一昨日、マダムの主催“チェロの演奏を聴いたあとで食事会”と言うイベントに参加した。奏者は毎年この時期…、夏休みで帰国してくるモスクワ音楽院の学生であり、今年で3回目である。 私は、毎年彼の演奏を聴いているのだが、クラシックに造詣は無い私でも、彼が毎年上手くなっていくのは分かる。 演奏が終了し食事タイムになった時、彼は私達の席に座った。私達の席のメンバーは私と同じように音楽が専門ではないようで、音楽とは異なる話題で場をつないだ。 そんななか、彼が誰に話しかけるでもなくポツリと言った。 “モスクワ音楽学院には現在40人近くの日本人がいます。毎年増えて来ているんですよ。訳の分からない金持ちの子供が…。” 私は、彼の話を聞いて、彼の言うところの訳の分からない金持ちとは、どんな人達か想像してみた。ところが、うまく想像できない。彼くらいの金持ちの子供は理解できるのだが…。 彼は、自分のことを金持ちの子供だと思っていないのだろうか?…なんてことが、頭をよぎった。 |
オーストラリアから一通のメールが届いた。キャンベラの国立図書館の研究員の女性の近年の研究が、国際赤十字社とスイス政府の支援を得て本になったと言うので、その全文を送ってくれたのだ。 全文英文である。英語が得意ではない私はまだ読んでいない。 そもそも彼女と初めて出会ったのは、4年前の日本で行われた彼女の講演の時だった。講演が終わってすぐに名刺交換し、翌日彼女の宿泊するホテルのロビーで面談した。その数日後、このたび完成した本のための現地調査として半日かけて、国内で埋もれた歴史となりつつある敵性外国人収容所跡地を巡る調査活動に同行した。 道のない道を進み、落下の恐れがあり通行を禁ずると表示のあるトンネルを抜け、辿り着いた先には、僅かに70年前の施設跡が残っていた。 あの時に木々の間から見上げた青空や鳥のさえずりを思い出した。 彼女は、着実に研究をつづけ、形に残している。 私も、頑張らねば…と、思った。 |
缶コーヒーの宣伝で、宇宙人ジョーンズが地球人について、ボソリとつぶやくシーンがあるが… あのイメージでこんなことをしゃべってみたら、どうだろう? 【この惑星の住人は、生物化学兵器に敏感なようだ。使用した者を兵器で報復すると言う。 しかも、一般市民を巻き添えにした…この世で最も非人道的兵器である原爆やナパーム弾や焼夷弾を使用した国が報復すると言うのだ。 通常爆弾やミサイルの使用が許されているように聞こえるのは私だけだろうか? この星の住人は、都合の良い正義の楯と矛をかざして、これからも殺戮を続けるように思う。】 決して、科学兵器の使用を容認するわけではないけれど、この状況を子供達に伝えるには、どうしたらいいだろう?と思うと悩んでしまう。 |
今朝、電車に乗って座っていたら、老人っぽい身なりのおばあさんと若作りのおばあさんが乗ってきた。思わず席を立とうとしたが、一瞬気になったことがあり機会を失った。 最初、二人のおばあさんは母娘のように見えたので、私はお母さんに席を譲ろうと思ったのだが、よく観察すると友達同士の会話だと分かった。その状況で年寄に見える方に席を譲るのも失礼な気がして結局座り続けてしまった。 身なりや化粧、髪型で、これほど年齢の違いを感じるのかと思い知った。 私も若作りしよ…っと。 でも年寄に見られたほうが譲ってもらえて得かな? 私が席を譲られるようになるのはあと何年先だろうか? いつまでも元気でいたな! |
昨日、私のホールで、あるピアノ教室のピアノの発表会があった。半年毎に開かれ今回が3回目である。このピアノ教室では生徒の要望にきめ細かくこたえているようで、習いはじめて1ヶ月の人からプロの演奏家まで20人あまりの演奏が続く、またクラシックからジャズまで幅広いジャンルの演奏が聞けることが楽しい会だ。 腰は曲り歩くこともままならないある年配の女性に順番が回ってきた。 その彼女が弾き語りを始めると、会場が一層静かになった。大きな震えた声…ピアノが上手いわけでも唄が上手いわけでもない。しかし彼女の歌声は私の心に突き刺さるのだ。 彼女の演奏が終わり、先生が彼女にインタビューした。 すると…、彼女はマイクを握り“こんなところで、お話しすることではないけれども…、私は若い時に死のうと思って崖から飛び降りたんです。それでこんな体になってしまった。みなさん、私のような人生を歩まないでくださいね。諦めないでね。死のうなんておもわないでね。生きてくださいね!” 会場から大きな拍手がおこった。 コンサート後に、先生から彼女の話を聞いた。彼女は大きな百貨店の社長の娘として何不自由ない生活をしていたが20歳前半の時に、思う事があり自殺を図ったと言うのだ。それ以来障害を持つ身となり、今日は彼女が20歳代で作詞作曲した曲を皆さんに披露するために必死で練習してきたと言う。 彼女のおかげで、心に響く歌声があることを知った。 シャンソンが…どういう音楽か、分かったような気がした。 |
