最近、他人の話を聞いていて“分かりません”とか“私には早すぎます”と言う返事を良く返すようになった。何故そう言うようになったかと言うと…。 一つは年をとって、分ったふりをする…いわゆる“ええかっこ”をしなくなったこと…と。もう一つ…自分自身が誰かに伝えたい話をしたとして、私の話を半分も理解する人が、先ずいない…と割り切れたことだ。 分からないと言わなかったら、相手は私が分かっている気になって、どんどん次の話を重ねてくる。話が終わって振り返っみて、分かったような…分からないようなグレーな経験をいっぱいしてきて、自分だけでなく、ほとんどの人が分かっているのか、分っていないのかが分からなくなりながら相手の話に相槌を打っていることに気が付いた。 だから、他人の話を聞いて、一部でも自分の物にしたいと思えば“分かりません”と、言って、相手に立ち止まってもらったほうが懸命なんじゃないかな? そんな自分を、物分りの悪い奴だと指摘され、そこのところを責められても…仕方のない事だと思えばいい。だって、本当にそうなのだから…。 気落ちせずに、そういう人も大して自分と変わらないのに、気が付いてないんだ…くらい思ってもいいんじゃないかなー。 ただ、私は“分かりません”と、言って、ちゃんと答えてくれた人の話は自分のものにしているよ! あなたも、勇気をもって、もっと“分かりません”と言ってみたらどうだろう。理解しようとする素直な自分が見えてくると思うよ。 鈍才の私の話なんか耳を貸さないほうがいいかもね…。 |
去年もちょうど今頃…関西の高校生ブラスバンド部のコンクールがあったが、今年も関連イベントとしてNHKのロビーで行われたOBバンド(大学生・社会人)のコンサートの音響 (正確に言うと荷物運び)の仕事に朝から汗を流した。 昼から町で行われた夏祭りのイベントの準備にでかけ、また汗を流した。 夕方、またNHKの会場に戻り機材撤収を手伝って、また汗を流した。 久しぶりに、一日中体を動かしたが、おかげで今朝体重計に乗ると、思ったより軽くなっていた。 小顔になるために歯茎の周りを、舌を回したり、ロングブレスダイエットをやったり、腰を回したり、体幹を鍛えるために腹筋背筋側筋しているけど、もう少し全身運動したほうが効果あるのかな…。 今のままじゃースポーツマンとは言えないし、今からスポーツ頑張って、オリンピック目指そうかな…。 …なんてこと言ったりして… 馬鹿だね…俺は…。 …ったく…。 |
山のなかに住んでいる私は、町で酒を飲むと家に帰ることが億劫になり、枕が変わっても眠れるので、よくホテルに泊まる。 だいたい…どの宿泊施設も金曜・土曜は強気で料金を高めに設定しており、日曜日と平日は安くなる。基本…安く泊まりたい私は、金土に酒は飲まないことにしている。 昨日の日曜日に酒を飲む予定を入れていたので、金曜日に予約を試みたが満室で取れない。空室があっても料金が高い。町のどこかで学会があったりするとホテルの全室を抑えられてしまうことはあるが、昨日に限ってはそんな情報は入ってこなかった。そこで少し遠くの(町の人達は島のホテルと呼ぶ)ホテルに問い合わせ、やっと部屋を確保することができた。 酒を飲んで気持ちよくなってから、以前にも何度か泊まったことのあるホテルのフロント前まで行ったら、今までにない混雑ぶりにびっくりした。フロントの女性に“忙しいね!”って言ったら、“そうなんですレストランも満席で…、急に予約が入ってきてびっくりしています。”と言った。客層を良く見ると子供連れがほとんどである。 やっと満室の理由が分かった。夏休み最後の日曜日にお父さんが子供達にせがまれ、月曜に有給休暇をとって家族サービスをしているのに違いない。 案の定、今朝はUSJ行きの観光バスが数台…ホテルのエントランスに並んでいた。 ニッポンのお父さん頑張れ! 朝食バイキング会場には、昨今の世界情勢と言うか…中国語が飛び交っていた。 中国のお父さん頑張れ! 英語も飛び交っていた。でも英語は単身のビジネスマンみたいだったなぁー。 観光バスの出発前に、私はホテルを後にして仕事場に向かった。 でも、島のホテルに泊まるのなら、今度から家に帰ろっ…と。 |
