『さあ/\年限はさあ/\めん/\これだけ経ったと思わんよう。深きは深きの心の理を定め。………さあ/\一代は一代の苦労を見よ。長々の苦労であった。二代は二代の苦労を見よ。三代はもう何にも難しい事は無いように成るで。なれど人間はどうもならん。その場の楽しみをして、人間というものはどうもならん。楽しみてどうもならん。その場は通る。なれども何にも“こうのう”無くしては、どうもならん事に成りてはどうもならん。………めん/\の勝手心が難しいてならん。何程尽せども果たさにゃならん。』(M22.03.21 おさしづ〔神様のお言葉〕) |