正月三が日が明けて ようやく三社参りに出かけてきた。 県内では有名な神社のために 正月に出かけると 何時間待っても参拝できないところだ。 今回は正月明けということで 参拝者もずいぶんと減っていたが それでも駐車場は満杯御礼である。 風邪の調子はだいぶ良くなった。 暖かい日差しである。 そういうわけで昼の散歩がてらの延長なのだ。 もう街はほぼ普段の風景である。 まだお休みのところもかなりあるが。 自分もそうだが あとわずか二日間の休みになった。 どうしてこうも 風邪に悩まされるのか。 体力が落ちてきたのだろう。 マスクも外してみた。 喉にここちよい風である。 だいたい合わないマスクをしているからか。 175mmx90mmのサイズを買ったが 大判サイズであるし 全然顔に合わないのだ。 ワイヤーは鼻の形に合わず 横の頬にも微妙にラインが合わない。 お徳サイズだの、徳用だのにひっかかった。 65枚入りなんか買うものでない。 安くて高品質なのもあればいいが。 ハズレもある。 そう安くもなかったが。 これからインフレというのか 株価上昇というのか 全体的にモノの値段が上がっていくらしい。 鼻の形に合わないというのか 日本人の顔に合わせてホントに 設計されてんのかな。 アジアンモンゴロイドは 鼻は扁平だし 鼻の形に合わなければ 顔の横にも隙間が出来るし マスクの効能もなくなってしまうのだ。 顔に合うマスクと買うのも むつかしい。 どうやって風邪を治すか。 寝る。 食べる。 ミカン、生姜湯。 |
いつのまにやら 世間は正月明けになっている。 デパートやスーパーも 三日になればたいてい開いてきたし 行くところがないヒトは そんなところに行くのである。 行ってみればナニカあるに違いない。 行ってみれば餅つき大会である。 それも餅つきを芸にしている。 ただただ餅つきをするだけでは 面白くない。 餅つきをしながら杵を空中に放り投げて 器用に両者で交換したりと アクロバティック餅つきである。 どこかのお店の宣伝なのだろうが 何屋さんなのか はっきりしない。 屋号だけで宣伝されてもな。 つきたてのお餅を 配るということで これまた行列である。 しかるに この寒空に行列か。 しばらく待ってみたものの いっこうに行列はすすまない。 まあいいか。 と行列を離れて 家に帰って 餅を焼いて ゼンザイを食べた。 あと三日間の休み。 明日から早起きして 体を元に戻さねばな。 風邪がなかなか完全には 治らない。 |
風邪はようやく峠をこえたようだ。 鼻つまりもいくぶん楽になってきた。 夕方から散歩をしてみた。 特にどこかに行きたいというわけでもない。 ただただ夕日に向かって歩くのみだ。 夕日が暮れるまであとわずか 一時間半くらいしかない。 そう時間は残されていない。 自分の人生もそう残された 待ち時間ではなくて 持ち時間はそう長くない。 走ってみる。 とぼとぼと走ってみると なにやら 呼吸が楽になってきた。 鼻のつまりもよくなってきた。 なんでやろうか。 歩くよりも走るほうが 呼吸が楽なのだ。 ただし、ふくらはぎがやや 痛いというのか重いというのか あとシューズの長さがあってないのか クッションが悪いのか 着地の際に 足がずれるのだ。 長距離は走れないだろう。 まあ今年は 少しでもいいから走ろう。 一緒に走れるパートナーは 居ればいいが いなくても 基本的には 独りである。 独りの時間。 これって 残された独身時代の 持ち時間なのか それとも 結婚時代への 待ち時間なのか。 |
正月一日目は 寝正月である。 なんだかきついのだ。 風邪である。 鼻詰まりである。 きつい。 寝る。 起きる。 郵便局に行って年賀状を買う。 去年の年賀状が余っているが どうすればいいか聞くのを忘れた。 年賀状って一枚50円。 いつまで続くのかこの習慣。 街は人通りも少ない。 お店は閉まっているし。 正月というのは 寝ているのがいいのかも。 風邪をひいても急患センターくらいしか 開いてないし。 温泉でも行ってみたい。 生姜湯を飲んだけれども あまり効いた感じはしない。 鼻水がとおりはよくなる方法が 必要だ。 |
大晦日の晩に 風邪をおして散歩をしてみた。 もうお店も閉まって 幽霊のように人通りが少なくなっている。 スーパーに行けば 正月用品は半額になって主婦が 買い占めようとしている。 そんなに食べるの。 静かな晩である。 静かに雪が舞ってきて 大晦日の晩にふさわしい演出である。 風邪でなんのために外出したのか。 甘酒でも買おうか それとも生姜湯でも買おうかと 思ってスーパーをうろうろしたけれど なんだか半額に群がる 主婦たちを見ていると 自分もさもしい感じがして なんでこんなところに 来てしまったのだろうかと 思って何も買わずに立ち去る。 別のスーパーで 正月から開ける所は 正月飾りつけに忙しい。 いずれにしても この正月というのは だいたい市場はお休みであるから 従来あるものを 安く売るだけだろう。 風邪をひいて三日目である。 歩いてきついだけである。 なんでこんなきつい目にあって 行進しないといけないのか。 今、読んでいる小説は「野火」である。 屍の累々と積み重なり 米軍の速射砲がはなたれたる中を 腹をすかし、自分にたかる 蠅や蚤とともに泥の中を 行進していくのだ。 誰も助けてくれない。 仲間は自分は死ぬから 死んだら食べてもいいよと ひそかに死んでいく。 人の肉を食べても生きていく。 そんな小説を読んでいると 大晦日の闇をさまよいたくなった。 |
