こんにちは 先日、とても幸せそうな女性に会いました。 傍からみたら、すべての物を持っている何不自由のない方で、この余裕の優しさは満ち足りた生活からなのかな・・・なんて思いながらお話をしていました。 でもお話をしているうちに、若い頃は「幸せは何か?」ということを悩んでいたそうです。 最後に、「幸せとは心の中にあるんですよね。」っておしゃっていました。 その言葉がとても印象に残っていました。 そして、今週の雑誌「PRESIDENT」が幸福論についてでした。 今回の特集、面白かったですよ。 幸せは、従来の経済を安定させて不安を一掃することは不可欠であるけれど、そればかりでなく心の問題(思考のあり方)のアプローチが必要になってきているではと。 幸福を感じる「心」をどう作れるか。 ある賢者の著書も紹介されていたんですが、心がすっきりする言葉がたくさんありました。 たとえば、喜びも悲しみも上機嫌も不機嫌も伝染すると。 上機嫌でいることが幸福を引き寄せるですね。 普段の生活では、不機嫌なこと、苛立つ事もあります。 感情と気分だけで生きていると嫌なことに遭遇したときに、不幸怒りの感情におぼれてしまう。だから感情に流されず「今はつらいけど明日は明るくなる」と意思の力で楽観主義に立つ。幸福を得るにはそれが大事だと。 などなど。。 お時間があれば、是非目を通してもいいと思います! |
過去のコメント
『自分が幸せになりたいと思っているうちは幸せになれない。 誰かを幸せにしたいと思ったとき幸せになれる。』
って言葉が僕は好きです。
って言葉が僕は好きです。
スカにはスカの悩みや幸福が
富豪には富豪の悩みや幸福があるのでは、と
失業してみて思いました。
自分が体験してみないと
自分がその立場になって見ないと
その時の、悩みや幸福は分からないと思います。
時間は、止まる事が無いので状況は
絶えず変化しています。
頭の中の考え方も、たえず変わっても
良いし、仕方の無い事だと思います。
なにが不幸で、なにが幸せか
人それぞれ、時それぞれで違いは大きいと思います。
最低限なような最高のようなものは
健康で、元気に気持ちよく働ける事だと
今は思います。私の場合はですよ!
明日は、気が変わっているかも知れません(笑)
富豪には富豪の悩みや幸福があるのでは、と
失業してみて思いました。
自分が体験してみないと
自分がその立場になって見ないと
その時の、悩みや幸福は分からないと思います。
時間は、止まる事が無いので状況は
絶えず変化しています。
頭の中の考え方も、たえず変わっても
良いし、仕方の無い事だと思います。
なにが不幸で、なにが幸せか
人それぞれ、時それぞれで違いは大きいと思います。
最低限なような最高のようなものは
健康で、元気に気持ちよく働ける事だと
今は思います。私の場合はですよ!
明日は、気が変わっているかも知れません(笑)
幸とは 無心の心
良寛さんの生きざまをみれば おのすとわかるはず
物質文明と欲に塗れた心に満たされる事はない
身軽に成れば成るほど沢山の幸を感ずる事でしょう
野良犬
良寛さんの生きざまをみれば おのすとわかるはず
物質文明と欲に塗れた心に満たされる事はない
身軽に成れば成るほど沢山の幸を感ずる事でしょう
野良犬
こんにちは
PRESIDENTの文章よりも、お客様のコメントの幸せ論がわかりやすいです
PRESIDENTの文章よりも、お客様のコメントの幸せ論がわかりやすいです
こんばんは、
ええそーです、伝染しますよ、
今日もネガティブ一直線、人生後ろ向きに全力疾走の仮名ライターです。
もれなくダークなオーラも付いて来ます(^^)。
ヒト様を高みから見下せるほどの『幸せの余裕』、良いですね。
常に『せめて人並みに・・・』と思い、足掻いている虫けらのワタシからすれば”夢のようなお話”です。
幸せが幸せを呼ぶ方程式とでも申しましょうか、お金はあるところに貯まる、貧乏人はどこまで行っても貧乏人、
しかし、不幸だからこそ、ほんの小さな幸せを大きく感じられるということもあるのです。
握り飯はどこで食っても握り飯です、しかし、苦しい思いをして登山をし、山頂で食う握り飯はどんな豪華なフランス料理にも勝るうまさを持っています。
コンビニで金払って食うだけではこのうまさを味わう事は出来ません。
人間豊かなだけじゃダメなんですよ。
幸福ばかり食らってちゃ偏太りの肥満体になってしまう。
ほんのささやかな幸せを”幸せ”っと感じられるかどうか?
それを感じられる、掴む事の出来る人間でいるために普段は不幸で良いんです。
そりゃあ大きな幸せには憧れるし羨ましいと思いますがね(^^;。
ええそーです、伝染しますよ、
今日もネガティブ一直線、人生後ろ向きに全力疾走の仮名ライターです。
もれなくダークなオーラも付いて来ます(^^)。
ヒト様を高みから見下せるほどの『幸せの余裕』、良いですね。
常に『せめて人並みに・・・』と思い、足掻いている虫けらのワタシからすれば”夢のようなお話”です。
幸せが幸せを呼ぶ方程式とでも申しましょうか、お金はあるところに貯まる、貧乏人はどこまで行っても貧乏人、
しかし、不幸だからこそ、ほんの小さな幸せを大きく感じられるということもあるのです。
握り飯はどこで食っても握り飯です、しかし、苦しい思いをして登山をし、山頂で食う握り飯はどんな豪華なフランス料理にも勝るうまさを持っています。
コンビニで金払って食うだけではこのうまさを味わう事は出来ません。
人間豊かなだけじゃダメなんですよ。
幸福ばかり食らってちゃ偏太りの肥満体になってしまう。
ほんのささやかな幸せを”幸せ”っと感じられるかどうか?
それを感じられる、掴む事の出来る人間でいるために普段は不幸で良いんです。
そりゃあ大きな幸せには憧れるし羨ましいと思いますがね(^^;。