看護学校に在学中、「死という事」について考える授業があったのを突然思いだし改めて考えて見た。 これから先の内容は、多分、暗い内容で、夢も希望もないので、読みたくない人は、読まないで下さい。 死とは、細胞の生命活動が停止する事で無に帰る事ですが、無とは永遠であり、同時に限りあるものでもあると考えます。 人間は、生きている限り、時間や環境により生理的・社会的・心理的な影響を受け、それにより、様々な変化を見せますが、死により、その変化は失われ、その人の全ては、永遠になります。例えば、明日、自分が交通事故にあい、死んでしまったとします。そうすると、今、抱いている夢も悩みも、好きな物や嫌いな物、年齢や時間さえも自分の人生の結果として永遠に確定してしまうわけです。 しかし、その人生の結果は、霊的には永遠ですが、社会的には、それを知っている人が生存している間しか存在せず、しかも、その人達によって、それぞれ違いが生じます。つまり、自分について、全てを理解している人は存在せず、また、自分で気付かない自分の一面は、誰にでも存在しているため、時間的にも、その範囲も限りがあるという事です。 生きとし生ける全てのものは、「死」に向けて生きているわけですが、全ての死が不幸であるのではなく、納得できるように生き、人生に幸福を感じながら死を迎えるのであれば、その人の幸福な人生は、永遠なものとなり、やはり、生きている限りは、自分の人生に納得できるように生きて行きたいと考えます。 とバスがくるまで、考えてました。どんだけ暇なんだろう。 |