数字に置き換えられないものもあると思うが、人の命も戦後補償も保険金も前例とか常識と言う基準で、最終的には数字で決着するしかない。 “お金ではない。人の命は地球より重たい。”なんて言うのは、ヤクザか政治家だ。 そう言い続けたら、いつまでも前へ進めないし、最悪戦争するしかないのだろう。 ある程度の数字で、自分に決着をつけることは大切だと思う。 |
知人の奥さんが数年前に癌になり、すでに3回の手術をした。昨年末から肺に水が溜まるようになり、何度も水を抜いた。その間隔が徐々に短くなり今年に入ってすでに2回行っている。つい先日二日間入院した。9年前に私が手術をした後、同室の患者が夜中に病室で水抜きをしたことがあったけれど、体を叩くような音と共にうめき声が聞こえたことを覚えている。 回復が見込めずなんとか現状維持ができればと言う状況で、光を見いだせない奥さんは苦しいに違いない。知人も苦しいに違いない。 私は、二人がどんな形でも楽になるようにと祈るしかない。 |
最近になって、農家の人たちと交わるようになった。今まで考えていなかったが、いろいろな意味で日本の農業が頭打ちをしていて、農家の人たちが将来に不安を抱えている様子を知る機会が増えてきた。 安くて、そこそこのものではなく、安全が担保され、そこそこのものを、私達が欲しなければ日本から農業が消滅すると言う現実を知り、生産者と消費者が直結することが大切だと、理解できるようになってきた。 そう気が付く人が増えていくことを願わずにはいられない。 |
なんにでも、抜け道がある。知って利用すると得することもあるが、抜け道にはリスクを伴うことがある。危険であったり、世の中の状況が変わると利用することが罪と言われることがある。 それでも、私は、抜け道は知っているほうが良いと思うし、知らなければ探す努力はするべきだと思う。抜け道がなければ、死んでしまうこともあると知っているから…。 どんな窮地に立たされても、道があると思うほうが、生き残るチャンスが広がると思うから…。 |
身体には痛点があり、当然少し怪我をしたら痛みを感じる。身体には痛点のないところがある。そこに傷を負った場合、すぐには分からない。内臓とか血管とか…おそらく心もそうだろう。問題が大きくなってからでないと分からない。 身体のすべてに、そして心も同じように、大事になる前に痛みが分かればいいのだけれど…、立っていられないようになるまで分からない。 そう思うと、人は大きな痛みを背負わなけれならない生き物なのかも知れないと思うのだ。 |
葬儀に出て感傷に浸ってしまった。貴重な人をなくした思い、彼女が自分と同じ病気で死んでしまったと言う縁、今日のこの気持ちを深く胸に留め、前に進んで行きたい。 出会いがあれば、別れがある。 さあー行くぞ! |
忘れてしまいたい事、無かったことにしたい事、切り捨てたい事あるけれど… なかなかうまくはいかない。 うまく行ったように思えても、なにかの拍子に顔を出す。 ちゃんと、身に付けて、付き合っていくしかないのかな。 この人生、逆戻りはできないのだから。 |
昨日、訃報があった。いっしょに活動しているギリシア人の奥さん(50才くらい)が一昨日の夜に亡くなった。 病名は私が10年前に患った“大動脈解離”である。私と彼女の違いは、倒れた時に私の周囲には人がいて、彼女の場合は誰もいなかったということ…。 彼女が味わった悶絶する痛みが分かる自分がいることと、私があの痛みに襲われた時、そばに誰もいなければ死んでいたと今更ながらに理解した。 電話もできない痛み、助けも呼べない痛み、そんな痛みが、突然やってくると言う事を、決して忘れないでおこうと思う。 |