ほんの少しのことですれ違い、 ほんの少しの差で勝ち負けが分かれ、 ほんの少しの偶然で大切な人と出会い、 ほんの少し思いをかけることで他人の命を救え、 ほんの少しの感情の爆発で友を失い… あなたと私の違いは、ほんの少しだけ…。 ほんの少しが重なって、私達はそれぞれ自分の人生を生きている。 |
誰にでも甘い話が転がり込んでくる。 甘い話は、秘密という形で近づいてくる。 だから、 そんな時は誰にも相談しないで事をすすめる。 そんな時に、よく騙されることがある。 そんな時に、相談できる人を作っておかなければならない。 そんな時こそ、お金を払ってでも、専門家に相談するべきだと思う。 |
先日、60才の還暦をむかえた。なんだか信じられない。そう言えば同級生のなかには昨年定年退職した人もいたと聞く。 還暦なんて遠い先のことだと思っていたが、こんなにあっさり過ぎさるなんて…。 今朝経理士に‘私は、もう年金を払わなくていいのか?’と尋ねてみた。年金の前倒し受け取りを希望しない私は、もうしばらく納め続けなければならないようだ。なんだかほっとした感がした。 もう先が短いのだと肝に銘じて充実した人生を生きたいものだ。 |
すごく、活発に異業種交流を行ない、人の輪を作り様々な知識を得て、いろいろな企画を遂行している人がいて、そのバイタリティーは尊敬に値するが、私が見ていて大きく成長しそうな予感がない。もう少し人見知りで、不器用なところがあったらいいのに…。 不器用な私はそう思う。 一つのものに特化している人の方が、魅力を感じる。 |
物を売って稼ぐ。 物を移動して稼ぐ。 物を加工して稼ぐ。 物を作って稼ぐ。 自分の才能を使って稼ぐ。 会社に入って給料をもらう。 自営で稼ぐ。 先祖の財産で生活する。 他人に教えて稼ぐ。 いろんな稼ぎ方、生き方がある。 親の財産の有無以外は、生れた時、全ての選択肢がある。 そしてどんどん選択肢が無くなっていくんだ。 死ぬ間際まで選択肢のある生き方ができたらいいな。 |
名刺交換は、昔から苦手だ。名前を覚えようという気持ちがないし、無暗に自分の名刺を配って名を売りたいという気持ちもない。 大きなことを仕出かすつもりがないから、自分の興味のある人だけ知っていればいいと思っている。 逆に会いたい人には遠くても会いに行く。 そんな人生を歩んできたから、残りの人生も同じように生きたい。 私は営業的ではないと、改めて…思う。 自分のデザインした名刺を出力しながら…そう思う。 |
昨晩、ある会合に出席した。これまで何回か顔を合わせたことがあるが話をしたことがない人の横に座り名刺交換した。何人かが紹介してあげると言ってくれた人だけれど、その時は必要なかったので断ってきた。昨晩の会で彼も私も役員に選出され、これから話す機会が出てくるだろう。そんな時に名刺交換したほうが自然に違いない。会うべき人には会えるもの…会えない人には会えないもの…そんな感じで、無理せず生きていきたいと思う。 ともかく彼は、世界的アスリートの父親である。 彼の息子にも、いつか会うことがあるかも知れない。 |
今日は、四肢の血圧をするABI検査を受けた。いつもの通り下半身の血圧が低い。これは9年前に発症した大動脈解離のため、血管が拡張し私の体に人工血管が入っているからだ。このため坂道を上ったりスポーツをすると足がすぐにだるくなる。 特にすぐに手を打つこともないようだが、血圧を上げず、体重を増やさず、だましだまし体を使って行かなければならない。 だましだまし、そこそこに生きて行こうと思う。それでも充分幸せである。 |
普段人は、興味のあるもの以外は、何も見えていない。人を好きになったら好きになった人しか見えなくなるし、研究者は研究対象ばかり見つめている。 そこで、どう興味を持たせるか?どう気付かせるか?どう目立つか?というところが学問になったり、経営であったり、指導者の資質になる。 どれだけ注意深い人でも、全ては見えていない。 勿論私も、世の中のことは一部しか見えていないと思うのだが、自分が無知だと言うところをベースに、興味のあるところは見えないところまで見える目を持ちたいと思うのだ。 |
幸せかどうかは、自分が幸せと思うか、思わないかの違いだけ…。 どんな苦しい状況におかれても、幸せだと思えば幸せだ。 この論理に基づき、私は一日のうちに最低二度は、“幸せ…”と、声に出すようにしている。 幸せは、自分の内側から生まれてくるものだから、 声に出すことで、私のささやかな幸せを世界にばらまきたい。 |