原稿など何度も目を通しても後で誤りが一つや二つ出てくるのが悩ましい 今月の三日にあった学会発表の予稿集用原稿も後で見直すと 言葉足らずで誤解されそうな言い回しや表現など、内容的な ことだけでなく、単純な誤字の類が一カ所見付かった。 「製作」が「制作」になっていたのである 恐らくは誰にも気付かれないし、指摘されることもないだろうが 本人的には非常に気になるものである ところで、子どもの頃から間違い探しは得意で教科書の誤植を 発見したこともあった 高校までの教科書は検定制度があるので、誤植は極めて珍しい 出版社の校正と威張った奴らの検定と二重のスクリーニングを すり抜けるのだから並大抵のことではない 一度目は小学校の時、社会科の教科書で説明用の写真が 間違って関係ないものになっていたとき 二度目は高校の英語で単なるスペルミス 世の中、漫然と見過ごしている中に意外と誤りは多いもの 実は、先程ある判決文に誤字を発見してしまった 東京簡裁の判決文である 最近は下級審事件も判決文が公表される機会を 増やしているので裁判官もより一層注意が必要だ 簡裁の判事は多くの場合に司法試験に通っていないなどという そういう次元の差ではなく単純に人間としてのミスなのだろうが 堂々と名前入りで公表されるのだから非常に恥ずかしい 法律の誤植というのもあるが、法の条文の場合には執筆者は オフィシャルには氏名を公表されないから、誰が書いたのか 分からないので恥ずかしいのは本人の内心だけで済む もちろん効果としては当事者のみを拘束する判決よりも 全国民を拘束する法律の方が大きいから、 ことの重大性としては後者の方がより深刻である 具体的には、いつの時代にも何時まで経っても六法の出版社に 誤植を指摘する電話が掛かってくることなどが挙げられる 単純な誤植でも出版社が勝手に校正して正しい字で印刷して 発行することは出来ないから仕方がないのであるが 何の落ち度もないのに文句を言われ、その度に無知な購入者に 説明しなければならないのだから、非常に気の毒である 今回の発見は、「未だ」という文言に「今だ」と書いている 誤りであるが、これは日本語変換の機能では出てこないので ワープロ時代に有り勝ちなそれではなく 態とやっている可能性もある 実際、国語的に「未だ、未だに」と「今だ、今だに」の関係は 諸説有って、教育方面など通説として社会を支配している どちらも誤りとする全否定に対して 今以て・・・、今でも・・という意味で用いる場合には 後者を用いるべきという意見もあるようなので あえて使ったという見方も出来るが 一部肯定説の中でも、その多くで、尚誤りとされる 「未だ・・・ない」という使い方なので 「今だ」は、裁判官としては用いるべき表現ではないだろう |