進行中のプロジェクトを取りやめることになった。これはすでに公になっている企画で私の署名のもとに動いているものだから、私の立場的にも微妙であるし、実際に対外的に動いていた者には納まらない気持ちが残ることは想像できる。 しかし、この状態で続けると、必ず大きな壁にぶち当たり、被害が大きくなると経験で予想される。下手にプライドとかメンツとか言わないことだ。引際が肝心である。 頭を下げるところは下げる。それが今まで生きてきた証だと言い聞かせる。 |
年老いた人と一つの部屋で過ごすと、普段自分が生きている時間とは全くの違う時間の流れがあると感じる。老人の動きは遅くて危なっかしい。私が普段速さで行動すると、ぶつかって老人は転げるに違いない。それで私は動きを遅くする。 そのゆっくりしたスピードにイライラすることがある。しかし遅い者に早さを合わせること、転がる人がいないように、他人のペースに合せることが大切なのだろう。 自分のペースと周囲のペースを使い分けられる自分になりたいと思う。 いつか私もゆっくりとしたペースでしか生きられなくなるのだろうな…。 |
寿命というものは、自然な状態で生きて死ぬことだと思う。 老化、病気や事故や戦争で肉体は死滅する。医学の進歩はある意味寿命を人工的にコントロールした。一昔前なら死んでいた人間が生きる時代になってきた。 どこまでが寿命で、どこからが神への挑戦か私には分からない。 9年前に手術で九死に一生を得た私は、今生きていることに感謝しつつ、自然な死を選びたいと思うのだ。 |
今日は、植物防疫所を訪ねた。ある植物を日本に輸入するためだ。 初めての者にとっては手続きが難しいものだと思ったが、同時に普段あまり縁のないこのような機関の活動によって私達が守られていると実感した。 自分自身で気が付かない、まだまだ多くのものが私を守ってくれているに違いない。 だから、自分一人で生きていると思わないで、なにか分からないものにでも感謝の気持ちを持つことが必要だと思うのだ。 |
仕事が自分のやりたいことだったら幸せだな。 仕事は自分のやりたことではないけれど、他に自分のやりたいことがあったら幸せだな。 仕事が面白くなくって、やりたいこともないなんて不幸な気がする。 そんな人は、なにをやっても不満があって、一生懸命になれないんだろうな。 一生懸命生きたいな。 |
この仕事(活動・プロジェクト・企画)から、私が手を引きますよ。どうするんですか?と言われた。そう言う言い方をする人は、大抵の場合その人が手を引いても致命的なダメージにはならない。 自分がいなければプロジェクトが回らないと思っているような人は、きっといつか足を引っ張る。みんなでやっていると言う思いがないと大きな仕事は一緒にできないもんな。 一言、言ってやりたいと思いながら、なだめすかして働かそうとする自分がいる。 |
最近、どこのレストランでも、コンビニでも、ある程度の味のレベルはキープされていて大差がない。逆に、極端に不味い食べ物がなくなった。 要するに、糖分と塩分が多めで香辛料がたくさん使われている。 今のように味付けや調理方法のレベルが上がると、一般的にも素材そのものの味や新鮮さが贅沢の基準になっていく。 世界で魚の刺身の消費が上がっているのは、そのためだろうか? 出汁と素材の味を大切にするのが日本料理だ。だから今、世界は日本料理が世界最高の贅沢料理だと気が付いたに違いない。 |
同じことを話していて意見が食い違った時、大声を上げてぶつかる人と、うまく話をまとめる人がいる。私の経験では、ぶつかることは遠回りだ。着地点を探して話をしなければ、時間の無駄。 世の中、最終的に折り合いをつけるしかないのだから…、それでも最初に‘一発かます…’ってことはあるかな…。それも折り合いをつける前提で…。 ただただ感情的にぶつかることは、いかなる時でも得策ではないと思うのだ |
海外から、ある植物を持ち帰るミッションを実行しようとして、防疫について調べていたら、その植物が持ち込み禁止処置の対象だと分かった。 やっかいな問題だが、思わぬところで、私達が国に守られていると感じた。 同時に、守ってくれる国のない地域や人たちがいることを心しようと思った。 平和というものは、守られてこそあるものだと強く思うのだ。 |