誕生日がくると 翌日には 年金定期便がきた。 将来どのくらい年金がもらえるかの目安である。 今回、あっちゃんのマイプロフィール欄がいろいろ増えたけれど 「老後の夢」とある。 そんな事を書くのかいな。 今、老後の夢ということを 書くとしたらなんと書くだろう。 悠々自適の生活だろうか。 お金に不自由せずに 若い愛人と暮らすとでも書くだろうか。 若い愛人は爺さんが死ぬのを じっと待っているのかもしれない。 年金なんてまだ先の話だけれども せっかく年金の情報を くれたのではたして自分の年金は どうなるのだろうか。 月にいくら貰えるのだろうか。 まああてには出来ないけれども。 そもそも、どのくらい銭がいるのだろう。 子供がいるのと、いないのと 家があるのと、ないとでは 随分と違ってくるだろう。 お金はある程度以上は 要らないと思うけれど。 死ぬ前日に きっかりとお金を遣いきって死ぬこと。 それが老後の夢である。 |
居酒屋で飲んだり食べたりすると どうしても原価を考えてしまう。 この料理はいったいいくらで 作っているのだろうか。 トマトサラダを注文したら たったこれでけで この値段か。 高いな。 軟骨の唐揚げ。 この値段。 高いな。 世の中手間隙がかかっているから こんな値段になるのだろうけれども 自分で作ったほうがはるかにましだ。 居酒屋という所には 足を踏み入れることは 滅多にはないのであるけれども 今日は上司の誘いもあっても 仕方なく行ってみたけれども 早く帰りたい一心である。 おかげで帰るのは遅くなるし もう瞼が閉じてくる時間なので もう日記を書いたら 寝ることにするだろう。 今日は誕生日やから それでおごってくれたようだ。 奥さんの結婚記念日も 食事をするような 上司であるから そういう誕生日とかは 目ざとく暗記しているらしい。 さんざん悪態をつかれたけれども おごってもらったけれど おごってもらうというのは 実はあまりいい気分ではないのだ。 なにか相手にたいして 言うことをきかないと いけないような気分になって あまり嬉しくもないのだ。 おごるというのは なかなか難しい。 |
固い皮である。 塩トマトのことである。 ガブリと噛み付いたけれども やや固い皮を通して 甘みのある従来と違う新感覚の トマト味を期待していたのであるが 普通のトマトとどこが違うのかいな。 ようわからん。 要するに普通のトマトと変わらんやんか。 普通のトマトの二倍も三倍もする値段は いったい何なのだ? 有機野菜並のお値段であるから。 手間がかかっているのだろう。 普通のトマトで十分である。 トマトジュースでも飲んでいるほうがいい。 甘みのある味であるとか 糖度8とかいうから どんなんやろと ワクワクドキドキ 冷蔵庫を明けて 朝の5時半に食べたんだけれど。 起きたてなので 舌の感覚が 目覚めてないのだろうか。 |
塩トマトなるものを 買ってみた。 まだ食べてはない。 品書きには塩分を含んだ土で育てることに よって十分に甘みがでて凝縮できました。 と書かれている。 塩味のトマトではなくて 甘味トマトなのだ。 新聞か何かで読んだ記憶があるが 東北で津波に襲われて 海水が入った土地でも 育つということで 注目の果実らしい。 外見は一般的なトマトより やや小ぶりという感じである。 値段もずいぶんと高い。 はたして買った価値はあるのか。 明日の朝に食欲があれば食べてみようか。 一般の八百屋ではあまり見たことはない。 高級スーパーに行けば買えるのだが。 なぜか買ってしまった。 出来損ないのような 外観のもある 発育不良のトマトのようにも見えるが 色は普通のトマトよりやや濃い赤である。 どんな味なんやろうな。 |
走ろう、走ろうと思いながら いつも歩いている。 鳥が進化の過程で いつか飛び始めたように 歩いて、歩いて走りこみならぬ 歩きこみを十分にして ある程度、長距離を歩けるようになったときに 走ろうかなと思う。 毎日、毎日歩いてもせいぜい 4kmくらいだ。 朝、夜の二回で一回は30分であるから。 走るとなったら 一回10km走るとして 月に300kmか。 そこまでなるのは たぶん、相当時間がかかるだろう。 猫ひろしなるカンボジア人が 2時間半で走るというのは まあ素人からすれば とんでもない速さである。 まあ走るのはまだ早いし じっくりと歩きこんでからでも 遅くはなかろう。 今の所は一日に4kmくらいか。 それを少しずつ伸ばして負荷を かけていくことだろう。 |
