ほんの少しのことですれ違い、 ほんの少しの差で勝ち負けが分かれ、 ほんの少しの偶然で大切な人と出会い、 ほんの少し思いをかけることで他人の命を救え、 ほんの少しの感情の爆発で友を失い… あなたと私の違いは、ほんの少しだけ…。 ほんの少しが重なって、私達はそれぞれ自分の人生を生きている。 |
作日から今日にかけて、たまにある…一挙に物事が動く日だ。 目の前の淀んでいたいろいろな出来事が音を立てて動き出し、 新しい世界、答えが見えてきた。 こんな時は、すっきり膿をだして、すべて前向きに捉えるに限る。 そうすれば、悪い風にはならないことを、私は知っている。 |
目の前の人を同じように、心配して話したことを、隣の人が理解できずぶつかることがある。 同じように心配していることを伝えあって、同じ道をすすむしかない。 ささいな取り違えで、ぶつかることはあるけれど、ぶつかりあいながら同じ道を進むしかない。 同じ方をむいているのであれば…。 |
戦うことを必要としない人は、自分が守られていることを知らない。 戦わずして、今の状態がいつまでも続くと言う幻想のなかで生きている。 周囲には、常に自分と違う考え方や感じ方をする種がいっぱいいて、理解できない論理のもとに常に刃を自分に向けている。 命はいつ果てるか分からず、自分と同じ存在は二つとないこの世の中で、自分の身は自分で戦い守らなければならない。 |
進行中のプロジェクトを取りやめることになった。これはすでに公になっている企画で私の署名のもとに動いているものだから、私の立場的にも微妙であるし、実際に対外的に動いていた者には納まらない気持ちが残ることは想像できる。 しかし、この状態で続けると、必ず大きな壁にぶち当たり、被害が大きくなると経験で予想される。下手にプライドとかメンツとか言わないことだ。引際が肝心である。 頭を下げるところは下げる。それが今まで生きてきた証だと言い聞かせる。 |
年老いた人と一つの部屋で過ごすと、普段自分が生きている時間とは全くの違う時間の流れがあると感じる。老人の動きは遅くて危なっかしい。私が普段速さで行動すると、ぶつかって老人は転げるに違いない。それで私は動きを遅くする。 そのゆっくりしたスピードにイライラすることがある。しかし遅い者に早さを合わせること、転がる人がいないように、他人のペースに合せることが大切なのだろう。 自分のペースと周囲のペースを使い分けられる自分になりたいと思う。 いつか私もゆっくりとしたペースでしか生きられなくなるのだろうな…。 |
寿命というものは、自然な状態で生きて死ぬことだと思う。 老化、病気や事故や戦争で肉体は死滅する。医学の進歩はある意味寿命を人工的にコントロールした。一昔前なら死んでいた人間が生きる時代になってきた。 どこまでが寿命で、どこからが神への挑戦か私には分からない。 9年前に手術で九死に一生を得た私は、今生きていることに感謝しつつ、自然な死を選びたいと思うのだ。 |
今日は、植物防疫所を訪ねた。ある植物を日本に輸入するためだ。 初めての者にとっては手続きが難しいものだと思ったが、同時に普段あまり縁のないこのような機関の活動によって私達が守られていると実感した。 自分自身で気が付かない、まだまだ多くのものが私を守ってくれているに違いない。 だから、自分一人で生きていると思わないで、なにか分からないものにでも感謝の気持ちを持つことが必要だと思うのだ。 |
仕事が自分のやりたいことだったら幸せだな。 仕事は自分のやりたことではないけれど、他に自分のやりたいことがあったら幸せだな。 仕事が面白くなくって、やりたいこともないなんて不幸な気がする。 そんな人は、なにをやっても不満があって、一生懸命になれないんだろうな。 一生懸命生きたいな。 |