何も言わなくても わかる 言葉なんかいらなくても 気持ちは態度で伝わるもの それは あくまで 自分側の想いであって 相手が必ずしも 同じ想いでいてくれるかどうかは わからない 言葉は 伝えるためにある 態度は 気持ちを 形にするためにある 言葉も 態度も どちらも 想いを伝えるためにある |
プレゼントを用意するとき。 わたしはそのひとがどうしたら喜んでくれるか、笑顔になってくれるか?を一生懸命考える。 そのひとが必要としているもの、嬉しいものってなんだろう?って。 自分がプレゼントをもらうときは、なんでも嬉しいもの。 相手が自分のために用意してくれたものなら、その気持ちだけでじゅうぶん嬉しい。だけど、相手が・・・となると、また違う。 たとえば、お誕生日。 たとえば、バレンタインデー。 たとえば、クリスマス。 1年12ヶ月。 いろんなイベントがある。 ついこの間は、バレンタインデー。 毎年、自分チョコを購入していたのだけれど。 自分が欲しいチョコ、どんなチョコをもらったら男性は嬉しいのか?とか、ネットでいろいろ探して、リサーチしてみた。 ブランドのチョコレートを昼休みを犠牲にして買いに行って。 自分では絶対に食べない、買わない高級チョコを購入。 洗練されたデザインの袋に満足(自己満足の極地かも) 男性の気持ちはよくわからないけれど、バレンタインデーにチョコをもらうというのは、義理でも本命からでも、嬉しいものだと思う。 今年は、友達からの友チョコをもらって、わたしはその子がどんな気持ちでチョコを選んでくれたのか考えて、御礼をした。 チョコは自分が購入したものほどではなかったけれど、それなりの高級チョコで、美味しかった。 バレンタインデーなんかのイベントのチョコは、プレゼントとはまたちょっと違うかもしれないけれど。(下心がみえみえだから?(笑) プレゼントはいろんな気持ちをいただくもの。 相手がどんなふうに思って選んでくれたのか? モノではなくて。 一番嬉しいのは、相手の気持ちがこもっているから。 |
ご飯を作るのも。 その材料を用意するのも。 スーパーで買い物をしてきたりすることも。 当たり前のことではない。 結婚して、お財布が同じなら、それは当然なことかもしれない。 でも、お付き合いをしている時なら、デートの食事代とか、いろんなお金は割り勘だったり、交互にごちそうしたり、どちらかが負担してばかりいることは、どうだろう?ーかと思う。 お金にかかることがルーズであるのは、リアルに危険。 自分ばっかりが支払う立場なら、いくら好きでもやっぱり、どこか「違うんじゃない?」って思えるもの。 自分が好きでやってるのなら、何も言えないのかもしれないけど。 でも、お金に関することは、どこかで線を引くことも必要かもしれない。 二人で協同のお財布を作ったりする工夫もあるのでは? 当たり前のことなんて、付き合っていく二人にはない。 いろんなことを話し合って、歩み寄って、理解しあっていくことで。 一歩、一歩、また近づいていける。 |
繊細だと言えば、聞こえが良いけれど。 わたしはわたしが厄介な性格だということは、よくわかっている。 臆病で気が小さくて、だけどプライドが高くて。 自尊心が傷つけられるのは許せなくって。 でも、情に厚くて、一度好きになったらとことん惚れ通すひとで。 ずっと一人の人を信じ続けることは出来る。 料理は好きだし、いつも元気で、いつでも笑っていたいと思う。 スタイルはよくないけど、愛嬌はある。 女性としての魅力はどれだけあるかはわからないけど。 でも、好きになったら相手を幸せにするだけの力はあるつもり。 いろんなことに敏感で、神経質で、こうるさかったり、感情が激しく揺れ動くときもあるけれど。 それでも、好きになって良かったと言われる女性でありたいと思っている。 こんなわたしでも、好きになってくれる物好きなひとがいたら。 ありがとうーを何万回でも言うだろう。 めんどくさい性格でもあるけれど、嫌いになれない。 この世の中に自分という人間は他にはいない。 世界でひとり。 自分=わたし。 |
好きって なんだろう? だんだん わからなくなる 好きって言われたから 好きになったのか? それとも ちゃんとした確信があって 好きなのか? わからなくなる 何が好きで 何がダメで 何がOKで 何ならいいのか? 自分だけが好き だと 苦しい 相手が好きだけだと 重くなる 好きってなんだろう? わからない 好きってだけで、幸せなのは 自分が好きで好きでたまらなくて 追いかけているときで 自分が本当に好きなのか? わからなくなる瞬間に 戸惑って どうしたらいいのか わからない |
