3月20日パーティーに出席するので、クローゼットからタキシードを引っ張り出した。震災の年の秋にイベントでモデルをエスコートして舞台まで案内する役が回ってきたのであつらえた代物だ。それ以後ほとんどずっとハンガーに吊るされたままだった。 思ったより、ズボンが苦しくなっていた。思い出せば、あの当時は毎日よく歩いたし、食事にも気を付けていた。今より体がしまっていたに違いない。 それと最近…、インフルエンザや風邪やらで、ホテルに泊まることが多く、出歩けないからコンビニ弁当につまみにビールと言う日々が続いていた。この生活がウエスト拡張のダメ押しになった。 一昨日からダイエットモードに入り、糖質と酒を絶っている。なんとか水曜までに、もう少しスリムにならねばならない。一昨日の昼は、蕎麦。昨日はフォー。今日も蕎麦。明日も昼は蕎麦になりそうだ。 今から貸衣裳屋に泣きつくのも馬鹿らしい。水曜日にはすっきりした体でスポットライトを浴びたいものだ。 もう一頑張りするぞ。頑張るぞ。 |
昨日、あるパーティーで実兄と同席した。その際、勤めた会社を3月末で辞めることになったと、ポツリと言った。62才である。60才だった定年年齢が伸びる傾向の昨今の定年事情だが、最後は関連会社の社長職まで上って62才まで働いたのだから、私の兄は優秀な勤め人だったに違いない。 兄は5年前に上場企業を一旦退職し、石川県のある関連会社に単身赴任で社長として勤めた。しかし1ヶ月前に本社から辞令が下り企業を去ることになったわけだ。 兄がポツリと言った。“せっかく、これから良くなる言う時に…。”悔しさがにじみ出ていた。 政権が自民党に移って、未来に明るい兆しが見えた矢先の辞令が残念なのだろう。 人それぞれに役目がある。厳しい時代に守りに徹して耐え抜く役、動きが出た時に一気に攻撃に打って出る役…。本社が、兄の適正をそこまで考えて配属したかどうかは分からないが、私は兄が自分の役目をしっかり果たしたのだと信じることができる。 62才…兄は白髪ではあるが、まだまだ若い。職を失ってこれから先どうするのだろう。退職を前にして、企業一筋に生きた勤め人の多くが感じる…これからの生活に対する不安が一気の湧いてきたに違いない。 兄のこれからの人生が、より楽しいものになるように、心から祈りたい。 |
ある落語家が、“笑い”とは、緊張と緩和を交互に挟むことで起こる…と、言っていたが、優れたスピーチもこの法則に当てはまることが多いのだろう。一本調子のスピーチは、どんなに優れた内容をもっていても、聞いていて退屈だ。 記憶に残るスピーチは、上げて下げて…と、波を上手く起こしている。 30年以上前に、評論家の竹村健一の講演を聞きに行ったことがある。最初から最後まで講演のテーマとは関係ない話ばかりして、講演時間も少なくなり参加して損をしたと思ったその瞬間に、竹村健一が最後の締めでこう言った。 “皆さん今日の話で、これだけは是非、覚えて帰ってください。賢者は愚社に学び、愚社は賢者に学ばず。” その時は、なんて人を馬鹿にした講演なんだと思ったが、檀上でパイプをくゆらす彼の様子がいまだに鮮明に私の頭に焼きついている。考えればそれだけインパクトのある締めだったと言わざるをえない。 スピーチなんて、計算された緊張と緩和も大切だが、最初っからその場に関係なくても、思いついたことを、どんどんしゃべって、最後の一言だけ心に残ることをしゃべる…なんてのも、ありだろう。 ともかく、しゃべることが苦手な方は、プロしゃないんだから、みんな自分のスピーチなど、真剣に聞いてはいないと思って、最後の締めだけ押さえて、気楽におしゃべりすればいいんだと思う。 |
葬式でも結婚式でも、儀式と言うものは進め方にパターンがあり、所謂…葬儀屋や結婚式屋はパターン通りに進めることで予定時間内にすべてが終わるように段取りを組んで、一日に何組もの儀式をこなして利益を上げる。 昔の結婚式は、何日も続いたと聞いたことがある。最初の日は親族が集まり、二日目に新郎の友人が集まり、三日目が新婦の友人と言うように…、その間、新郎新婦は常に人目に晒され、親族や近所の人が祝宴の準備を延々と続けたと聞く。 昔は、村のなかにいる人だけで式が行えたが、世の中が進んで人間の行動範囲が広がり、友人や親戚が東京や海外に散ってしまい、集まる時間を短縮しないと、みんなが集まれなくなり、自宅で済ませた式を集会所や公民館のような場所を数時間だけ借りて行うようになって、そのうちに、それを企業化した結婚式場や葬儀会場ができたのだろう。 世の中のIT化が急速に進む中、きっと全く新しい儀式が生まれてきそうな気がする。いわゆる、皆が一か所に集まらなくて済む式が生まれてくるに違いない。それがどんなものか、うまく言えないが、それが分かりやすく提案できたら企業化できるだろうな…。私は、やらんけど、誰かやらんかな…? あまりに、世の中パターン化した、感動が同じように盛り込まれた画一化された式ばかりなので、ふとそんなことを考えた。 |
