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『さあ/\尋ねる処/\、そら成程世界一同の理、何名幾名一つの理である。何人の理を取り集める処、取り扱う処、何名の理ならん、をや一つの理に治めてやるも一つの理である。何名何人一つの心、一手、一手一つ/\の理に寄せてくれるよう。何名何人といえど治める。理は何名何人という。親と見立てば親の理は聞かねばどうもならん。一同こうと皆急き立てた処、前々旬を越さんとまで諭したる処、一同という心の理を計るから通らにゃなろうまい。どうしてみたという。もうこれ親という理立ったる処の理、立たん処の理、親という理を思やんすれば治められんではあろうまい。どれだけ早く何でもといえど、その場/\旬という、旬を越やさんとまで言うてある。一時ならんとは言わん。心を治め。急いた処が一時どうもなろうまい。遠く遥る/\道を運び、よう/\何箇年という。皆世界の理難しい。澄んだる理もあれば澄まん理もある。親と見れば治まらん事はあろうまい。よう伝えてくれ。旬より一つの理は治まりゃせん。旬が来ねば種は生えん。 さあ/\悠っくりの心を以て、悠っくりの理を治めてくれるがよい。』(M23.06.20) |
『さあ/\だん/\の席返す/\の席をして、さあ一日の日というは生涯の心一つの理を以って一つ席とす。席に順序一つの理は、よく聞き分け。席に順序一つの理は、生涯の理を諭す。生涯の理を諭すには、よく聞き分け。難しい事は一つも言わん。どうせこうせこれは言わん、これは言えん。言わん言えんの理を聞き分けるなら、何かの理も鮮やかという。それ人間という身の内というは、神のかしもの・かりもの、心一つが我がの理。心の理というは、日々という常という、日々常にどういう事情どういう理、幾重事情どんな理、どんな理でも日々に皆受け取る。受け取る中に、ただ一つ自由という一つの理。自由という理は何処にあるとは思うなよ。ただめん/\精神一つの理にある。日々という常という、日々常に誠一つという。誠の心と言えば、一寸には弱いように皆思うなれど、誠より堅き長きものは無い。誠一つが天の理。天の理なれば、直ぐと受け取る直ぐと返すが一つの理。よく聞き分け。又一つ、一名一人の心に誠一つの理があれば、内々十分睦まじいという一つの理が治まるという。それ世界成程という、成程の者成程の人というは、常に誠一つの理で自由という。よく聞き取れ。又一つ、これまで運ぶという、尽すという。運ぶ尽す中に、互い扶け合いという。互い扶け合いというは、これは諭す理。人を救ける心は真の誠一つの理で、救ける理が救かるという。よく聞き取れ。又一つ、これまで運ぶ尽す一つの理は、内々事情の理、めん/\事情の理に治め。又一つ、第一の理を諭そう。第一には、所々に手本雛型。諭す事情の理の台には、日々という、日々には家業という、これが第一。又一つ、内々互い/\孝心の道、これが第一。二つ一つが天の理と諭し置こう。さあ、これより先永く変わらん事情に。』 |
『さあ/\尋ねる一条々々、十分一つ聞き分けば十分よし。神一条の道一寸難しいようなものや。一寸も難しい事はないで。神一条の道こういう処、一寸も聞かしてない。天理王命というは、五十年前より誠の理である。こゝに一つの処、天理王命という原因は、元無い人間を拵えた神一条である。元五十年前より始まった。元聞き分けて貰いたい。何処其処で誰それという者でない。ほん何でもない百姓家の者、何にも知らん女一人。何でもない者や。それだめの教を説くという処の理を聞き分け。何処へ見に行ったでなし、何習うたやなし、女の処入り込んで理を弘める処、よう聞き分けてくれ。内々へも伝え、身の内かしものや、かりものや、心通り皆世界に映してある。世の処何遍も生れ更わり出更わり、心通り皆映してある。銘々あんな身ならと思うて、銘々たんのうの心を定め。どんな事も皆世上に映してある。何程宝ありても、身の内より病めばこれ程不自由はあろうまい。自由自在心にある。この理をわきまえ。又々内々の処、銘々の処にも速やかの日がある。銘々ほんと思うた事あれば尋ねに出よ。 』(M21.01.08) |
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