たとえば 美しい風景を見たり 感動する物語を読んだり 笑える話を聞いたり 美味しい物を食べたり そういうプラスな体験は 大小の差はあっても 嬉しい 楽しい 美味しい そういう ”幸せな気持ち” として 共感や理解は 可能なんだと思う プラスで生きてる人はよりプラス マイナスで生きてた人も 少しプラス で 方向はそんなに変わったりもしない でも 辛い 苦しい 悲しい そんな マイナスな体験は 違う と思うのです もちろん これらも 言葉としては 一くくりに出来て 不幸だ とも言えるのだけど 同じ体験をしたとしても その受け取り方や 耐えられる強さによって 人によってまったく様変わりします ほんの小さな失敗を みんなで笑って流せる人もいれば 一生の恥 と 自分を赦せなくなる人もいたり 同じ病気や 怪我でも 痛みにのたうつ人もいれば 辛抱できる人もいたり 人に傷つけられた事で 人を傷つけること をしてはいけないと学ぶ人と 人そのものを憎むようになる人がいたり 不幸や 悲しさをばねに プラスの生き方に転じたり ただただ 悲しさに沈んで 進めなくなったり 逆に もっとマイナスな生き方に変わったり 受け止め方の大小以外にも 進む方向や速度まで さまざまな事が変わってしまうのです それは結局 その人の資質次第な話 奇麗事や理想論でも どうにもならない 辛いことや苦しいことは 他の誰かに 分る なんて そんなに簡単な事じゃないのです 不幸を乗り越えて 今 前向きに 幸せに生きてる人も どうやって そこにたどり着いたかは 本人しかわからないことだと思います でも これは 俺の実感というか 実体験なのですが 分りえない から 独りで抱える のは 絶対に違っていて 辛いことに耐えられない 甘ったれでも どんな出逢いをするか どんな人に学ぶか で 大きく答えが変わってきます 俺が 迷いながら 間違えながらも なんとか まっすぐ生きていられるのは 家族や友達 仲間のおかげなのは 間違いないと思ってます 分りえない はずなのに それでも一人で生きてはいけない なかなか難しいことでもありますが 諦めてはいけないのだと思います もちろん ”幸せな気持ち”を共感できる人も きちんと見つけないといけないですよね♪ |