今月いっぱい、投稿を止めることにしました。 それ以降のことは、その間に考えようと思います。 |
日記の引っ越しを考えている。 現在このサイトに投稿する意味が見いだせないのだが、他に移って書き始めるきっかけがつかめず、続けているのが現状だ。 移ることができたなら、もっと息子に私の思っていることを伝えることができるように思うのだ。 さてさてどこがいiいだろう。 ご意見いただける方がおられたら、是非アドバイスをいただきたい。 |
自分だけのものって、なにがあるだろうか? 土地、建物、宝石、お金… こんなの…、自分のもので無くなるかもしれない。 愛… これも、時とともに変化して、無くなることもあるかも知れない。 記憶なんて…思ったけれど、 年をとったり、事故によって失くすかもしれない。 考えたら自分だけのものなんて、ありゃしない。 今を大切に生きることしか、ないのかな? |
記憶に残ること、忘れてしまうことがある。 忘れてはいけないことを忘れてしまうことがある。 今の自分が出来上がるまでに経験した大切な記憶は忘れないでいたい。 感謝や幸せは、忘れてはいけない記憶の上に湧き上がるものだから、 記憶を保つために、日々、感謝し、幸せを実感することが 大切なのだろう。 |
私の管理するビルでアライグマが罠にかかった。 外来種のアライグマは公的に捕獲対象種になっている。 市から依頼を受けた業者が引き取りに来た。 私の顔を、切なそうな顔をしてみつめていた。 きっと、彼も以前は人に飼われていたのだろう。 捨てられたのか、逃げ出したのか分からないが、 人の膝の温もりを知っているのだろう。 命に対して最後まで責任をとらない人は勝手だ。 連れて行かれるアライグマが もし同じ姿で生まれ変わったら、 人の手にかからないように祈りたい。 |
自分は世の中を変えられるか? 大きなことでなくていい。 目の前の小さなことを、 ほんの少し変える“力” それを“勇気”と言う。 |
昨日は、ガーデンの芝生に設えた舞台で“能”を観ると言う食事会に参加した。幸い雨は降らなかったが、手がかじかむ寒さの中での1時間あまりの舞台だった。 私は、能を観るのは初めてだったが、伝統芸能と言うものが究極の遊びのなかで生まれ育ったものだと強く感じた。 静寂・間合い・スピード・音量・所作…すべてが緊張と緩和を最大限に引き出すために練り込まれている。 ここで感じる緊張感を普段の生活や、ビジネスシーンでも作りだせたら充実した人生になるだろう。 日本の伝統芸能の素晴らしさを感じた催しだった。 |
英語では、日本語で言うところの“余裕”という意味の適訳が無いと言う。 このように普段我々が日常で使用する言葉が、他の言語にないということは良くあること なのだろう。日本人には、曖昧な範囲を現す表現が身に付いているに違いない。だから、思いが逆の意味に伝わることがあるのだろう。それを頭において、はっきりと物言う時と、言葉を濁す場合とを余裕を持って?うまく使い分けていきたいものだ。 |
体調の崩れ、悩み、痛み、幸せは顔にでる。 自分の内側にあるものは、外にでる。 自分の外に出たもの…、それが他人にも気付かれ、それで循環して自分になっていく。 自分の内側にあるものを外に出す場合、良きにせよ悪しきにせよ、あなたの今思うよりも、多くの注意を払うべきなのだ。 すべてが自分に返ってくるのだから。 |