三重県某市に出張したときのことだ。 夜、市街地に出てみた。街中に入ってすぐのところに旅行代理店がある。 閉店した玄関前で一人の若者が弾き語りをしていた。ごく平凡な光景だ。 軽く飲んだ後、目に留まったので声を掛けてみた。 若者は長渕剛を尊敬しているらしく、「長渕であれば何でも・・・」という。(京都の先生が・・・と、もっと上手の物真似がいるのだろう) 敢えて、「他には・・」と尋ねてみると、「他はできない」と返ってきた。さらに「例えば・・・とか」と誘導すると、「やはりできません」と意思が固い。(相手はなかなか折れない。なんとか長渕以外を歌わないかと、大人気もなく説得にかかる。) そのうち、「じゃあ、スガシカオは?」と尋ねる。少々、思慮のあげく、「1曲だけ“月とナイフ”という歌がだったら」と折れた。 「それをお願い」と言って間もなく、ギター演奏が始まった。ごく短い曲だった。 次の調子だ。 「ぼくの言葉が足りないのなら ムネをナイフでさいて えぐり出してもいい 君の迷いと言い訳ぐらい ほんとはぼくだって 気づいてたのさ いつかまた あんなふうに誰かを憎むのかな だとしたらもっともっとだきしめて トゲのように 心にささればいい あなたにずっとずっと残ればいい いまさら何も言わないけれど 君の言葉は全部ウソでいいんだろう こんなことばかりくりかえしてたら ぼくの涙はいつか月にとどくだろう ぼくはまたあんなふうに誰か愛せるのかな その時はきっときっと かぐわしい風のように時が流れればいい いつまでもずっとずっと続けばいい」 詩の内容は、個性的過ぎる?表現もあるが、メロディが耳に残る。(正直、詩は聴いてなかった。) スガシカオの曲は、曲調が独特で、詩が味わい深い。 先程の出来事と一緒に、なぜか、この歌が心に残っている。 彼は今でも歌っているのだろうか? ふと、頭を過ぎった。 |