時は関ヶ原の前夜。 徳川家康と石田三成との対立が過熱してきたころのこと。 三成はかねてから上杉家の家老、直江兼継(NHK大河・天地人主役)と示し合せていた。 上杉が北で徳川軍をむかえうち三成が西から挟み撃ちにすると。 やがて徳川を挑発する直江状をきっかけに上杉討伐が始まるのである。 そのころ三成はというと地元の佐和山城に蟄居、謹慎させられていた。 だがこの機をみて家康への弾劾状(豊臣家への不忠、裏切りを述べた書状)を発布する決意をする。 反徳川ののろしをあげるわけだがそこにある男との友情のエピソードがあった。 三成は徳川との決戦を盟友・大谷吉継にうちあけ参加を願った。 彼は友である吉継に事前に相談することなく対徳川の策を巡らしていた。 吉継ならこの計画に必ず反対するであろうと思い言いそびれていたのである。 家康はまだ牙を見せてないがいつか豊臣を脅かすので今討たなくていけないと説得する三成。 今はまだその時ではない、ここは徳川と上杉の仲介をしてはどうかと訴える吉継。 だが三成の表情はやや曇った。。 「おぬしまさか!」 「すまぬ。。吉継、上杉とは密約がある。裏切るわけにいかぬ。」 「三成、おぬし、死ぬぞ。家康には勝てぬ。」 会談は決裂し吉継は上杉討伐に向った家康の元へと出かけていった。 北国へ向う吉継の脳裏にある日の茶会のようすが想い出されていた。。 吉継はこのとき、身体中の皮膚がただれ目も見えなくなるなど重病であった。 茶会でお茶がまわってきたとき不覚にも鼻水が茶碗に落ちた。 (顔からの膿とも言われるがそんなことはどっちでもいい。) そのあとの武士たちは病気がうつるのを恐れ口をつけない。 次々と茶碗はまわっていくが空飲みをして次にまわすのだった。 (仕方のないことだ。。) 最後に三成にお茶がまわってきた。 (三成。。) すると彼はそれを高々と持ち上げすべてを飲み干したのだ。 (!!。。。) 「全軍、止まれー!今から我は引き返すっ!」 (三成を見捨てるわけにはいかぬ、今こそやつに応えなくては!) 佐和山城に返ってきた吉継を三成は両手をとって出迎えた。 「吉継!共に家康を討とうではないか。」 「わしはもう目もみえず先はない、この命おぬしにあずけた。」 「吉継。。」 やがて関ヶ原の戦いが始まった。 形勢は互角であったが小早川らの裏切りにあい三成の西軍は敗退。 吉継はまさに三成の盾となり戦場に散っていった。 この戦国時代、友情という概念はなく利で結ばれることがあっても 友といえる間柄は皆無だったという。 だが三成と吉継は豊臣家の小姓時代からお互いを認め合い 友情を深め、共に戦い、この一戦に命を懸けたのだった。 |