繊細だと言えば、聞こえが良いけれど。 わたしはわたしが厄介な性格だということは、よくわかっている。 臆病で気が小さくて、だけどプライドが高くて。 自尊心が傷つけられるのは許せなくって。 でも、情に厚くて、一度好きになったらとことん惚れ通すひとで。 ずっと一人の人を信じ続けることは出来る。 料理は好きだし、いつも元気で、いつでも笑っていたいと思う。 スタイルはよくないけど、愛嬌はある。 女性としての魅力はどれだけあるかはわからないけど。 でも、好きになったら相手を幸せにするだけの力はあるつもり。 いろんなことに敏感で、神経質で、こうるさかったり、感情が激しく揺れ動くときもあるけれど。 それでも、好きになって良かったと言われる女性でありたいと思っている。 こんなわたしでも、好きになってくれる物好きなひとがいたら。 ありがとうーを何万回でも言うだろう。 めんどくさい性格でもあるけれど、嫌いになれない。 この世の中に自分という人間は他にはいない。 世界でひとり。 自分=わたし。 |
ご飯を作るのも。 その材料を用意するのも。 スーパーで買い物をしてきたりすることも。 当たり前のことではない。 結婚して、お財布が同じなら、それは当然なことかもしれない。 でも、お付き合いをしている時なら、デートの食事代とか、いろんなお金は割り勘だったり、交互にごちそうしたり、どちらかが負担してばかりいることは、どうだろう?ーかと思う。 お金にかかることがルーズであるのは、リアルに危険。 自分ばっかりが支払う立場なら、いくら好きでもやっぱり、どこか「違うんじゃない?」って思えるもの。 自分が好きでやってるのなら、何も言えないのかもしれないけど。 でも、お金に関することは、どこかで線を引くことも必要かもしれない。 二人で協同のお財布を作ったりする工夫もあるのでは? 当たり前のことなんて、付き合っていく二人にはない。 いろんなことを話し合って、歩み寄って、理解しあっていくことで。 一歩、一歩、また近づいていける。 |
プレゼントを用意するとき。 わたしはそのひとがどうしたら喜んでくれるか、笑顔になってくれるか?を一生懸命考える。 そのひとが必要としているもの、嬉しいものってなんだろう?って。 自分がプレゼントをもらうときは、なんでも嬉しいもの。 相手が自分のために用意してくれたものなら、その気持ちだけでじゅうぶん嬉しい。だけど、相手が・・・となると、また違う。 たとえば、お誕生日。 たとえば、バレンタインデー。 たとえば、クリスマス。 1年12ヶ月。 いろんなイベントがある。 ついこの間は、バレンタインデー。 毎年、自分チョコを購入していたのだけれど。 自分が欲しいチョコ、どんなチョコをもらったら男性は嬉しいのか?とか、ネットでいろいろ探して、リサーチしてみた。 ブランドのチョコレートを昼休みを犠牲にして買いに行って。 自分では絶対に食べない、買わない高級チョコを購入。 洗練されたデザインの袋に満足(自己満足の極地かも) 男性の気持ちはよくわからないけれど、バレンタインデーにチョコをもらうというのは、義理でも本命からでも、嬉しいものだと思う。 今年は、友達からの友チョコをもらって、わたしはその子がどんな気持ちでチョコを選んでくれたのか考えて、御礼をした。 チョコは自分が購入したものほどではなかったけれど、それなりの高級チョコで、美味しかった。 バレンタインデーなんかのイベントのチョコは、プレゼントとはまたちょっと違うかもしれないけれど。(下心がみえみえだから?(笑) プレゼントはいろんな気持ちをいただくもの。 相手がどんなふうに思って選んでくれたのか? モノではなくて。 一番嬉しいのは、相手の気持ちがこもっているから。 |
何も言わなくても わかる 言葉なんかいらなくても 気持ちは態度で伝わるもの それは あくまで 自分側の想いであって 相手が必ずしも 同じ想いでいてくれるかどうかは わからない 言葉は 伝えるためにある 態度は 気持ちを 形にするためにある 言葉も 態度も どちらも 想いを伝えるためにある |