世界は一神教のもとで、数千年に渡る宗教的対立を続け、多くの血を流してきた。どうしてそのような神に人々はついていくのだろう? “イスラム国”と、対立するもの、そして“エクソダス”を観てそう思った。 私は無宗教だけれど、感謝の気持ちは持っている。それだけでいいではないか…と叫びたい。 世界から宗教対立による殺戮を失くすためには世界中の人々が日本神道に改宗すれば良いと言った欧米の宗教学者がいると言うが…、この時機、やけにその通りだと思えてくる。 世界から殺戮と言う文字がなくなるように…。 |
私達の活動の取材をお願いするためにテレビ局の記者に電話した。 一昨年ある番組で取材を受けた時に出会ったその記者は、電話の向こうで気の乗らない様子で対応し、メールで資料を送るように言った。 10分間の面談もできないと言うのだが、そこまで話をするのに5分間が過ぎた。こちらが思うほど価値のない情報だと思い知る良いきっかけになったと同時に、電話やメールではなく面と向かって話をすることを大切にしたいと思う気持ちも大きくなった。 目を見て話をしないと伝わらないこともあると思うから…。 |
昨日の書き込みをすっかり忘れていて… 先ほど気が付いた。 残念なようで、幸せ感もある。 また、時間を後戻りさせて、この投稿を差し込んでおこう。 |
昨日、私の管理する会場で、40人弱の方が集まりある方の“偲ぶ会”が行なわれた。しめやかな音楽、涙まじりの回想、マイクが渡りそれぞれの思い出を語る。 この日の主人公は遺影である。私も面識のあるその人は、果たしてこの場をどう思って眺めているだろう。 …などと、あり得ない状況を想像してみる。 人は死を迎えれば、次の旅に旅立つと信じている私は、少し滑稽さを感じ会の様子を陰から伺った。 それでも、私も死んだら私を肴にみんなが飲み食いするのも悪くない…と、思った。 |
世界には、私の常識の及ばない人達がいて… 日本にも、私の常識の及ばない人達がいて… この町にも、私の常識の及ばない人達がいて… 私の横を、私の常識の及ばない人達が通り過ぎて… ひょっとすると、目の前のあなたも、私の常識の及ばない人かも知れない。 常識なんて、大多数の人達の考え方だろうが、 基準となる枠が変われば、常識なんていつでも変化するものに違いない。 二人の日本人のご冥福を祈りたい。 |
午後から、講演会でしゃべらなくてはけない。 やけに緊張している。 なにか気分転換が必要だ。 いつまで立っても、この緊張感から逃れられない。 |
人の命っていくらだろ? “人の命は地球より重たい”なんてことが名言だと思ったこともあったけれど、今ではそうは思わない。 同じ価値観、道徳感、正義感、倫理感、経済観同士なら、ある程度数値化できるけれど、全く違う考え方をもった人達との間では共有できる命の重さなんてありはしない。 文明とは、歴史・文化を尊重し人の命を無暗に奪わないということだと思う。 そう考えると、科学技術や経済が発展している国が文明国だとは言えないし、森の中に裸で過ごす人たちが非文明だとも言えないように思える。 さて、私は一個人として文明人として生きていたいと思う。 |
電車に乗っている人達を見ていると、同じ方向に向かって進んでいるのに、それぞれが別のことを考えている。 軍隊とかになったら有無を言わさずかも知れないけれど、学校や会社単位の集団だったら、みんな好き勝手なことを考えているかも知れないなぁー。 いっしょに同じ道を歩いているからと言って仲間だとは思わない方がいいかも知れない。 自分は自分だけやしなー。 妬まず、媚びず、恨まず…自分の人生に信念を持って生きて行きたいな。 |
全く考え方の違う人がいて、私のように、その人の考え方も理解しようとすると、戦わずに妥協する道を選ぶことになる。 それは、時によっては後で、さらに大きな溝を生むことがあり、ある時点で切り捨てる…退く…場合によっては、やはり戦うことが必要になることもあるようだ。そういった見極めが、私の場合まだ未熟であり、少しタイミングが遅れる場合があるが、感情的になって熟慮の足りない結論を出すよりは、時間を置いて答えを出すほうが、まだ後で後悔しなくて済むのかな…と、思う。 |
今日は、半日尊敬する教授と話をした。午前中大学病院で検査を受け、皮膚癌との診断を受け、来週から数回に渡って通院の手術をしなくてはならないとのこと・・・皮膚癌がどの程度厄介な病気か分からない私は、“大丈夫ですよ”と、責任のない返事をするだけだった。 教授には、まだまだ元気でいてほしい。 きっと、誰かと話がしたくて、私に会いに来てくれたのに違いない。 先生が、私の前から去った後、“だいじぃうぶ。だいじょうぶ。” と、一人つぶやく。 |