新年おめでとう。 今年もよろしくお願いします。 そういう季節である。 日差しがそうなのだ。 火曜日休みになっても 嬉しくもない。 外に出てみれば、正月のように 人通りは少なく、天皇誕生日を祝う 右翼の街宣車も、おとなしく感じる。 邪魔なので、こちらから抜かしていったが 憲法改正とか、右翼のやることでもなく 大真面目に首相がやりたいことだから 特殊な思想でもない。 軽自動車を街宣車にしているから 燃費を気にしているのだろう。 世の中、食べていかないといけない。 どうやって生活の安定をはかるか この人たちは 毎日何を食べているのだろうか。 トーストとマーガリンなのか タクワンにご飯か。 ハードな前衛的な劇団とかは 朝は、梅干し一個と握り飯である。 佐川急便の筋肉男子は 豆腐とキャベツである。 ダイエット中の腐女子は バナナと蒟蒻か。 弱そうな草食系右翼は 何食べているのか。 昼は、競艇に通い勝てば 焼き肉定食、負ければ アンパンとコーヒー牛乳かいな。 かわいい声の ウグイス嬢のような 美声とスタイルで 街宣すればいいが 軽自動車でガラ声では、誰も 見向きもしない。 |
クリスマス、イブの今宵、皆様はどのように お過ごしでしょうか。 世の中、お金がないと何事もうまくいきません。 今日は、1円も出費がなかった。 守銭奴でもない、ケチでもない。 ない袖は振れない。 ないものはない。 財布を忘れたのに気がついたのは 急な坂道を、登っている最中に 尻ポケットを、触った瞬間である。 今から、家に戻れば会社に遅刻する。 まあ財布を忘れたのは、何年ぶりだろうか。 でも、ないならないでも困りはしない。 帰りがけに、買い物できないだけだ。 サンタではないから、子供のために 買い物をして喜ばせようとするわけでもない。 買い物をせずに、家に帰り着くと 随分と、早く家に着いた感じである。 あと今年、会社に行くのも二日である。 もう、良いお年をという台詞が 出てくるだろう。 財布を、持たない生活。 電子マネーを遣っている人の気分は こんなもんかな。 硬貨も紙幣も持たない デジタルイメージの金銭感覚。 財布を持たない生活をしたら 忘れるということもなかろうな。 仮想通貨の時代やから。 |
御用納めも、平穏である。 暇なのだ。 入荷する荷物も入らず 年明けに、入荷というから困った話だ。 運送会社は、年明けは、これまた 入荷は遅れてくる。 お祓いの神事をして出発式で安全運転を 唱和して、持ってくるし ついでに正月明けの挨拶で ますます遅れてくるだろう。 顧客の事は、考えてなんかない。 定められた納期なんか答えようがない。 お祓いの神事なんかせんでいいから さっさと持ってきてほしいのだが。 初荷というが、ぜんぜん初荷でなくて 溜まっていた荷物を 遅れてもってきて なんだか売れ残りを 在庫処分とはいえず 夢の福袋と名前を 変えるような感じやな。 |
高倉健さんの、追悼映画を観に行った。 14時からなので、13時に行ったら満員御礼で 入場できないと。 急遽、再上映を16時からとなったが まさか、行列が出来るなんてシネマ側は 予想もしてなかろう。 網走番外地、悪への挑戦というタイトルである。 まあ若い健さん。 網走番外地というが 設定は、福岡市で 博多ポートタワーやら 愛宕神社やら 中洲やら こんな身近なところに 健さんが、いたのかと。 時代は、47年前であるから 高度成長前の まだ発展途中の 福岡市の光景が随所に見られた。 観客は、圧倒的に60代以上で 40代なんかほとんどいない。 映画そのものは 面白いことは、面白いけれど テレビで放映するには いろいろと難しいのだろう。 映画を観たのは何十ぶりだけれど この映画は、福岡市は勿論 熊本やら、北九州やら 阿蘇やらと、 九州人には、なつかしさを 感じさせる映画であるが 墓場に近い人が観る映画であるから もっと配慮があってもいいのでは。 年寄りを、整理券の順番に 並ばせたりと もっと労ってやらないと。 映画を観るために 順番待ちなんて ありえない。 みんな、若かったのだ。 65歳以上は、入場料は250円か。 そりゃ、並ぶだろう。 |
