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シリーズ、その2です! この話は、約四半世紀前 つまり今から約、25~27年位前になりますが……。 私が知人と一緒に、東京の中野区方南町にある、 スナックへ飲みに行った時の事なのですが! 因みに、スナックと言っても、その店は巷にあるファミレス程の広さはありました。 そして、約一時間位経ったでしょうか? 隣のボックス席から、 あれっ?どこかで聴いた様な声と、その喋り方? えーと、誰だったかなぁ?と思い、何気に隣の席を見てみたら、何とそこには 学園ドラマで有名な、 『中村雅俊』さんが座っていたのでした! そして、その他には業界関係者らしき、男の方と、かなり綺麗な女性がおり、よく見たら奥様の、五十嵐淳子さんでした! そして、そのスナックには2時間程度、中村雅俊さんはおりましたが殆ど、彼が話をしており、連れの男性は楽しく笑っておりました。 そして、私も何気に耳をダンボにして、話を聞いてみたら、中村家では当時サイン会ごっこと、言うのが流行っており、朝中村さんがリビングルームに居ると子供達が手に、紙とペンを持って来て「パパ!サイン頂戴」と言って、駆け寄って来るそうな……。 何でも、彼の自宅の前に、大体いつもファンが居て、それを子供達が観ていて 、その真似をしているのだそうです。 それともう一つ、 中村雅俊さんの故郷は、宮城県の女川町と言う海辺の町ですが、彼が中学生の時に通っていた中学校が、 『女川第一中学校』と言う名称の学校だったそうです。 そして彼はバスケットボール部に所属しており、 ある時対抗戦があり、 他の中学校と試合をしていた時に、同じ学校の生徒達が応援で来ており、 その生徒達か゛フレー、フレー女川中! と大きな声援で叫び始め、何度か応援する内に、 フレー、フレー、女川中!から…フレー、フレー、女中! になり……? 当時まだ、多感だった中村さんは凄く恥ずかしかったそうです!(笑) と言う様な、お話をしておりました。 そして、中村さんが席を立った時に私は握手をしていただき、少し話しをさせて貰いました。 今でも良い想い出ですね! |
自分が小学生の時にクラスで流行った、謎々です! 『鉄100㌔と綿(わた) 100㌔どっちが重い?』 と言う謎かけですが当時、余り思考力がなかった私は、すかさず「鉄100㌔だよ、決まってんじゃん!」と答えて、周りのクラスメート達から冷ややかな視線を浴びていました……。 それでも、私は答えである、『どちらも同じ重さだよ』と言う意味が、 やはり余り、理解力がなかった私は、クラスの中で一番の知恵者である、 学級委員の所へ行き、 その解答を易しく、解りやすく教えて貰い、 彼曰く『それはね、体積の問題なんだよ!』 私は余計混乱したが、 よ-く考えて、やっと理解した。が、「誰だよ、こんな変な謎々考えたの!」と心の中で叫んだ。 (笑) さて、長い前置きになりましたが、 時々想う事がありまして、 このまま一人暮らしで生きて行った方がいいのかな? と思ったり又、 このまま独りでは淋しいし、誰か気持ちが通い合い、好きな人と一緒だったら人生が楽しいだろうし、仕事の励みにもなり、色々な意味で人生のプラスになっていく事だろう。 と、想ったり 勿論、ウェイトは後者なのだが…。 まるで、人生の謎々だな…解けるかな? 又、学級委員に答えを聴きに行きたいな……。 |
自分は今47才ですが、 人生の節目って、例えば20才、30才、40才、50才…… と言う様な年齢に於いて、その時に見合った、ふさわしい、位置と言うものが、あると思います。 あと3年で、私は50才になりますが、その時の自分の位置は例えるならば、 (階段の)゙踊り場"に差し掛かっていると思う…。 なぜなら、その踊り場に立って下を見てみるといま迄の自分自身の人生…生きて来た過程が観えるだろうし又、上を見てみると、 これから先の残された人生をある程度予測出来るだろう…… これ迄の自分の生きて来た、若しくは経過して来た時間を思う時、 自分の人生の残りは、まだまだある! と言う概念ではなく、又マイナス思考でもなく、 もうあと残された時間は多くはないと思っていた方が、 何か日々を大事に、 暮らして行ける様な気がする……。 |
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