人の誰もが、もし今の自分を…選んで生まれてきたとしたら、きっと自分がどのような死に方をするか…最初から分かっているのに違いない。死の間際の最後の瞬間に何を思うかを知っているのに違いない。 自ら望んだ人生の最後の瞬間にたどり着くために、悩み苦しみ、笑い、涙を流し、痛みを感じ、胸の熱くなる思いを経験しながら生きていく。それは最後の瞬間を迎えるために必要なことだから…。 そして、体の機能が停止する直前に、それまで生きてきた人生を振り返り、その少し先に死が訪れた時に、自分の望んだ人生を歩み終えたと…思い出す。 そう考えると、誰しもが…今…自分の思い通りの人生を生きている。 だから、不服なく今を生きるべきだろう。 |
プリンターが壊れたので家電量販店に買いに行った。品揃えを見ると思っていたより安価で一瞬安心したが、説明を受け、これだと決めて、レジを済ませた直後に、店側の思惑にはめられた自分に気が付いた。 プリンター本体の値段が\17,000.で、予備に買ったインク1セットが\5,000.…。まさに、 …んな…アホなー…である。 明らかに彼らは、電化製品の販売ではなく、インクを売ってもうけようとしている。 そのからくり話を、仕事で打ち合わせに来ていた企画会社の担当者に話したら、ちょうど彼は前職が、キャノンの営業職だったと打ち明けられ、全くその通りと相槌を打たれた。 彼の説明によると、儲け頭のインク価格を守るために、純正のインクを使用しないと故障の原因になり、責任が持てないと説明書に明記されているらしい。 さて、高いインクを買い続けるか…、ネットで安価なインクを探してみるか…。 そんなことで悩むより、考えてみると家電量販店に行って、値切らずに帰ってきてしまった。やられっ放しである。 くそっ…。 |
物の価値は、他人が決めるものだと思っている人が多いと思う。なんでも鑑定団なんて番組みていると、持ち主が高価な品だと思っていたものが、二束三文に評価されたり、思っていた何倍もの価値があると鑑定されたり…、番組を見ている一般人は、自分に縁のない品物の価格が掲示されて一喜一憂しているが、結局…鑑定人は売りたい人と買いたい人の間に入って…過去の取引金額の前例から値札を上げているだけに過ぎない。 全ての物の価値は、需要と供給のバランスから生まれてくるわけだから、もしダイヤのような加工しにくい石が屑石で、加工しやすい石が価値のある世界に行ったら、価値感なんて全く逆転するかも知れないよね。 物の価値は自分のなかで生まれ育つものだと思ったら、物質ではなくて、出会いや別れや、その他、生まれてから経験した記憶が宝物になると思うけれど…どうだろう? とかなんとか言っちゃったけれど、私は人生経験上、一般的な物の価値は分かるけどね。だから、自分の宝物に鑑定人が高い値段をつけてくれたら…やっぱ…喜んじゃうかな? まだまだ私は、俗人ですな…ハハハッ…. |
ギターの先生に“最近ギターを弾いていて、一度弾いた演奏が二度とできないことを思い知って、それが楽しいんです。”と言ったところ、“そうでしょ…そこのところが分かってきたんだね。おめでと。でも他のギターの教室で同じことを言ったら通じないよ。日本の音楽教育は一つの模範演奏と言うのがあって、全ての演奏家が間違わずに同じように弾くことを目指して指導してるからね。考え方によっては粗探しをしてるようなもんだから…、うちの教室くらいのものじゃないかな…模範演奏しても評価されないのは…。人間だから二度と同じ演奏なんてできるわけがないんだよ。”と、おっしゃった。 続けて先生はおっしゃった。 “下手くそでも、それなりに評価されるのよね。うちの生徒にはね…。そんな教室なのね…ここは…。要するに先生があまり教えてないってことよね。” この教室が、ますます好きになった。 しかし、私の演奏は教室を出たら、全く評価されないかも知れない。 でも、それはそれでかまわないと思う。自分自身のために練習しているんだから…。コンテストなんて目指してないし…。 私は確実に先生に洗脳されている。 |
