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言葉には温度がない。 ただの文字の羅列にすぎない。 ひとつひとつの言葉には、意味があって、使われ方ひとつで、読まれ方ひとつで。 変わってしまう万華鏡のようなものでもある。 言葉は用い方によっては、凶器にも、お守りにもなる。 たとえ、言葉が本心からのものでなかったとしても。 その言葉を真実だと信じれば、真実にもなる。 自分がそうだと感じることで、言葉は意味や力を持つのだ。 言葉の力を信じない人は、言葉に惑わされたり、溺れることがないけれど。 救われることも、決してない。 魔法の言葉をどれだけ好きな人に贈れるか? 相手を想う気持ちがあれば、自然に言葉はあふれてくるはず。 言葉の力は信じるひとにだけ、届くのだ。 |
わたしにはわたしの恋愛観があり、大事にするものがある。 好きな人の前では、可愛くありたいし、「きれいだね」って言われたいし。 女として認められたいと思う。 好きな人には、いつも男前でいて欲しいし、清潔感のあるかっこいい人であって欲しい。 それは外見の見た目の、顔の造作が整ってるとかではなくて、男性としての生き様みたいなものが、顔にきちんとあるってことが大事。 清潔感は男女ともに必要だし、常に自分を磨く努力はしなくちゃいけないと思う。 わたしは好きな人に求めるものが多いのだろうか? 好きって、いつも言って欲しいし、愛情は言葉と態度で示して欲しい。 自分も相手には同じように気持ちを贈りたいし。 それが重く感じる人もいるかもしれないけど。 いくら好きあっていても、何年付き合っていても、いつも、いつでも「好き」とか、愛情表現は目に見える形で、してもらいたい。 求めるものが多いのかな? めんどくさいって、思われるタイプであるのは、他ならぬ自分自身がよくわかってる。 けれど。 恋愛観は曲げられない。 同じ価値観じゃなきゃ、一緒には歩けない。 大事なことや大事なものは、目に見えない。見えないからこそ、表現する必要があると思う。 |
わかってくれるでしょう? とか。 態度で示してるから、いいだろう…だとか。 何も言わなくても、大丈夫だって思うのは、とてもデンジャラス。 自分はわかっていて当たり前だけど、相手には届いてないことだってあるわけで。 いかに態度で表してみても。届いてないことはある。 示してみせたものを受けるアンテナの感度は人によって違うのだし。 何も言わなくてもわかるはずーとか、態度で示してるからじゅうぶんでしょ?ーみたいな思い込みは、独り善がりにすぎないから、気をつけないといけない。 自分と相手は、まったく別の人間なのだから。 理解しあったり、つながるためには、いつでも、くどいくらいに、形を示しておくことも必要だ。 |
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