占いを上手く活用することで、難を逃れることができた…と、言う話を聞くが、その時に受けるべき災いを避けてしまったが故に、将来やってくるさらに大きな災に対応できなくなってしまうこともあるのだろう。 そう思えば、死んでしまうこと以外の占いの結果は、知らないほうがいいのかもしれない。いや、それも必要ないかな…? 世界中の全ての人間が、角度の高い占いによって自分の人生を決めはじめたら、事故死や離婚や貧困や飢餓とか敗者がいなくなって、幸せな世の中がやってくるかと問われれば、私は決してそうは思わない。 きっと経済と同じで、いつも誰かが裕福で誰かが貧しいように、世界中の幸福の量も一定で、誰かが幸せであれば誰かが悲しい思いしなければならないのだろう。 受くるべきことは、逆らわずに受け入れることが懸命な人生だと思うが、あなたはどう思われる?自分だけが難を逃れたいと思われるか? もし、私が何かの拍子に私の人生の占いを聞いてしまったらどうしよう。やはり、一応参考にするだろうな…。 ははッ…ええかっこ言っているだけやな。 ははッ…。 |
今朝、テレビを見ていると、コメンテーターが、最近の若い人達がスマートフォンのお蔭で、他人との会話力が落ちてきた…と、言っていた。 電車に乗って出勤の途中…今日はやけに小説や雑誌を読む人が多かった。最近は、みんなスマートフォンを触っているしなー。なぜかホッとした。 歩きながら本を読む人はいないが、スマートフォンは歩きながらでも触っている。最近は、手元ばかり見て周囲の状況が見えない人が増えている。自分だけの世界に浸って生きているから、老人やハンディキャップの人に席を譲る若者が少なくなったように思う。そんな人達ばかりの車輛に乗り合わせると、私は集団のなかで孤独を感じちゃう。 昔、受けた哲学者の授業で、“電車では本なんか広げずに、移りゆく景色や周囲の状況を良くみなさい!”なんて教わって、なるほど…と、思ったことがあったけれど、今どきの人は鼻で笑うだろう? 電車のなかでのスマートフォンの一切の利用を禁止したら、もう少し自分の周囲が見える人が増えるだろうなー。 スマートフォンは確実に人間の感受性を変化させている。 これから、私は電車ではスマートフォンを触るのは止めておこう。感性の鈍らない良識ある人間でいたいから…。 |
マダムは自分の書いた詩に挿絵を入れて本に仕上げようと思い、若い女性アーティストに絵を描いてもうように依頼した。出来上がった絵は、なかなか味のある絵で一枚一枚額装して飾りたくなるくらい素晴らしい。初めての挿絵の依頼で、画家が精一杯頑張ったと推測できた。 ところが詩と合わせて見てみると、ぶつかり合って互いの良さを殺し合っている。挿絵というものは文字を活かすものでないといけないはずが、逆の結果を生み出している。 控えは控え…、影は影…、引き立て役は徹底して引き立て役にまわらないといけないことが、若い画家にはまだ理解できていないのだろう。 私は、マダムにそんな私の感想を伝えたが、さて…マダムは画家に正直に言えるだろうか…?言えるか言えないかがマダムの力だ。 影の力を知り、認め、正しい評価をくだすことが、生きていくうえで大切だと自分に言聞かせる。 二人の今後のぶつかり合いを、しっかり見届けたい。 |
3週間ほど前に、歴史的事実を知りたくて大阪アメリカ領事館に電話した。例によって録音音声の案内に従って番号を押して辿り着いた先の人物に事情を説明すると、しばらく待たされた後に“その手の質問は、ネットで行ってください。”と。素っ気なく突き放された。直後に問合せ先のメールを探したが、どこにも見つからず、結局大阪領事のファイスブックに投稿してみた。ところがいまだに何の返事も来ない。 1874年当時のアメリカ合衆国神戸領事館のことを調べている私のことなど、相手するに値しないと思われたのかも知れないが、どうしても情報を得たい私は、諦めるわけにもいかず、4月6日に大阪で行われるアメリカンセンター職員の講演会に潜り込むことにした。 うまくいくかどうか分からないが、情報を手に入れる方法はいろいろあると信じて、講演会で成果が得られなくても次の方法を考えようと思う。 “あきらめちゃーダメ!探せば道(方)はあるのよ。”と、私を励ましてくれたブルケッサさんの声が、私の脳裏に浮かびあがる…。 |
世の中の進歩のバロメーターに、待ち時間の短さがあると思う。スーパーでのレジで並ぶ時間、高速道路の料金所での待ち時間、役所で書類申請して必要書類を手に入れるまでの時間、鉄道の駅での改札待ちの時間…。思えば…一昔前から考えたら、なんと、いろいろなことが短くなってしまったことか。 世の中、進化して待たなくてもよくなってきた。 今日、予定どおりに11時半に予約していた歯医者に行った。結局診察室に入ったのが正午を過ぎていた。久しぶりで待たされた。待つという事が新鮮だった。 世の中、どんどん早くなり、待たなくても良くなってきている。 私は、天邪鬼かもしれないが、ボーッと、たまに待つことも悪くないのに…と。思った。 |