歩くのもなんやし ちょっと走ってみようか。 走らんかい。 とそろそろと走ってみた。 スローペースなジョギングである。 外は寒いけれども 汗が出ているのである。 汗が蒸発すると かえって寒さを感じてしまう。 スロージョギングならば まあなんぼでもいけそうかな。 膝の負担を考えないといけないから 無理せんようにせんといかん。 なんで走るのか。 走りながら考えていると 佐川急便が歩いている。 もう50を過ぎているだろうか。 おばさんである。 佐川急便には負けたくない。 少し自分のほうがえらくなったようだ。 まあ相手は職業として 常に走っているのだ。 こちらは休みの日に ヒマをつぶすように走っているから 比較にはならんけんど。 とにもかくにも すこしずつ走ろうと思う。 タイムは一時間で7kmくらいにしたい。 タイムにこだわらずに とにもかくにも継続的に続けたい。 と風邪引き坊主は思うのだ。 |
年の瀬に外食なんかするもんや。 なんて思わないほうがいい。 行ったら待ち時間は長いは ロクなものは出てこないは。 外食なんかして ふだん食べないモノを食べるなんて せんがいい。 失敗である。 ふだんからよく行くところならまだしも あまり知らんような 初めて入るような店に 年末にふらりと気分よく お金を遣おうなんて思わないほうがいい。 年の瀬はやたらとヒトが多い。 髪でも切ろうかと思ったら もう仰山のヒトの列である。 さっぱりしたいので 坊主頭にしてくれんか。 と坊主頭にしようかと思ったら 何ミリにしましょうか? と聞かれる。 3mmくらいがまあ清清しく 坊さんみたいやけれど まあ青々とした頭には この年末の寒さには対応できんやろな。 8mmにしてもらったが さっそくなんか 風邪をもらったのかしらんが 喉が痛くなってきた。 そうや年末なんて外に出かけるもんやない。 景気の問題は気の問題らしい。 年末でちょっと浮ついて 外に出てなにやかんやと お金を遣ってしもうた あと8日間なんして過ごすんか わからんけんど 外にフラフラと出歩いても なんもないな。 ヒトが多いだけやなあ。 買い物に行けば カマボコを買い求める 客の列。 新年を迎えるにあたって 坊主頭にして 風邪引き坊主になってしもうた。 |
今年の仕事も終わった。 今日の前半は師走の勢いを持ちつつ 後半はなだらかに忙しさが 減っていった。 昼からはもうヒマになっていった。 でも最少人数でやっているから 忙しさは変わらない。 仕事を中断するように 次々と挨拶に訪れるから これまた困るのだ。 急がしさに輪をかけるように 来襲されるとホント困るのだ 世間はもう仕事は午前で終わって 掃除をして酒を飲んでいるらしい。 そんな感じには程遠く 最後の最後まで気がぬけない。 なにせ、年末の締めなので なにもかも終わりにして帰らないと。 カレンダーが足りない。 まあ、来年どこか 余りモノがくるだろう。 |
日本の童話で 鶴の恩返しというのがあったが 鶴が矢が刺さっていたのを 助けてもらって 人間になって若者と結婚して 結局は若者から去っていくのだが ここで言いたいのは 動物が人間になったということだ。 西洋では逆に 人間が動物になる話が多い。 グリム童話でもそうである。 ではイヌイット(エスキモー)は どうかというと 動物が人間になる話もあれば 人間が動物になる話もあるのだ。 人間と動物の境界があいまいなのだ。 それだけ日常生活が動物と密着しているのだ。 犬ぞり生活が出来ないと 狩猟生活は出来ないし 獲物が取れなければ 飢え死にしてしまう。 遺伝子を残そうという 意識は性生活でもそうであるし 誰彼かまわないということだろうか。 イヌイットの生活を色々と 知るうちに 自分もそうなったらな。 とも思いはじめたとではなくて 生きている環境がそれほど苛酷なということだろう。 都会の生活で 生きている社会とは かなりの違いがあるだろう。 師走でなにかと忙しい。 イヌイットは何を感じているのだろう。 極北の世界で 昼のない季節に入って 何を感じているのだろう。 |
アラスカってどんな所か? そこでの自然を愛したけれど ヒグマに食い殺された 写真家のヒトもいる。 アラスカというのか イヌイットというのか エスキモーと一緒に暮らして 生肉を食い、 アザラシを食い オヒョーを釣り 犬ぞり旅行をして 極北の地にはてたのは 植村直己である。 小学校の頃の教科書にも 載っていたけれども あらためて彼の文章を読んでみたけれども 教科書に載っているのは 探検家としての側面はもちろんだが 性生活については 割愛してある。 エスキモーの性生活については かなりのあけっぴろげということだ。 日本人のような倫理のようなものは ないし 自然のおもむくままに 楽しんでいるという感じである。 プライベイトの空間はないから 一つの部屋で大勢で寝るから どうどうである。 植村直己さんも そうとう我慢したのであるけれど 医者から止められているとか そんなこんなで 娘さんからの誘いを断ったとかいうが そういう誘いはいくところどころで あるという。 まあエスキモーの顔つきなんて 日本人とよく似ているそうだ。 とにもかくにも 性生活については 開放的で 日本の常識は 通用しない。 |