高倉健さんが、映画に出ていた場所に 行きたくなって 愛宕神社まで出かけて行った。 博多湾を眼下にして 山並みが見える神社からの 展望はビルが立ち並び、 映画の中で、博多湾干拓事業と看板があった所は すでに住宅地である。 神社の境内には、見晴らしがいいので 映画にもあったように、観光双眼鏡が設置されて いたけれども 双眼鏡も、変わっていた。 novacからkowaへ。 興和に変わったのは銘板を見ると平成15年であるから まだ歴史は浅い。 100円で100秒しか見れない。 硬貨を入れるとシャッターが上がって 時間になったら、シャッターがまた閉じる仕組みだ。 が、覗いてみるとシャッターが半分しか開かない。 あれよあれよと時間は過ぎ去って せっかくの展望も台無しだ。 観光地の双眼鏡なんて なかなか使われないから、機械式のシャッターなんて 油が切れてうまく開かないのか。 宮司さんに、言いにくそうに 苦情を申し立てると 確認しますと言ってきた。 確認ってどうするのかなと見てたら 鍵でお金が、入っているか確認をして そのお金を返してくれて 宮司さんは、自分の硬貨を投入して ちゃんとシャッターが開いて 全視野が見えることを確認して どこかに行ってしまった。 つまり、お金はいらなくなったのだ。 さすが、愛宕神社である。 高倉健さんのような 清い神社だ。 正月を前に 双眼鏡の点検のようなものだろう。 観光双眼鏡は、屋外で常に風雨に 晒されるし、完全防水でないと 用を足さないけれど 秒数制限なんかするためには ゼンマイ式の無駄な機構があるために フリーメンテナンスには出来ないのだろう。 観光双眼鏡は、屋外に設置する場合は コイン投入機構を省いたほうが 結果として省力化になるだろう。 双眼鏡を、コインで償還するのは 難しいだろう。 子供が、興味を持つのはわかるが 普通、大人がお金を払ってまで 景色を見たいだろうか。 興和の営業の人が メンテナンスのために 観光双眼鏡を点検しているわけでも なかろう。 興和の双眼鏡なんて 一般には知られてないだろうが その世界ではトップクラスの 光学メーカーであると云われるけれど 自分の中では 印象の良くないメーカーに なってしまった。 シャッターが、開かないなんて。 |
健さんの足跡を追って 今度は、博多ポートタワーを訪ねてみた。 観光客向けのお店や、免税品店が出来ていて 昔とは、だいぶ違う光景である。 観光客とは、韓国人のことだ。 無料のためか、展望台には、次々と 登ってくる。 港といえば、港湾荷役労働者の 街であったのに 光景は、様変わりである。 展望台の、無料の双眼鏡は 有料のテレビ望遠鏡になっていたし エレベーターは、外が見えない構造になっているし 昔のほうが良かった。 どこまで登っているかわからない密室は怖い。 気圧の関係か、耳が、詰まった感じになる。 観光客が、お金を落としてくれるように 仕向けている様がよく見える。 風紀改善というのか 図書館は、廃止し 遊園地で失敗をし ようやく、観光客で 潤ってきたかという感じだ。 高倉健の映画に出てきた光景は 変わってはいない。 突端に、突き出た健さんが 無法者を海に落とした波は 変わらない。 流れ者の街である。 |
休みに、入りいつでも、起きて良い生活になってしまった。 会社に出かける時は、朝は早起きしていたのに 日の出はともかく、日が昇ってからしか起きない生活である。 あてどもなく歩いても寄るのは 本屋か、スーパーである。 食べていかないといけないし 腹が減る。会社を、離れたらこんな生活である。 自らを自制してストイックに走るとか そういう生活は無理なようだが 明日からはどうしようか。 旅にでるわけでもなく ただ自分の生活圏内で地味に 歩き回るだけだ。 寝すぎてもいけない。 食べ過ぎてもいけない。 地味に本屋に出かけ 歩いて帰る。 あるいは、映画を観る。 |