こんにちは。 前回に続き、acchan誕生秘話【高校編1】をお話したいと思います。 (いつも長くてすみません、1回に書ききれませんでした) ・・・・ パソコン少年まっしぐらだったあっちゃんも無事中学を卒業して地元の高校に通うようになりました。 高校は進学校だったので男女比が一定ではありません。確か2:1くらいの男女比でした。 でもその頃は全く恋愛感情などもっていなかったのでなんとも思っていませんでした。(^^; そして高校でどんなサークルに入ろうかと思ったとき、見つけてしまいましたパソコンがある部を。「物理部」です、いい響きですね。 今から考えると「パソコン部」ってやっぱり当時はマイナーだったんですね。 高校で唯一パソコンを持っているのがなぜか物理の部なんですから。(^^; しかもその物理部、活動内容が「パソコン」「無線」「アニメ!?」でした。 最後のは全く関係がないですが、なぜか・・というか今の時代もそうですか。 パソコンが好きな人にはアニメ好きが多かったんです。 もうオタク街道まっしぐらです!! そうそう、オタクってこの頃からでてきた言葉なんですよね。 語源はてっきり宅八郎さんかと思っていたのですがwikipediaをみたら以下のようなことが・・。 秋葉原(電気街)とオタクの関係については、1960~70年代の中学~高校世代のアマチュア無線家やオーディオファン、1970年代になって現れる初期のパソコン嗜好者たちが秋葉原の専門店で、大学のサークルや研究室で、顔見知り程度の愛好家仲間の間で、「お宅はどのようなアンテナをお使いですか?」や「お宅のスピーカーは自作品ですか?」といった会話を日常的に交わしており、1970年代の若年アマチュア無線家の多くが、当時、既に「おたく…」と呼び合っていた。 ああオタクって秋葉でのパソコンや無線だったのね、と知ってある意味すごく納得しました。(ちなみに後述の大学ではオーディオPAを扱い、秋葉に毎週通うようなサークルにいました・・・) そんなあっちゃんも1つ人間らしいことが。 なんとみんなが嫌がっていた応援団に入ることに! ・・というかクラスで各委員を決めるときに一番誰もやりたがらずに残ったそれにじゃんけんで負けて決まってしまっただけというのもありますが。 これにより、放課後は物理部でパソコン・無線・アニメに励む日々と、応援団として屋上で校歌振り付けの練習を行う日々が始まります。 そういえば当時の無線はすごく楽しかったです。 今だと携帯を普通に持っていますが1990年頃の学生なんて誰も携帯もっていなかったんですよ。ポケベルも地方じゃ珍しくて誰も持っていませんでした。 それなのに物理部のオタク連中だけはポケットに入るくらいの小型の無線機を持って24時間通話無料で話していたんですから。 しかも結構な距離が届いて数十kmくらいは平気で届いてました。 無線の唯一のデメリットは「他人にも丸聞こえ」なところです。(^^; TVのチャンネルを変えるようにコロコロ回すと他人の話がいくらでも聞けたもんです。 でも話す方も聞かれているのがわかっているのでプライバシーに関することは全部伏字です。 逆にメリットとして、何人でも同時に同じチャンネルに入れること。 みんなで順番に「次○○さんどうぞ」って感じに回していくとみんなで会話ができます。 (同時にしゃべるとグジャグジャになりますが) 最初は部活が終わった後に夜に集まってまた他愛もない話ばかりしていたんですが、そのうちにどんどんエスカレートしていって、カラオケ大会になったり、オカマとして女のフリをしたり・・・もう「みんなが聞いている」を前提に楽しんでましたね。(^^; オカマの時は久々に会った先輩をだましきることもできました・・、ひどい。 そんなことをしているうちに3年生に。 日頃の「献身的」な部活動が認められたのか、物理部部長になってしまいました。 部長になって最初の仕事は新入生の勧誘でした。 例年、体育館で各部活の内容を新入生に発表する機会がありました。 テニス部は素振り、剣道部は試合など・・ですがさて物理部は何にしようと考えた末、当時みんなで楽しんで実験していた「ペットボトルロケット」をすることに。(空気を入れて飛ばすやつです) 「次は物理部です」といわれたとたん今だとちょっと引いてしまいますが、学生テロのように演出してみんなサングラスにマスク、軍手にヘルメット、作業服の格好で一気に壇上になだれ込みました。かたやモデルガンでパンパン打ち合って、自分はバズーカ砲の形をしたペットボトルロケットをセットして中に空気をどんどん送り込みます。 通常、各部活の発表の時、体育館の左右に構えている応援団から野次の嵐がくるのですが、自分も応援団です。そのバズーカ砲を応援団に向けると全員引きつった顔に! そしてついに体育館の天井に向けて発射です! しかし!!予想外に飛んでしまい天井にドカンとぶつかって新入生のもとへ落下しました。 壇上もずぶ濡れになってすぐにモップ隊が出動です・・・。 こんなとんでもない発表を物理部として行って、当然先生からも大目玉をくらってしまいました。(でも一応物理の実験ですね) そうして翌日、新入生の部活動初日、数名くらいはくるかなと思ったら、なんと物理教室いっぱいに40-50名くらいの新入生がきて立ち見が出るほどです!!しかも女の子までいます!! 全く予想していなかった状況にこちらが大慌てです。(そもそも2、3年生合わせたって10名もいないんですから) とりあえず日々の物理部の「楽しい活動」を説明して解散しました。 しかし数日後には予想通り、ツワモノだけしか入部届けを出しませんでした。(^^; ・・・・ そろそろ紙面も尽きてきましたのでまた次回。 (3000文字って結構短いですね) |
過去のコメント
>さくらままさん
実はパソコンでプログラムって芸術とかと同じじゃないかとおもっています。
