以前、僕は、自分の人生が順風満帆のように書いた事がある。 でも、良い事が有れば、同じように悪い事もあって、実際、成功してきた裏には、ズンドコな時代もあった。 その一つが、ホームレス生活をしていた事です。 きっかけはと言うと、料理人の修行時代、会社の上司と喧嘩をしてしまい、お店を首になった訳です。 当時、20代半ばだった僕は、金融屋さんを辞め、大学時代にバイトしていた居酒屋さんの下で料理人の修行を本格的に初めていました。いや~、実際、やりにくかった。若かったし、徒弟制度に馴れようと努力したけど、4年のキャリアのある弟弟子と2~3年未満の年下の兄さん達では、如何に2年のブランクがあっても、すぐに持ち場が逆転した。 ベテランの職人さんは、顔見知りだし、僕が卒業する時に新人だった人も、一通りの仕事はこなせるようになっていた。 その居酒屋は、会社としての規模こそ小さかったが、関西中心に支店を何軒か出していて、トップの人から支店長になると言う今時珍しく、年功序列制だった。しかも、支店長としての技量がつくまで例えNO2がその人以上の実力をもっていても、支店長にはなれないという事だった。(名目上はね…実際は、何年もやってれば、実力はつくから) その店の社長は、メチャクチャ良い人で、僕が自分の夢の為に独立したい事や将来的にどんな会社を作りたいかを知っていながら、経営のノウハウを丁寧に教えてくれて、自分の所では、暖簾分けするにも何年もかかるし、支店長にしても自分より実力が下の人間が先になるだろうと言う事で、実力が有れば、どんどん独立できると言う知り合いの店を紹介してくれた。 僕は、社長の気持ちが有り難くて、店に未練や思い入れはあったけど、移籍する事にした。思えば、これが間違いのもとだった気がする。 その店は、確かにどんどん出店していた。入って2か月位の人も金さえあれば、フランチャイズとして独立できる。 そこで、僕は、一年働いた訳ですが、その時には、店長になっていた。しかも、周りはヘルスとかキャバクラばかりの所のね。客なんか来ないって。 で、たまに来る客は、風俗のお姉さん達やオッサン。警察の人。特に風俗のお姉さんが多かった。 そんな店だったもんで、経営状態は、いつも赤字。 で、本社から、いつも視察と言う名目で、課長が飲みに来ていたんですが… 長くなったので、続きます。 |