今日は私のホールで、女性ばかりの歌の発表会が行われている。ほとんどの方が70才を越えている。発表会と言っても家族や知人が聞きに来ている風ではない。歌謡教室の20名くらいの生徒が集まって順番に歌っているようである。 聞いていると、はっきり言って…みんな下手である。だが、真剣に歌っている…これは間違いない。 真剣に歌われると、それほど不快感はない。 さっきの人は“シクラメンの香り”をうたった。学生時代を思い出した。今歌っている曲は“川のながれのように”である。懐かしくて口ずさんだ。いい歌だ。 彼女たちは、誰かに聞いてもらうためではなく、みんな歌いに来ている。そう感じた時にこの会の趣旨が理解できたような気がした。 二日前に行われたコンサートの腰の曲がったおばあさんの弾き語りを思い出した。おばあさんの歌には伝えたいとう叫びあった。 今日の彼女達とあの時のおばあさんの歌との違いは、刻まれた人生の皺の深さ、背負ったものの大きさだろうか? 人の心に入り込む歌を歌うには、それなりの人生経験が必要なのだと、今日改めて…思った。 |
昨日は、家でピザを食べようと思いワインの専門店に行った。そこで私は “ピザに合う安くて美味いワインが欲しいんだけど、なにか薦めてくれます…。”と、言った。 すると…販売員は何百種類の在庫のなかから真っ先に店で一番安いワインを薦めてきた。この店はわりとちゃんとした店だから数百円のものから数十万円クラスのものまで取り揃えているのに、一番安いワインを薦めてきたのだ。 私の希望は安くて美味いワインだから、安いという注文だけが満たされたのは分かるが、ピザに合うかどうかと、美味いかどうかという部分に不安を感じ、もう少し高くてもいいよと…と、言った。すると2倍くらいの値のワインを薦めてきて、それに決めた。 ワインを買うときには、値段も条件に入れると話が早いと思った。 それにしても、客の懐具合を伺うにしても、営業として一番安いワインを最初に薦めるのもどうかと思うのだが、安さが第一条件なら店の人に相談はしないものだと分かってもいいのに…と、思うのだ。 |
私のいる町は、一応…都会だから、じっと町の動きを見ていると、世の中の流行りというものが見えてくる。 飲食店を例にとるとバブル時には、歩くとフレンチレストランにあたると言われるほどフランス料理の店が増えた。バブルがはじけた時にはイタリア料理の店がいっぱいできた。それから無国籍とかエスニックの店ができた時期があり、しばらくしてカフェが流行り出した。 カフェとかバールの時代が続いて、次はどうなるかと思っていたら、最近急に日本料理の店が増えてきた。その理由がなんであるか分からない。独立する日本料理の職人が増えている理由はいったいなんだろう。日本人はやっぱりバターやオリーブや香料ではなく醤油と出汁の文化にもどると言うのか…。それともアベノノミクスの影響で世の中が動きが出始めた証だろうか。 なにかうまい具合にまわりはじめたように思うのだが…、明るい未来を楽しみにしてもよさそうに思えるのは楽観的だろうか? なにがおこるか分からんしな…。 油断したら、あかんしな…。 |
昨日、町づくりに、研究結果を利用させていただいているある研究者と話をしていて、“彼女のそばに目先の利益を求めて近寄ってくる人達からガードして、彼女が研究者だと言う立場をまもるマネージャーのような役回りをしたい。”と言ったら、彼女は、“そう、そうなのそうしてほしいんです。”と、言った。 その後で、彼女はこう続けた。“私は研究者だけど、研究者はビジネスマンでもあるの…。私達の時代は研究を続けたければ優れたビジネスマンであれ…と、教えられた。予算を勝ち取らなければ研究室は閉鎖されてしまうんだから、どんなことをしても研究費をとりに行くという姿勢が身に付いているのよ!”と、言った。 iPS細胞で有名な京都大学の山中伸也教授が、マラソンを完走すると公言して研究費の寄付を募ったという話を聞いたことがある。 優れた研究者は優れたビジネスマンである…この意味が彼女の話で腑に落ちる。 そう言った彼女の目が穏やかな目から獲物を狙う肉食獣のそれに代わっていたのが印象的であった。 |