▲
▼
| 1 |
阪神の加納の調子がいいですね。 キャッチャー、加納といえば、「やったろうじゃん」を思い出すのは私だけじゃないはずだ。 「やったろうじゃん」の加納と、阪神の加納、共通するのはポジションだけじゃなくて、野球に対するひたむきさかな。 阪神の加納、私的にはオープン戦の時のカバープレーが高評価です。 |
民法の終盤に入ったが、なかなか前に進まない。 噂には聞いていたが、かなりの早口だ。何回も聴きなおして、メモをとるのに時間がかかる。 で、また、ややこしいんだよね。 民法の残りを置いといて、刑法を始めちゃおうか、とも思うが、多分それをすると民法がいつまで立っても終わらないことになりそうだ。 択一用の条文・判例Mにも手をつけてないし、もうすぐ、論文と商訴が始まるから結構あせる。 ここは、耐えて1コマ1コマ潰してくしかないね。 もう、一踏ん張りだっ! |
『「原因」と「結果」の法則』(ジェームズ・アレン) 2、3年前に書店で見かけて気になったが、その時は買わず、後でほしくなったが、書店でなかなか見つけることができず、最近になってやっと買った本だ。(取り寄せてもらうなり、アマゾンで買えばええやん、って言うようなもんだが、私の場合、まず書店で手にとって実際に読んでみてからでないと買わない。) 「ええなぁ」と思った本はすぐに買っとくべきですよね。たとえ、その時は「積んどく」になったとしても。 この本、なんと、カーネギーの「道は開ける」とか「人を動かす」なんかよりも昔に書かれた本で、カーネギーだけじゃなくって、ナポレオン・ヒルとかにも影響を与えたんだって。 今ある自己啓発書のほとんどがカーネギーのパクリ(もしくは、アレンジしたもの)っていってた人がいたけど、ってことは、この本って、自己啓発書の元祖の元祖ってことみたいですね。 今日、読んだ部分から・・・。 「あまりに善人すぎると、苦悩が絶えない」などと言う迷信を受け入れることは、自分自身を改善する努力を放棄したい人にとっては、好都合なことかもしれません。しかしながら、私たちは、自分自身の病的な思い、悪意に満ちた思い、不純な思いを、すべて撲滅し、心の中のあらゆるけがれを洗い流さないかぎり、「あまりに善人すぎると、苦悩が絶えない」などということを口にする権利すらてにできません。知りもしないことをどうして口にできるでしょう。 どんなに「善人」らしい人でも100%の「善人」なんて多分いませんよね。ましてや、私みたいな不純な、けがれの多い人間に苦悩がないはずがないんですよね。 苦悩の最大の、そして恐らく唯一の役割は、無益で不純なあらゆるものを浄化すること、あるいは焼き払うことです。完璧に清らかな人間には、苦悩はけっして訪れません。 でも、その苦悩は、「完璧に清らかな人間」に至るまでに避けられないプロセスなんでしょうね。 そして、きっとそこには一生かかってもたどり着けないんだろうと思う。 それは、決して、否定的な意味なんかじゃなくって、一生、(つまり、死が訪れるその日まで)成長し続けることができるんじゃないか、(いや、成長し続けたい)ってこと。 |
▲
▼
| 1 |