文字の起源は紀元前4000年後半、一般に言われる有史とは2000年~3000年と言われている。それ以前に人類が経験した出来事は記録する術がなく、地質学を通してしか地球規模の地殻変動を知りえない。地形を大きく変えてしまう大地震や巨大隕石の衝突、太陽の光を遮り地球全体の気候を氷河期に変えてしまう火山の噴火、たかだか100年に満たない寿命の今の私には考え及ばない変化がこの地球には起こり得るのだ。 日本でも150年前には、人の首が街頭に晒され己の腸に刀を入れた。私達の言う文明というものが、いかに希薄なものか、明日人類の誰も知らずに此の世がなくなることも無きにしも非ず、我々の文明は地球のほんの薄皮の上に築かれた幻かも知れない。 |
私は、“何故今、頑張っているのですか?”と聞かれると“○○さんの夢を実現するお手伝いをしようと自分で決めたから、今の仕事を引き受けた。”と、言うのだけれど… ほとんどの人が、“○○さんの為にやっている。”と理解してしまう。 私にしたら、〇〇さんのためにやっているということと、○○さんの夢を実現するお手伝いをしようと自分で決めた…こととは、全く違う答えだと考えているのだが…。 人が生きる上で、どんなことでも自分が選択していると考えるべきであり、自己責任の観点から他人のために、なにかをするという思いは、避けるべきだと思うのだ。 このことが、どうしても伝わらない。 |
いつか、自分が死ぬための薬を手に入れたいと思っている。 それは、遠い先かもしれないし、1年後かもしれないし、ひょっとすると明日事故で死んでしまうかもしれないけれど…、 自分に、その判断ができるうちに手に入れたいと思っている。 動けなくなるまでに、この世での自分に幕を引きたいと思うのだ。 |
会いたい人に出会えた時、会えてよかったと素直に言うことのできる自分でありたい。 そんな出会いを重ねたい。 |
波動・波長・仲間・好み・行動範囲…が同じ人がいる。そんな人は出会った時にそう感じ、一度離れてもいつかまた出会う。 若い時には、自分と違うものを持った人に魅かれるものだけれど、年をとると、やはり同じものを持っている人と群れている方が楽なように思えてくる。 そう思える自分が、年をとったと感じる。 |
今秋のクレタ島ツアー企画のミーティングがあり、ギリシア大使館とクレタ島の市長?にメッセージを送ることになった。私が英文レターにサインをした。 表に出たくないと思うのだけれど、ツアー実行委員会の委員長になったのだ。 今年は、引き受けるけれど、来年は物作りに専念したいと思う。 いつまで生きているかわからないから.......。 |
どうでも良いって思う時があるけれど、 どうでも良いってこと…あるんだろうか? この世の中が不完全だと、そういうこともあるかも知れないけれど 三次元での経験を積むために完全なシステムが出来上がっていると思ったら どうでもいいことなんか、ありはしない。 世界の創造者には、この世のすべてに理由や設定があるに違いない。 そう思ったら、失敗しようが、傷つこうが 経験できる喜びを噛み締めて 生きていくほうがいいんだろうな…。 |
海外から、ある植物を持ち帰るミッションを実行しようとして、防疫について調べていたら、その植物が持ち込み禁止処置の対象だと分かった。 やっかいな問題だが、思わぬところで、私達が国に守られていると感じた。 同時に、守ってくれる国のない地域や人たちがいることを心しようと思った。 平和というものは、守られてこそあるものだと強く思うのだ。 |
同じことを話していて意見が食い違った時、大声を上げてぶつかる人と、うまく話をまとめる人がいる。私の経験では、ぶつかることは遠回りだ。着地点を探して話をしなければ、時間の無駄。 世の中、最終的に折り合いをつけるしかないのだから…、それでも最初に‘一発かます…’ってことはあるかな…。それも折り合いをつける前提で…。 ただただ感情的にぶつかることは、いかなる時でも得策ではないと思うのだ |
最近、どこのレストランでも、コンビニでも、ある程度の味のレベルはキープされていて大差がない。逆に、極端に不味い食べ物がなくなった。 要するに、糖分と塩分が多めで香辛料がたくさん使われている。 今のように味付けや調理方法のレベルが上がると、一般的にも素材そのものの味や新鮮さが贅沢の基準になっていく。 世界で魚の刺身の消費が上がっているのは、そのためだろうか? 出汁と素材の味を大切にするのが日本料理だ。だから今、世界は日本料理が世界最高の贅沢料理だと気が付いたに違いない。 |