街を歩いていると 工事中ですとの看板をよく見るが 工事中の看板の上に解除中ですとの 紙が貼ってある。 工事中の看板を撤去するのが面倒なのだろう。 そういう看板をよく見かけるのだ。 さっさと撤去すればいいのに。 最近はよく歩くようにしているが 歩く時間は朝と夜にわけているが 朝の時間のほうが まだ目が覚めてないという状態なので 急にとっぴな考えが浮かんだりする。 車の通りも少ないし 通りは原発事故の跡の 住民がすべて避難した街を 歩いているように気分である。 歩いていてやたらに バラの花がよく咲いている。 植物はいろいろあるのだろうが 花の名前はバラと チューリップくらいしか 知らない。 これからは紫陽花の季節だろう。 毎日、花屋をのぞいて 花の名前を覚えるか。 国際センターの周りは 柔道選手権のためか 100kgを超えるような 超重量級の選手らしき人を みかけた。 まさに ゴリラというのか 人間の姿をした 獣というのか。 将来は警察に入って 要人警備かな。 |
福岡も足を伸ばせば 静かな緑地帯があるものだ。 霊園があり静かなところである。 夜中は、静まりかえっているだろうから 盗賊や、殺しがあるかもしれない。 展望台から眼下に見る景色は あるふれたものであるが 福岡市が360度見える。 山なみまで家が続いているのは 大阪と同じである。 霊園の中は静かであるけれども 耳の中ではイヤホンで 落語を聴いていたから ぜんぜん寂しくもない。 思わず笑ってしまう 落語を聴いていたから すれ違う人から見れば 薄暗い山道で 笑っているから 妙に思われたかもしれない。 三遊亭王楽。 どんな顔をしているかと ネットで検索したら 落語家というには まだ風貌が違うな。 都会の青年という感じである。 あと30年も過ぎれば お父さんというのか 師匠のように 髪が薄くなるのかいな。 |
自分が住んでいるところは 自然というのか、畑や田んぼは ないところである。 田植えの習慣も知らないし 農村の結いやら講やら地域の つながりはまったくない。 もともと日本は農耕を通じて 発展してきた国であるし 瑞穂の国といわれた文化をもつ。 けれども書物を通じて知っているだけだし 農作業をしたこともない。 農業をいまからしようとかいうのは ないけれども 都市に住んでいても ところどころに緑は残っているものだ。 人工的な緑地帯であるとか 昔から残っている緑地を保存している 場所が点在している。 近所を散歩していると こんもりした森が あるものだ。 もしかしたら太古の昔 豪族の墓であったかもしれない。 古墳であるかもしれない。 もともと福岡の歴史的な位置としては 朝鮮半島と陸続きであった際には 農耕文化が伝播してきたというのは 知られた事実である。 ところどころに残っている 緑地帯に入ると 日ごろの都市の喧騒から 離れてゆったりした気分になるものだ。 休日はそういう場所を探して 探検でもしてみようかなと 考えている。 明日はどこに行こうかと 思案中である。 板付遺跡など行ってみるのも いいかもしれない。 |
今週から、半袖に替えたのであるが 今日は、半袖一枚では少し肌寒い。 夜になると風も強くなってきた。 関東一円では日中は雹が降ったとか。 明日は気温は一ヶ月前に戻るということだ。 暑さからの解放である。 このまま夏に突入してほしくないのだ。 夏はいやである。 今くらいの気温がいい。 寒くもなく暑くもなく。 あまり汗もかかない。 今週から半袖になったが 毎日、毎日、新品を着ていたのだが この半袖は タンブラー乾燥は出来ないという。 タンブラー乾燥ってなんやろか。 コインランドリーは駄目ということだ。 なんでやろう。 乾燥機が不可なのか。 日光で自然乾燥というが 花粉やらスモッグで 外干しには抵抗があるのだ。 東レに聞いてみたい。 なんで駄目なのか。 |
切り株を根っこから取るには どうしたらいいのだろう。 上司はヒマやから 会社に生えていた木を切り倒して 花壇をつくりはじめた。 いったい何を考えているのかわからん。 木をなんとか切ったのはいいが 切り株は地中深くに根をおろしている。 なんのために、そんな事をしたいのか ようわからん。 木が生えていてどこが悪いのか。 まあ木も自然に生えてきたのに 生命を絶たれてかわいそうだ。 一本の木が大木に生長するまでには 何十年、何百年もかかるだろう。 いつのまにやら種が落ちて いつのまにやら背丈の大きさになった 木を切り倒して 今度は、根っこまで取りたいという。 残酷な性格である。 その代わりに花を植えたいらしい。 家で勝手にすればいいのだ。 わざわざ会社の植え込みに生えていた 木を切って なんやろうか。 よくわからない上司の行動には まったくついていけないな。 |