ったものだと説明を受けた鹿肉を最後に注文した。(ほとんどの地域では狩猟解禁は10 月からである。)
鹿肉とバローロは素晴らしくマッチしていた。

私の幸せな時間は、夜中まで続いた。
October 01, 2012 13:43:34

台風

カテゴリー: 日記
昨日の強風吹き荒れるさなか、私は前々日の29日から市立博物館で始まったばかりの“マウリッツハイス美術館展”に足を向けた。駅から歩いて10分ほどの近距離だが、傘をさせる状態ではなく、友人と二人で駅からタクシーに乗りこんだ。
車を下りて博物館までの数メートル歩く間に体が飛ばされそうな強風である。
昔は石造りの銀行として使用されていた重厚な建物のなかに入ると屋外とは正反対の緊張感のある静けさがあった。

そもそも今人気画家フェルメールの“真珠の首飾りの少女(青いターバンの少女)”がポスターになっている展覧会の2日目で祭日だから、天気が良ければ長蛇の列が予想されるのだが、さすがに多くのフェルメールファンは嵐で外出を控えたのだろう…チケット売場に列はなかった。それどころか“青いターバンの少女”のために充てられた大きな一部屋にも、ほとんど人がおらず、好きなだけ立ち止まって鑑賞できたのだ。

オランダのマウリッツハイス美術館に行ったことのある人といっしょに行動していたが、彼女の話ではオランダでもこんなにゆったり観ることができなかったそうだ。

まさに嵐が運んだ奇跡である。
しかし、並ばずに済んだことで有難さが半減したような気もするが…。

私は、レンブラントが大好きである。展覧会にはレンブラントの自画像他数点が展示されていた。若い頃にレンブラントの絵を訪ねて欧米の美術館を巡った日々を思い出した。あの当時に感じた心の高揚はもうないけれど、筆のタッチを思い切り堪能できた。

博物館を出て、すぐ前にある居留地時代に作られ建物のなかのカフェでお茶して外に出た時には、すっかり嵐はおさまっていた。

私に素敵な時間をくれた嵐に感謝するととともに、嵐で被害に合われた方々にお見舞い申し上げたい。
この日、嵐は思いもよらぬ様々な影響をまき散らして通り過ぎたに違いない。
私も生きていることで、周囲の人に良い影響を与えられたらいいのだが…。そうはいかん時もあるんだろうなーっ。
September 30, 2012 13:54:00

宝物

カテゴリー: 日記
私の家には、それほど多くないが…、なんでも鑑定団に持っていくと希望額に一桁足らない金額を提示されそうなお宝がいくつかある。警察に届けていない刀や書画や茶道具等である。父が9年前に逝って、品の謂れを聞いていなかったから、其々何故手元に残っているのか理由が分からない。
おそらく祖父母が集めたものだと思うのだが、今では誰もその価値が分からない。

以前家の建て替えで、引っ越しするときに、父は少し身軽になろうと思い、骨董屋をよんで値踏みをしてもらった。なかにはそこそこの値段のついたものもあったが、ほとんどの品は掛け軸1本が500円とか言われ、それなら誰かにあげたほうが、まだましだと…結局処分し損ね多くの品が残って、捨てるに捨てられずにいる。

結局、自分に興味のない…また品物の謂れの分からないものは、なんの価値もないのだと思う。
つくづく、父が存命のうちに、いろいろ話を聞いておくべきだったと、今になって思う。

私自身にも宝物があって…、その一つはスウェーデンの作家が作ったガラス作品である。ただそれは、震災で粉々に割れてしまい、今から考えれば雑なことをしたと少し悔やまれるのだが…。破片を拾い集め自分でガラス専用接着材を買ってきて復元したサンドブラストの装飾の入ったガラスボウルだ。
こうなっては、どこに出してもガラクタ扱いに違いないのだが…、バブルの終わりかけた頃、東京の麻布工芸美術館に展示されていた作品を、作家に勧められて買い求めたもので、その時の思い出が詰まっいて、私にとっては大切な品となったのである。

さて、私が死んだら息子は、割れたガラスをどうするだろう?
どうでもしてくれ!
謂れを教えても、どうせ割れたガラスやしな…。

私が生きている間の、私だけの宝物でいい。捨ててもいいよ…と、今のうちに言っておこう。
宝物って、そんなもんでいいと思う。
September 29, 2012 14:31:30

余命

カテゴリー: 日記
最近私は、よく“幸せそうだね。”と言われる。
確かに私の人生でなかで、今が一番幸せに違いない。

若い時からのコンプレックスを解消するため、今…多くの時間を費やしている。何年も行ったことのなかった美術館や映画館や温泉や海外旅行に頻繁に出かけるようになり、精神状態が安定している。

これも、6年前に突然大動脈が避け緊急手術をしたおかげに違いない。
ストレスは、人生を変えてしまうことを知った。
どんなに頑張っても倒れたら人生終わり…。すべてのものは一瞬にして崩れ去るということを知った。

入院するまでの数年間、道を歩いていて声をかけられないほど暗かったと言われた。その時には自分でストレスをコントロールできなかったから、溜まりに溜まって爆発したんだ。

