はじめまして、桑名です!この日記とゆーか、ブログを公開することに多少緊張気味です。 なぜなら、書く方と読む方とは全く面識がないし、多分、殆ど女性の方々がメインだし! きっと、![]() |
これから自分が書いて行く事については、如何なる個人や団体等などを批判嘲笑するものではない事を此処に、お断り致します。 以前から、私は気になる女性をサイトで検索して、ピックアップさせて戴いておりますが、 中には、その女性本人が当然意識していなかったと思いますが、 予想外に男性からのヒット数が多く、多分本人の写真公開がその、大きな要因と考えられますが、 それにしても、数字にして1000や2000は言うに及ばず、10000や20000のヒットがあり中には、稀だが40000ヒットと言う女性の方もいらっしゃった! これには私自身、かなり衝撃的でしたが……。 つまり、一日に約、50~100人位からの足跡が残る訳ですが、 これって、本人に勿論先程述べた様に、責任は全くありませんが、まさか全員に ![]() 他人事ながら、凄く疑問でならない… 敢えて云えば返って、縁結びから遠ざかっている様な気がしてならない… 当然、自分自身も含めての事だが。 |
今日は埼玉県入間市の入間市市民会館へ赴き、コンサートへ行って来ました! 内容は、ピアニストの仲道郁代さんと、私が好きなヴァイオリニストの川井郁子さんの、デュオコンサートです! 内容は、お二人に取って初めてのジョイント公演だったせいでしょうか? コンセプトが無く、内容はかなり、イマイチでした。 結論としては、 各個人、別々にやった方がよかったのでは? と言う感じでした。 お二人共、かなり高い知名度がある訳ですから、敢えて?一緒にやる事もないのでは? |
先程迄、NHKBS2で、演歌歌手の八代亜紀の特番を放送していた。 内容は歌番組と言うより、八代さんの、これまでの人生キャリアの紹介だったが、中々良く出来た内容でした。 八代亜紀と云えば以前、他の番組で本人が、現マネージャーでもある今の夫と結婚に踏み切った理由について語っていたのを思い出した、その内容とは『この人にだったら、私が歳を取って、もしも寝たきりになってオシメ交換をしてもらっても、決して嫌じやないかなと思ったから』 と言っていたのを思い出しました。 確かに、絶妙といいますか、凄い言葉だと思います! 人は決して、といいますか、余り、そこまで踏み込んでは言えないと思います。 でも、やはり、それが… |
新しいシリーズです!(笑) 今、宮崎県で大変話題になっております、口蹄疫問題に関して、 毎日マスメディアに登場している、宮崎県の東国原知事ですが、かなり前評判よりも評価が高く、有能でエネルギッシュに活躍されている様ですね! さて、話はかなり昔になりますが、およそ今から約22~23年位前に私が、東京の武蔵野市(吉祥寺がある街)に仕事の関係で赴任していた時に、勤務先の建物から出て何気に、 道路の向こう側から、こちらの方向に向かって来る一台のポルシェを見ていたら、その助手席には、ポカンと口をだらし無く開けた、当時『たけし軍団』の、そのまんま東が乗っておりました! 彼とは一瞬、目線が合いましたが当然何事もなかった様にポルシェは走り去って行きました。 その時の彼の顔は、凄くだらし無い感じでした! でも、今の知事の顔を見ると全くの別人の様ですね(笑)。 ![]() |
もう、5年程位前に亡くなってしまった方なのだが、私が20代の頃に、 福祉関係の職場に勤めていた時に、自分より多分、10歳位年上だったかと思うが、 大石さんと言う男性が居て年齢差はあったが、何気に気が合っていて、よく仕事帰りに遊びに行ったりしていた…。 でも、大石さんは一人暮らしだった。 そして、ある日いつもの様に大石さんの家で、手作りの梅酒や花梨酒などと、これ又大石さんが庭で栽培した、取れたての枝豆をつまみにして呑んでいた時に、私が彼に聴いたのが、 「大石さんはなんで、結婚しないの?」と私が聴いたら、彼は『もう、40近くになると今まで一人で暮らしてきたもんだから、返って結婚なんて、煩わしいと言うか、面倒臭いね!』と サラっと言っていたのを最近よく私は、思い出す。 でもある意味、大石さんの言う通りだと思うけど、自分は、それに負けたくないなぁ。 それより、また大石さんの家で花梨酒を呑んでみたいよ……。 |
来月の25日でマイケル・ジャクソンが亡くなって、もう一年経つ、早いね…… 彼を讃えるには、このスペースでは当然足りないので割愛するが、 敢えて、彼の人となりを挙げるとすれば、以前にテレビ番組で観た、 SMAPの番組にマイケル・ジャクソンがお忍びで登場して、 SMAPのメンバーを驚かすと言う主旨の番組だったのだが、 その時のマイケル・ジャクソンの登場の仕方は、 まるで、観客席に座っていた、シャイな感じのする20代の女の子が、そこに座っている様な雰囲気がした。 あと、番組では、SMAPのメンバーの質問にも、マイケル・ジャクソンは丁寧に静かな口調で答えていた。 その番組を観ているうちに私は、本当にこの人は、普段はとてもシャイで大変静かな人なんだなぁと思った。 この人が、世界中の様々な場所で何十万何百万人もの人々を、 長年に渡って魅了し続けて来た人なのだろうかと、私は驚き混乱した……。 でも彼、マイケル・ジャクソンはショービジネスの世界に於いては輝かしい実績があり、 華麗なダンススタイルも他のダンサーやアーティスト達とは明らかに異なる、超越した才能を持っていた……。 