生活習慣。 育ってきた環境が大きく影響するもので。 食事1つにしても、味の好みもいろいろで。 濃い味が好きなひと、薄い味が好きなひと、別にこだわらないひと。 いろんな生活をしてきたひとがいる。 好きなひとの料理なら、なんでも嬉しいとか、なんでも美味しい。 そう言ってくれるひとになら、どんな料理も作ってあげたいと思う。 味はこうでなくちゃいけないーとか、自分の好みに合わせてーと、いろいろ注文を受けると、料理が楽しくなくなる。 わたしの料理は自分が食べたいと思うものや、好きなひとが好きなものを食べたいものを作ってあげたいなぁ~と思うことがスタート地点。 だから、自分の味を好きになってくれるひとがいい。 自分の好みを押しつけるようなものだけれど。 好みがうるさい人にはご飯を作ってあげる気になれない。 食事はとても大事だと思うから。 もし、自分の味にこだわりがあるのなら、自分で料理を作って欲しいと思う。 自分の味を相手に強制しないで、自分が料理を作る人になればいいだけのこと。 けれど、料理をして欲しいと思うひとは、相手の味に自分の舌をあわすような努力はしてもいいんじゃないかな~と思うのは、わがままだろうか? |
どうしてもダメなことがある。 生理的にダメって思うことがあると、どんなに好きでもダメだ。 それはリアルな生活習慣で。 清潔感のないひと。(お風呂は毎日入るのがいいし) 食事のしかた、食べ方なんかも品がないのは許せないし。 食べるとき、租借する音が聞こえようものなら、その場にいられない。 くっちゃくっちゃ音を立てて食べる人、犬食いのように食べるひとは、どうしてもダメ。 自分がどれだけキレイに食べているか・・・は、自信がないし、そこまで厳しい条件を言っているつもりはない。 食べるというのは、リアルな部分で一番大事。 生理的にダメだと、他のこともなんでもダメに見えてきてしまう。 だが、そんなことが気にならないくらい、相手が好きなら、問題はないのかもしれないが。 わたしは、付き合っていくということは、リアルな部分も見えてくるもので。 イケメンだったり、背が高いだとか、そんなことはどうでもいい。 でも、一緒にいてご飯を食べたり眠ったりするのなら。 生理的に許せない部分があれば、治して欲しいと思うし。 自分も治していかないと・・・と思う。 |
テレビが好きなひとである。 一人暮らしをしているせいもあるけれど。 だいたい、家にいるときはテレビを見たり、録画していた番組をみたり、レンタルを借りたりして、テレビを見ていることが多い。 好きな番組、お笑いやバラエティなんかをよく見ていて。 連続ドラマはあまり見ないほう。 でも、気に入った内容のドラマやアニメなんかも実は録画していてみたりもする。 テレビがなければ生きていけないーなんてことはないけれど。 テレビは好きなので、ご飯を食べながらとか、パソコンの前にいながらーとか、テレビと一緒に過ごす時間が多いひとだ。 一緒にのんびりのほほんと、お休みの日はテレビを見て、一緒に大笑いしてくれるひとがいいなぁ~と思う。 どんなに仕事で疲れていても、テレビを見て笑えば、案外嫌なことも忘れられちゃうもんである。 |
好きだから。 ただ、それだけで、相手に犠牲的に尽くせるものだ。 でも、尽くしても、相手が全然感謝してくれなかったり、受け入れてくれなかったりすると、だんだんと「自分は何をしているんだろう?」という気持ちになる。 以前の恋愛で、わたしはとことん相手に尽くしてきて。 相手もそれをわかってくれていたから、悔いはないのだけれど。 尽くして尽くして尽くしてきたけれど。 それが重かったり、家族的な愛情に思われたりして、いつしか自分のしていることの意味がわからなくなっていた時期もあった。 尽くすのは自分の意思だから。 相手に感謝を求めるのは筋違いかもしれないけれど。 やっぱり、10に対して2や3くらいは「ありがとう」って言って欲しかったり、気持ちを態度や言葉で示してもらえたら・・・って思う。 尽くしてくれる人が好きっていう人は、尽くしてもらうことを当然と思わず、感謝の気持ちや言葉をきちんと表すことを忘れないで欲しい。 どんなことでも。 してもらって当たり前とか、当然なんてことは何ひとつないのだから。 |
わかって欲しいことがあっても。 どこまで言っていいのか、いけないのかーが、難しい。 わたしは心を許していくと、いろんなことをダイレクトにぶつけていくもので。 それは自分を知って欲しいからだし、踏み込んでいいよーという合図でもある。 わかって欲しいのは、心。 理解して欲しいのは気持ち。 わがままな要求もあるかもしれないし、無理難題を言うかもしれない。 そんな時は優しく、時には厳しく、甘えさせてくれたり、おおらかに受けとめて欲しい。 わかって欲しい。 いつもそう願って渇望する。 心。 |