『身の内“かりもの”/\と聞いた時だけ。一日経ち十日経ち言うている間に、二十日経ちついには忘れる。』(M24.11.15 おさしづ〔神様のお言葉〕) 注)身の内=人間の肉体、身体。人間の身体は人間が魂の修行をさせていただくために、神様からお借りしている衣服のようなものであり、寿命が来ると神様にお返ししなければならいが、魂は永く続く修行のために何度も何度も生まれかわる。魂は個人個人のものであり、その心には自由意志をお与えいただいている。 ひろ |
『心では十分“たんのう”の理は治めて居る。尽す一つ、運ぶ一つの事情に、理が治まらにゃならん。十分“たんのう”して、夕景一つの礼を言う。』(M25.07.27 おさしづ〔神様のお言葉〕) |
『天然自然というは、誰がどうする、彼がこうしょうと言うても出来ん。独り成って来るは天然の理。金でどうしょう、悧巧(りこう)でどうしょうというは、天然であろまい。世上から見て、珍しいなあ。何処から眺めても成程、というは、天然に成り立つ理。』(M33.05.31 おさしづ〔神様のお言葉〕) |
『真実一つで難儀不自由の道を通りて、今日の日という。もうこれ長らえての道を通りて、艱難の道を知らずして、あんな阿保らしい事は措(お)いたらよいという。こうしたら勝手が良い。こうやれば良いと思えど、天の理でいかん。治まらんで。………皆んな心を合わせてすればいかんやない。』(M22.09.16 おさしづ〔神様のお言葉〕) |
『一あっての二、何程賢うても、晴天の中でも、日々の雨もあれば、旬々の理を聞いてくれ。聞き分けねば一時道とは言わん。』(M26.12.16 おさしづ〔神様のお言葉〕) |
『空を思わん者は無い。空ばかり見ては踏み損なう。旬という道という理がありて、空という。』(M32.02.02 おさしづ〔神様のお言葉〕) |
『旬々の理を見て蒔けば、皆実がのる。旬を過ぎて蒔けばあちらへ流れ、遅れてどんならん/\、とんとどんならん。』(M22.07.31 おさしづ〔神様のお言葉〕) |
『悪を善で治め、“たすけ”一条、千筋悪なら善で治め。悪は善出る処の悪の精抜けて了う。』(M22.02.07 おさしづ〔神様のお言葉〕) |
『さあ/\“たすけ”一条は天然自然の道、天然自然の道には我が内我が身のことを言うのやないで。天然自然の道は、長らえて長く通る事が、天然自然と言う。天然自然の道通るには、難儀な道を通るので、先の楽しみと言う。』(M21.08.17 おさしづ〔神様のお言葉〕) |
『この道というは、今日や昨日や成りた道やない。皆心という、いつと無くして通りたこそ今日の日、めん/\もなあ、これまで心で思わいでも神が見通し、よく聞き分け。これまで通り難い運び難い道通りた理は、容易で通られたんやない。』(M32.08.11 おさしづ〔神様のお言葉〕) |