その人の感性で今までにないものが創造されて、しかもそれを使って皆さんに喜んでもらえる。
しかもパソコンのいいところはコピーもほぼ無料でできることです。
音楽や芸術も違法コピーされてしまうこともありますが・・、作者がどうぞ使ってくださいという気持ちで作ったソフトであれば、それによってたくさんの方の笑顔が生まれるのです。
結局人に喜んでもらえることが最高の報酬なのでしょうね。
実はパソコンでプログラムって芸術とかと同じじゃないかとおもっています。
その人の感性で今までにないものが創造されて、しかもそれを使って皆さんに喜んでもらえる。
しかもパソコンのいいところはコピーもほぼ無料でできることです。
音楽や芸術も違法コピーされてしまうこともありますが・・、作者がどうぞ使ってくださいという気持ちで作ったソフトであれば、それによってたくさんの方の笑顔が生まれるのです。
結局人に喜んでもらえることが最高の報酬なのでしょうね。
>まささん
ああそうなんですか。
無線がはやっていた時期もあったんですね。
ぜんぜん知らずに入っていました。
今では当たり前の携帯電話無料通話をその頃からできていたと思うとちょっと感慨深くなりました。
ああそうなんですか。
無線がはやっていた時期もあったんですね。
ぜんぜん知らずに入っていました。
今では当たり前の携帯電話無料通話をその頃からできていたと思うとちょっと感慨深くなりました。
はじめまして
acchan誕生秘話、興味深く読ませていただいています。
興味を持って始めた事がプログラムを作ることにたどり着き、そしてまた改良を重ねていく、
PCを何かの手段のために使っている私などには、その技術力は底知れないものがあるのだと思うのですが
それはきっと
こうしたいと思う事が実現する喜びに繋がるからなのかも知れませんね。
こうしたいと思うものはいろいろありますが、
それを実現させるためには日々精進が必要なのだと
あらためて思った次第です。
acchan誕生秘話、興味深く読ませていただいています。
興味を持って始めた事がプログラムを作ることにたどり着き、そしてまた改良を重ねていく、
PCを何かの手段のために使っている私などには、その技術力は底知れないものがあるのだと思うのですが
それはきっと
こうしたいと思う事が実現する喜びに繋がるからなのかも知れませんね。
こうしたいと思うものはいろいろありますが、
それを実現させるためには日々精進が必要なのだと
あらためて思った次第です。
いつも、お世話になっております。
青年編1拝読いたしました。
すごく懐かしく読ませて頂きました。
今回は無理せずに「その1」「その2」みたいになったのでとても読みやすかったです。
あっちゃんさんが高校生の時、私は社会人5年目でした。会社で、アマチュア無線のクラブがあるくらい当時は、無線がはやってましたね。会社のクラブのコールサインもたしかJQAXXXだったかと思いました。当時としては
アマチュア無線が始まってまもなくの登録と記憶しています。今はもうアマチュア無線という単語、ほとんど風化してますね。時代の古さを感じます。青年編2も楽しみにしております。
青年編1拝読いたしました。
すごく懐かしく読ませて頂きました。
今回は無理せずに「その1」「その2」みたいになったのでとても読みやすかったです。
あっちゃんさんが高校生の時、私は社会人5年目でした。会社で、アマチュア無線のクラブがあるくらい当時は、無線がはやってましたね。会社のクラブのコールサインもたしかJQAXXXだったかと思いました。当時としては
アマチュア無線が始まってまもなくの登録と記憶しています。今はもうアマチュア無線という単語、ほとんど風化してますね。時代の古さを感じます。青年編2も楽しみにしております。
>カズさん
そうですそうです!
144メガと430メガでした!
ほんと懐かしいですね。
田舎だと人も少なくてチャンネルもいっぱいあった無線も、東京にでてきてあまりの混雑にすぐに諦めてしまいました。
田舎だからこそ無線も楽しかったのかもですね。(^^;
そうですそうです!
144メガと430メガでした!
ほんと懐かしいですね。
田舎だと人も少なくてチャンネルもいっぱいあった無線も、東京にでてきてあまりの混雑にすぐに諦めてしまいました。
田舎だからこそ無線も楽しかったのかもですね。(^^;
こんばんは~
今回は、専門用語が無く読んでいて自分の顔が微笑んでるのに気が付きました。
自分も無線をやっていたからよけいです。
だた、CB無線主流の時代でしたし、チョクチョク「他人にも丸聞こえ」を忘れてました。
おかげで、通っていた中学時代の先生が突然自宅にやってきて叱られた事もありました。
あっちゃんの時代は、144メがか430メガだと思いますがCBの27メガ帯はテレビアイやアンプアイがひどくて
ご近所の方から、テレビから「今から夕刊配達行ってくるよ!」なんて声が出たとか
音楽をカセットに録音したら○○君の声が時々入ってる等など
自分も、オタクだったんですね(笑)
もう500文字いっちゃうかな?
また、続きをお願いいたしますね~(^^♪
今回は、専門用語が無く読んでいて自分の顔が微笑んでるのに気が付きました。
自分も無線をやっていたからよけいです。
だた、CB無線主流の時代でしたし、チョクチョク「他人にも丸聞こえ」を忘れてました。
おかげで、通っていた中学時代の先生が突然自宅にやってきて叱られた事もありました。
あっちゃんの時代は、144メがか430メガだと思いますがCBの27メガ帯はテレビアイやアンプアイがひどくて
ご近所の方から、テレビから「今から夕刊配達行ってくるよ!」なんて声が出たとか
音楽をカセットに録音したら○○君の声が時々入ってる等など
自分も、オタクだったんですね(笑)
もう500文字いっちゃうかな?
また、続きをお願いいたしますね~(^^♪