もう少し生きてもいいんだ…と声が聞こえ、私は何者かに生かされていると感じた。そして、この世のすべ八百万の神に感謝するようになった。

今、もう少し生きていたいと思う。
まだ、この人生を楽しんでいたいと願う。
そう感じるようになると、もう人生終わってもいいよ…と声が聞こえるような気がする。

自分が、幸せだと、もっとみんなに伝えたい。
あなたは、幸せをそうだと、もっとみんなに言われたい。

これから先も、なにが起こるか分からない…と、肝に銘じて生きるから、もう少し生きていたい。
September 28, 2012 12:11:11

嫌味

カテゴリー: 日記
私が他人に対して手を差し伸べた時に、私が黙っていると…、そのことが当たり前のように何も言わずに通り過ぎる人がいる。気が付いていないのか、気が付いているけれど敢えて礼を言うのが面映ゆいのか、それともそれくらい当たり前だと思っているのか、いろいろあるだろうが…。

最近、私は黙っている人に対して、自分から手を差し伸べたと言う話題を敢えて持ちかけることにしている。
人生経験上、嫌味なく、しつこくなく…である。

黙って通り過ぎることは、決してそのひとのためにプラスにはならない…と、最近強く感じる。

人間というものは、思いを主張するだけでなく他人の思いを察し、感謝や謝罪の気持ちを、適当な表現方法で伝えなければならない生き物だ。
そのことに慣れていない人には、その人のためだと思って、少し時間を費やし考える時間をあげたほうが良い。

感謝や謝罪の気持ちがスムースにできれば、その人の人生を周囲の人が応援してくれる。

もう一度言うが、嫌味なく、しつこくなく…である。
しかし、よく考えてみると人生経験がなければ、やはり難しいかも知れない。
他人はあなたの気持ちを、そこまで察してくれないかもしれない。
今日の話を、あなたにおすすめすることは、止めておく。
September 27, 2012 14:56:11

墓碑

カテゴリー: 日記
昨日触れた湖の近くにある外人墓地は、生まれ故郷を離れ極東の港町で一生を終えた外国人が葬られた墓地であるが、もちろん多くの外国人が母国に戻って余生を送った。

我が町の居留地の設計者(区画・道路・設備等)で知られるJ.W.Hart氏は極東で優れた仕事を残して英国に帰った。
私の友人の歴史研究家のこの度の英国調査旅行の目的の一つにHart氏の墓碑を訪ねることにあった。
歴史研究家にとって、墓碑に刻まれた文字は亡くなった人の事実を語る重要な資料となる。これまでに私は研究家と共に横浜・長崎・神戸の外人墓地を訪ねたことがある。


歴史研究家は、調査の報告と題して、ロンドン郊外のハムステッド墓地の画像を送ってきた。あなたが墓地の写真に興味があるかどうか分からないが、ご紹介しておくことにする。おそらくあなたは、J.W.Hart氏の現在の墓碑の状態を知る世界中の数人のうちの一人になるだろう。

研究家は墓守といっしょに藪の中に傷だらけになりながら分け入って、やっとのことで見つけたそうだ。
研究家は発見の状況をこう語った。

彼、彼の夫人と息子さんの3人分の墓碑ですが、碑銘はもはや判読不能。
埋葬記録によると、
John William Hart 1900年12月8日没 63歳
住所:26, Russell Road, Kensington, London

研究家は、最後に一言メッセージを添えていた。

我が町で骨を埋めた人々。母国に帰った人々。
こと墓に限れば、我が町で亡くなった人々が一番幸せです。
(貴人と軍人の場合を除いて)修法ケ原ほど丁寧に維持されている外国人墓地は、他にありません。

訳あって我が町で一生を終えた異国の人達、訳あって母国に戻った異国の人達…
その御霊の安らかならんことを…。
September 26, 2012 21:37:47

静湖

カテゴリー: 日記
誰にでもあるのだろうけど、私にも好きな場所がある。
そのうちの一つが会社への行き帰りの途中にある、国内で最も管理状態の良い外人墓地である。
その近くに湖があり、小学生の頃には何度か校外活動で連れて行かれ、また休みの日に友達といっしょに裏山から獣道を通って山中の公園を目指した。成人してからも何度か女性と二人で訪れたものだ。


数十年前に新幹線のトンネル工事のため近隣山中の地下水脈が影響を受け、附近一帯の池や湖が干上がったことがあった。その湖も例にもれず、枯渇した湖に訪れる人が減少し、貸しボート場が閉鎖された。それでもヒッチハイカーやオゾンを求める都会人を癒してくれる食堂が一軒営業を続けていたが、主人が年老いたためか昨秋店を閉め、今年も一度も扉の開くことなく秋を迎えた。



昨日、湖を訪ねると、楽器の練習をする若者や犬の散歩に来た年配の人達の姿があった。私やその人達にとっては、贅沢な空間だと言えないこともないが、もう少し、このオゾン溢れる湖が賑わってほしい。そうしたら食堂も復活するに違いない…と、思った。
もう一度、湖に向かう2階の窓越しに、おばあちゃんの作る普通のきつねうどんが食べてみたい。


みんな自分の好きな場所は秘密にするのだろうか?


今年は例年になく湖には水が満ちていた。
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