今夏、節電を心掛け、私一人分のデスクしか置かれていない会社のオフィスでは、ほとんどクーラーのスィッチを入れなかった。そして都会から離れた山の中にある自宅の寝室では平地と比べて2~3度の温度差はあるし、全くクーラーを使用せずに乗り切った。自分ながら、頑張ったと思う。 今朝、会社に来て真っ先に、建物内に貼り出していた“節電ご協力のお願い”というチラシを剥がして回った。 ともかく8月は乗り切った。 暑さのせいにしては、いけないのだが、夏の間にやっておかねばならないことを…やり残して…今、気になっていることが幾つかある。そのうちの一つが絵本作成である。プリンターが壊れてしまったという言い訳もあるし…、なにより暑さで集中力が継続できず、取り掛かりのタイミングを逃してしまった。 昨日、車を運転中に歴史研究家から電話がかかってきて、“IT通信器具について教えてほしい。”と伝言メッセージが入っていた。返事しそびれていると “先ほどの伝言の内容は忘れてほしい。それより9月4日から3週間イギリスに調査旅行に出るので、しばらく会えない。健勝を祈る。”とメールが入っていた。言葉にはなっていないが研究家は間接的に絵本の進み具合を尋ねてきていると悟り、“渡英の前日で誠に忙しない話だが、絵本の件で3日の夕方にお会いできないか?”と、メールを返した。すると即座に“了解する。3日、どこでも出向く。”と返信されてきた。 さて、絵本作成で進展のない私は、明後日の午前中までに形にしなくてはならない。明日は遊びの予定を入れているし、今日一日が勝負である。 まるで、遊びに夢中で夏休みの宿題をほったらかしにして、9月になってから必死で机に向かう小学生のように、私は今から絵本作成にとりかかる。 小学生もどき私の健闘を祈っていただければ、幸いである。 |
今日…11時半からオペラのコンサートが始まる。なんでも劇団四季の関係者でソプラノ歌手だそうだ。今…リハーサル中だが、なかなかいい感じ…。 しかし残念ながら、私は昼から遊びに行くので、本番は聴くことができない。昼から10年ぶりに泳ぎに行く。考えてみれば、この10年間いろいろあった。それも今となっては、すべてがいい思い出だ。 昨夕、ピアノの調律師が入った。いつものように私の日頃の疑問を聞いてみた。 “演奏家で…いつも、変わらず同じ演奏ができる演奏家と、演奏するたびに、微妙に演奏が変化する演奏家とどちらが好きですか?” “難しいな…。同じ演奏ができるって…すごいことですよね!”と彼は、答えた。 “でも、それは技術が高いってことでしょ?”と、私は、言い返した。 “同じ演奏ができないってことは、感情の入り方の問題だけじゃーなくて、レベルがそこまで達していないこともあるでしょ…そんな演奏家は世の中に沢山いますからね。”と、彼は言った。 なるほど…と、思った。ギターの先生に同じように質問してみよう…。 調律師から聞いた話をしてみよう…。 先生は、なんて答えるかな? 少なくとも、私が演奏するたびに、違う演奏になるのは、技術も集中力も感情も成熟していないからだという事は、よく分かった。 一貫性に欠けることについて…自分と、できる人を混同してはいけない。 さぁさぁー、遊びにいこっと…。 |
私にも、いくつかのコンプレックスがある。 そのうちの一つで…ギター曲“アルハンブラの思い出”を演奏するということは、十代のときに独学で頑張ってはみたものの挫折してしまい、これについては、2年前からギター教室に通い始めて、今は取り敢えず弾けるようになった。 私のなかの大きなコンプレックスが一つ消え、心が軽くなった。 昨日、10年振りにプールで泳いでみて、思った以上に泳ぎが下手だと思い知った。私のもう一つの大きなコンプレックスは泳ぎが苦手だという事…。小学生の体育のプールの授業の時に、喘息で泳がずに陸から眺めていたツケが今でも纏わりついている。 死ぬまでに、泳ぎが下手だというコンプレックスから逃れたい。半年以内にクロールでゆっくり遠距離を泳げるようになることを目標にしようと思う。 そうしたら、私のなかの大きなコンプレックスが消えてしまう。 ストレスやコンプレックスが無くなったら、人間は生きていけるのだろうか? まぁー、いいかな。そろそろ終わっても…。 全く違う次の人生を選択できるように、できるだけ思い残すことなく、この人生を終えたいものだ。 |