日曜の朝です。 オハヨウゴザイマス、仮名ライターです。 今朝も『仮面ライダーOOO(オーズ)』の放送を見てから一日が始まりました。 はっはっはっ、見てない見てない、『天装戦隊ゴセイジャー』なんて。 見てて腹立つモン。 見てて腹立つなら見なけりゃいい。 そして一刻も早く終わってくれる事を願うのみ。 なんか、アレだね、脚本って言うか、つくりが『ゆとり向け』っぽい? 『ゆとり教育』ってのが今ひとつわからんかったし、 『ゆとり世代』ってのもわからんかったけど、 現代の若者に関するちょっとした記事や最近のニュースを聞いて少し理解できたのが、 『現在25歳に当たる年代からが、小学校1年生の時からずっとゆとり教育と言うものを受けて育った世代』で、 まぁ得てして若い自分はありがちなのだが、『何でも人のせいにして自分には主体性とか、何かを出来る実力が全く伴ってない。』 と言う事。 若い頃は誰だって『夢見がち』で『時間はいくらだってある』『自分はなんだって出来る』なんて思ってることが多いですが、 それはつらい下積みを乗り越えた人の言う事であって、それをせずに一足飛びに頂点の域まで達する事のできるのは、 まぁ世界に一握りいるかいないかの『天才』と呼ばれる存在であって、 決してそんじょそこらの『アホ』にまねできるようなシロモノではないのだが、 『ゆとり教育』と言うのはその『そんじょそこらのアホ』に、 『自分は天才だ』と言う間違った認識を植え込むことで、 ありもしない才能をいかにも引き伸ばして開花させたように思わせ、 基礎学力を低下し、 社会不適合な人間を大量に作り出した、っと言うことが なんとな~~~~く見えて来た。 同じ『アホ』でも1980年代後半に『バブル』を体験した『アホ』は、 『金』の流れや、『金』が失われる事の恐ろしさを身を持って体験したわけだが、 その頃生まれて紙オムツで育った『ゆとり教育世代』には 『自分のケツが濡れている?』と言う感覚すらない。 つまり、 『時間』も『金』もその存在の意味が成人しても今ひとつわかっていないようだ。 遡れば『オイルショック』そして『終戦』、 目の前の1杯の茶碗のメシがどれほど幸せなものであるか、 もはや学校の中で、そして生活の中ででも聞き伝に伝える人ですらいない。 本人達ですら『過去のこととして忘れたい。』と思っているから。 今の人たちに『そんな思いは二度とさせたくない。』と思って頑張ってきたから。 それがわかる人もほとんどいない、 若者達は『今時分が生きるだけで精一杯』どころか『人の力を存分に借りている。』と言う認識すらない。 『ボクがコレほど頑張っているのだから当たり前』程度ならしい。 ど~~~~すんだよ、日本人。 少子化で若者の人数が減ってしまって、数少ないのにこんな役立たずを大量に作り出しちゃって。 世界トップレベルの教育を誇った国はどこへ逝っちゃったの? 伝統の技を受け継ぐためにつらい修行に耐える人間を作る土台はなくなっちゃたの? マンガが読めてテレビゲームができりゃ、世の中過ごしていけるの? そんな世の中作ったヤツが悪いって若者達はグダってるよ? ええ!?若者はそれで良いの? つくったやつが悪い、回りが悪い、じゃあ自分は? アンタ誰?!何するヒトよ? どこ行こうとしてるの? ネットの普及で外に出なくても買い物も仕事もできるようになった。 携帯の普及で直接顔を合わせなくても誰とでもすぐ連絡が取れるようになった。 近所の人の顔も知らない、付き合ってる相手の親の顔も声すら知らない、 でも、人同士コミニュケーションが取れる、 それも一番近い位置で。 一番近い・・・? それどんなハラワタ???? 戦後派と後から来る紙オムツ世代に挟まれてワタシらの時代と言うのはカラーテレビの中にしかなかったのかもしれない。 確固たる自分を持つ事出来ず流されて流されて、 ココまで来てしまったボクら。 新人類、イルカ世代と呼ばれ、学力だけは高かったけど、 時代を押進めることは結局出来なかったのかもしれない。 そのツケを押し付けられる事になる現代の若者達。 確かに悪いのまわりかも知れない、 今、大人となってしまった我々かもしれない。 責任を負うべきは我々なんだろう。 しかし、 キミらの人生はキミらのもんだよ? そして、君らはやがて歳を食い、大人となって我々と同じ場所に立つ。 さらに君らの次の世代がやってくる。 つなげるかい? 新しい世代に君らの考えを? 行動を? 結論は、あと100年も経たなきゃでないだろうけどさ。 その頃には少なくともボクはこの世にはいないし、 いるつもりもないけどな・・・ |