だが、彼のキャリアを いわゆる、幼児への性的虐待容疑と言うスキャンダルを一部の人間と、 マスメディアによって捏造された報道によって、 しばらくの期間、彼の活動は停止してしまった……。 この事がなかったら、彼の伝説はもっと増えていたかも知れない。 今となっては非常に残念でならない。 参考迄に、この幼児への性的虐待容疑は後に、その被害者であった親子が金欲しさに仕組んだデマであった事が判明した。 でも、このスキャンダルの最中に、彼は自らマスメディアを通して、世界中の人々に対して自らの身の潔白を主張していた。 その彼の勇気ある行動に対して、高く評価出来るだろう。 あと、このスキャンダル以外にも、彼には様々な嘲笑や非難、マスメディアによって、彼自身の人間性を否定される様な事柄が幾つかあったのだが、 彼はそれに対し決して負けなかった! 最後に私自身が思うのは、生前のマイケル・ジャクソン、をマスメディアを通して観る限り、 ただの一度も彼が、自身の怠惰や精神的堕落などで、そのエッジな肉体が、 肥満体になってしまった、その姿を私は一度たりとも、観た事がない……。 そして、今、マイケル・ジャクソンは、この地球上からいなくなってしまった……。 |
自分は今47才ですが、 人生の節目って、例えば20才、30才、40才、50才…… と言う様な年齢に於いて、その時に見合った、ふさわしい、位置と言うものが、あると思います。 あと3年で、私は50才になりますが、その時の自分の位置は例えるならば、 (階段の)゙踊り場"に差し掛かっていると思う…。 なぜなら、その踊り場に立って下を見てみるといま迄の自分自身の人生…生きて来た過程が観えるだろうし又、上を見てみると、 これから先の残された人生をある程度予測出来るだろう…… これ迄の自分の生きて来た、若しくは経過して来た時間を思う時、 自分の人生の残りは、まだまだある! と言う概念ではなく、又マイナス思考でもなく、 もうあと残された時間は多くはないと思っていた方が、 何か日々を大事に、 暮らして行ける様な気がする……。 |
自分が小学生の時にクラスで流行った、謎々です! 『鉄100㌔と綿(わた) 100㌔どっちが重い?』 と言う謎かけですが当時、余り思考力がなかった私は、すかさず「鉄100㌔だよ、決まってんじゃん!」と答えて、周りのクラスメート達から冷ややかな視線を浴びていました……。 それでも、私は答えである、『どちらも同じ重さだよ』と言う意味が、 やはり余り、理解力がなかった私は、クラスの中で一番の知恵者である、 学級委員の所へ行き、 その解答を易しく、解りやすく教えて貰い、 彼曰く『それはね、体積の問題なんだよ!』 私は余計混乱したが、 よ-く考えて、やっと理解した。が、「誰だよ、こんな変な謎々考えたの!」と心の中で叫んだ。 (笑) さて、長い前置きになりましたが、 時々想う事がありまして、 このまま一人暮らしで生きて行った方がいいのかな? と思ったり又、 このまま独りでは淋しいし、誰か気持ちが通い合い、好きな人と一緒だったら人生が楽しいだろうし、仕事の励みにもなり、色々な意味で人生のプラスになっていく事だろう。 と、想ったり 勿論、ウェイトは後者なのだが…。 まるで、人生の謎々だな…解けるかな? 又、学級委員に答えを聴きに行きたいな……。 |
シリーズ、その2です! この話は、約四半世紀前 つまり今から約、25~27年位前になりますが……。 私が知人と一緒に、東京の中野区方南町にある、 スナックへ飲みに行った時の事なのですが! 因みに、スナックと言っても、その店は巷にあるファミレス程の広さはありました。 そして、約一時間位経ったでしょうか? 隣のボックス席から、 あれっ?どこかで聴いた様な声と、その喋り方? えーと、誰だったかなぁ?と思い、何気に隣の席を見てみたら、何とそこには 学園ドラマで有名な、 『中村雅俊』さんが座っていたのでした! そして、その他には業界関係者らしき、男の方と、かなり綺麗な女性がおり、よく見たら奥様の、五十嵐淳子さんでした! そして、そのスナックには2時間程度、中村雅俊さんはおりましたが殆ど、彼が話をしており、連れの男性は楽しく笑っておりました。 そして、私も何気に耳をダンボにして、話を聞いてみたら、中村家では当時サイン会ごっこと、言うのが流行っており、朝中村さんがリビングルームに居ると子供達が手に、紙とペンを持って来て「パパ!サイン頂戴」と言って、駆け寄って来るそうな……。 何でも、彼の自宅の前に、大体いつもファンが居て、それを子供達が観ていて 、その真似をしているのだそうです。 それともう一つ、 中村雅俊さんの故郷は、宮城県の女川町と言う海辺の町ですが、彼が中学生の時に通っていた中学校が、 『女川第一中学校』と言う名称の学校だったそうです。 そして彼はバスケットボール部に所属しており、 ある時対抗戦があり、 他の中学校と試合をしていた時に、同じ学校の生徒達が応援で来ており、 その生徒達か゛フレー、フレー女川中! と大きな声援で叫び始め、何度か応援する内に、 フレー、フレー、女川中!から…フレー、フレー、女中! になり……? 当時まだ、多感だった中村さんは凄く恥ずかしかったそうです!(笑) と言う様な、お話をしておりました。 そして、中村さんが席を立った時に私は握手をしていただき、少し話しをさせて貰いました。 今でも良い想い出ですね! |