生きるってどんなこと? ときどき自問自答する。 死ぬってどんなこと? ときどき自問自答する。 そして、自分のなかでは答えられると言い聞かせる。 それが分かってどうなる。 生きるうえでは、そんな答えは必要ないと言い聞かせる。 自分が生きている理由なんて どうでもいいことだと言い聞かせて 歩み始める ときどき、私はそんな時間を繰り返している。 |
知人と道を歩いていたら、こんなことを言った。 “人はみんな、いい人なんですよ。” “罪が悪いんですよ。” “そして人は、みんな罪人なんですよ。” “そう思ったら、騙されても恨まなくていいでしょ。” 聖人も詐欺師も同じことを考えているかも知れないと思った。 |
“盡日窓間更無事”と言う言葉がある 一日中家中平和で何も心配することがないという意味らしい。良く分からないが覚えたての難しそうな言葉を使うと自分が偉くなったように思え、ここ10年ほど私の年賀状はこのパターンである。 少し早めに、この言葉をあなたに贈っておこうと思う。 |
facebookに私の知人が、太陽系の中心である太陽が秒速70,000kmで銀河の中心の周囲を移動していて、その周りを金星や水星や地球が螺旋状に回っているという動画をシェアしていた。私達は今まで太陽は動かないものだと教えられてきたが、私達の太陽が銀河の一部だと考えたら、今まで教えられてきたことが狭い世界の考え方だと思えてくる。さらに私達の銀河が宇宙の中心から徐々に離れていると考え、宇宙の中心から銀河を考えると、銀河は私の想像の及ばないスピードで移動していて太陽や地球は考えられない複雑な動きをしていることが予想される。 何を中心と考えるかで、歴史や宗教や化学や物理学や信念等…目の前にあるすべてのものの理解が変わってくる。そんな世界に生きている事を、誰もが認識できたら戦争がなくなるかも知れないが、そんなことは無理だから戦争が起こると思うのだ。 人間は誰しも狭くて複雑な世界で生きる宿命を持っていて、そこにこの世の意味があるように思えてならない。 |
私の言う事を理解できない人がいて、私のすることに反対する人がいて、私を無視する人がいるけれど、 できるだけ私は私を理解できず反対し無視する人の言い分を知ろうと試みて、それでも分からない時は、自分を信じて前に向かって進んで行きたい。 |
今年のクリスマスは、レストランの予約もまだ空きがあると聞くし、町を歩いても例年に比してディスプレーがシンプルに思える。新しいイベントとしてハロウィンが盛り上がってきて、みんなクリスマスには飽きたのだろうか?ひょっとすると私の町だけが静かで、東京では景気好転の波が押し寄せて馬鹿騒ぎするのだろうか? 今日は選挙だ。私は期日前投票を済ませ、普段と同じように仕事をしている。 静かに家でクリスマスイブを過ごしたい私は、ほんの束の間巷の様子を伺ってみた。 |
昨日、尊敬する先生から“あなたに言う事じゃーないけれど、聞いてくれる?”と前置きされて、人間関係の小さな愚痴を聞かされた。 そう…私は聞いても先生の、なんの力にも支えにもならないことを知っている。先生は誰かに話すことで心を軽くしたいんだと分かっているから、黙って聞いていた。 どんなに普段強い人でも、心がくじけそうになる時がある。 そんな時は、わざとらしい相槌を打たずに黙って聞いているだけでいいんだ。 私も、そんな時は黙って聞いてくれる人がほしいものだから…。 |
私の息子に“お前の周りの人で、幸せそうに見える人、誰かいるか?”と、聞いてみた。 すると“お父さん”と、答えた。 思いもよらなかったが、うれしかった。 これからも、そう思われるように生きていきたい。 |
私の目標の一つに、再来年の1月でこの地を離れ,違う人生を歩み始めることがある。死んだ後に、生まれ変わって違う人生を歩むのだろうが、私の場合今の人生で最低限の関係を残して人間関係を断ち切り、残りの人生を新たに生きたいという思いが強い。 この計画は、極近しい人しか知らない。多くの人が驚くだろう。どうしてと聞かれたら、もう長くは生きられないからと答える。別に病気ではないのだけれど、そう言えばみんなが納得してくれると思うから…。本当の私の心のうちは明かさずにこの地を去りたいと思うのだ。 残りの人生で、私の夢を成し遂げたいと思うのだ。 |
どうして人間は死ぬのだろう?長く生きていると感動がなくなるからだろうか? 若い人に道を譲るためだろうか?生まれ変わって新しい人生を歩むためだろうか? だれがどんな意味をもって死というものを人間に課したのか分からないが、私もその流れに乗って生きて、そして死んでいく。生きている誰かの記憶に残ればいいな。 残らなくても、それでもいいかな。次の人生では、この世の後悔を二度と繰り返えしたくはないな。 昨晩“インターステラー”と言う映画を観た。今年観た映画のなかで最もよくできていると思った。 |