わかって欲しいことがあっても。 どこまで言っていいのか、いけないのかーが、難しい。 わたしは心を許していくと、いろんなことをダイレクトにぶつけていくもので。 それは自分を知って欲しいからだし、踏み込んでいいよーという合図でもある。 わかって欲しいのは、心。 理解して欲しいのは気持ち。 わがままな要求もあるかもしれないし、無理難題を言うかもしれない。 そんな時は優しく、時には厳しく、甘えさせてくれたり、おおらかに受けとめて欲しい。 わかって欲しい。 いつもそう願って渇望する。 心。 |
出会うということは 奇跡 奇跡を信じるか、信じないか? 信じるひとは救われる? 出会えたら その奇跡を信じればいい 信じていれば きっと 出会える |
こういったネットからの出会いのサイトでは。 メール1つで、出会いがつながったり、終わったりする。 それは本当に簡単なことで。 ただの言葉のやりとりが、ネットの枠を越えて、リアルになったりもする。 リアルになることは、ある意味、奇跡とも言える。 その奇跡を信じていないひともなかにはいて、ちょっと可哀想になったりもする。 ほんの少しの勇気や相手を信じる力を持って、一通、一通のメールを大事にしていくことが必須ではないだろうか? メールに書く言葉も、一生懸命考えて(気負う必要はないのだけれど) 山のように来るメールの一通として、埋もれてしまわないように。 ダイヤモンドの原石として見つけてもらえるよう、どこか、自分だけのオリジナルスパイスを振りかけてみる。 気持ちのこめかた一つ、言葉の選び方一つ。 出会いが奇跡になるか、バーチャルのままで終わるか? 自分次第、相手次第。 |
自分の心だけでも持て余したり、わからなかったりするのに。 自分以外の、たとえば、友達や家族、好きな人や、出会ったばかりの人、好きになりそうな人の言葉の意味なんて、本当にわからない。 自分の言葉には自分が責任を持つ。 それは当たり前のことで。 でも、相手の言葉の真意は受け取る側の感情次第で、どんなふうにも解釈できるもの。 相手の気持ちを正しく受け取れれば問題はないけれど。 そのとき、そのときの気持ちの持ち方ひとつで、ハッピーになったり、毒になったりもする。 言葉だけで気持ちを全て把握することなんて、どだい無理な話だけれど。 それでも、言葉には気持ちがこもるもの。 気持ちのない言葉には意味がないという人もいるけれど。 気持ちがなければ、その言葉自体をハナから使うわけでもなく。 やっぱり、なんらかの意思があって、その言葉を使うわけで。 言葉と心は一本の線でつながっているものだ。 |
早いもので、今日から3月。 陽射しも、気温もあったかくて。 春がぐーんと近づいた感じ。 それはそれで嬉しいのだけれど。 花粉症も本格的にはじまって、軽い頭痛と鼻が出てシンドイのなんのって。 薬が効いている間はいいけれど、薬がきれると、も~大変。 目はしょぼしょぼするし、まいってしまう。 それでも、やっぱり春っていいなぁ~。 |