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日記

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2007年04月30日(月) 22時29分36秒

あと2コマ

カテゴリー: 勉強
この連休。
風邪でほとんど出かけられなかったが、その分(?)、勉強はそれなりにできた。
(さすがに初日は何もできんかったけど・・・)

基礎マスの民法もあと2コマ。
長かった・・・。

合格者や実際に試験を受けたる人たちからすると、まだまだ話にもならないような段階だろうけど、始めた当初のことを考えると、ここまでよく続いたものだ。

さあ、あと2コマ片付けよう。
そして、次は、刑法だ。

これから・・・
とりあえず、上3法の基礎マステキストを完成させて、何回も読もう。
余裕があれば、リーガルトレーニングとか下3法の基礎マスを片付ける。
それから、下3法を中心に、論マスもやる。
さらに、余裕があれば、判例・条文マスターもやる。

とりあえず、全体を一通り通して繰り返して使う道具を完成させる。

まだまだ、先は長いね。
でも、やるしかない!

今年の試験を受ける人は、今は択一に向けて最後の追い込みってとこだろうな。
おいらもがんばろう!
2007年04月24日(火) 00時00分20秒

何事も先達はあらまほしきことなり

カテゴリー: 日記
何事も先達はあらまほしきことなり。

中学か高校(多分、高校)でやった「徒然草」で出てきた言葉だったと思うが、最近、「そのとおりだよなぁ」って思う。

1つは、今、ジムでやってるトレーニング。
入会した時に、トレーナーの人が作ってくれたメニューが結構よかった。
体重を減らすと効果が目に見えて出ているから、楽しくってしょうがない。もともと体を動かすのが好きなほうではなかったんだが。

もう1つは資格試験の勉強。
これまでも法律関係の入門書を買って読もうとしたが、どうしても最後までいなかない。
講義形式のものを受け始めて、勉強方法とかを含めて教えてもらうと、なんとか、憲法はまがいなりにも全部終わったし、民法ももうすぐ終わりそうだ。

先達に頼るだけっていうのも問題だが、やはり先達はほしいね。
2007年04月23日(月) 23時30分43秒

加納といえば・・・

カテゴリー: どうでもいいこと
阪神の加納の調子がいいですね。
キャッチャー、加納といえば、「やったろうじゃん」を思い出すのは私だけじゃないはずだ。
「やったろうじゃん」の加納と、阪神の加納、共通するのはポジションだけじゃなくて、野球に対するひたむきさかな。
阪神の加納、私的にはオープン戦の時のカバープレーが高評価です。
2007年04月23日(月) 23時12分56秒

やればできる、必ずできる!?

カテゴリー: 勉強
民法の終盤に入ったが、なかなか前に進まない。
噂には聞いていたが、かなりの早口だ。何回も聴きなおして、メモをとるのに時間がかかる。
で、また、ややこしいんだよね。
民法の残りを置いといて、刑法を始めちゃおうか、とも思うが、多分それをすると民法がいつまで立っても終わらないことになりそうだ。
択一用の条文・判例Mにも手をつけてないし、もうすぐ、論文と商訴が始まるから結構あせる。
ここは、耐えて1コマ1コマ潰してくしかないね。
もう、一踏ん張りだっ!グー
2007年04月23日(月) 22時31分27秒

「原因」と「結果」の法則

カテゴリー: 読書
『「原因」と「結果」の法則』(ジェームズ・アレン)

2、3年前に書店で見かけて気になったが、その時は買わず、後でほしくなったが、書店でなかなか見つけることができず、最近になってやっと買った本だ。(取り寄せてもらうなり、アマゾンで買えばええやん、って言うようなもんだが、私の場合、まず書店で手にとって実際に読んでみてからでないと買わない。)
「ええなぁ」と思った本はすぐに買っとくべきですよね。たとえ、その時は「積んどく」になったとしても。

この本、なんと、カーネギーの「道は開ける」とか「人を動かす」なんかよりも昔に書かれた本で、カーネギーだけじゃなくって、ナポレオン・ヒルとかにも影響を与えたんだって。
今ある自己啓発書のほとんどがカーネギーのパクリ(もしくは、アレンジしたもの)っていってた人がいたけど、ってことは、この本って、自己啓発書の元祖の元祖ってことみたいですね。


今日、読んだ部分から・・・。

「あまりに善人すぎると、苦悩が絶えない」などと言う迷信を受け入れることは、自分自身を改善する努力を放棄したい人にとっては、好都合なことかもしれません。しかしながら、私たちは、自分自身の病的な思い、悪意に満ちた思い、不純な思いを、すべて撲滅し、心の中のあらゆるけがれを洗い流さないかぎり、「あまりに善人すぎると、苦悩が絶えない」などということを口にする権利すらてにできません。知りもしないことをどうして口にできるでしょう。

どんなに「善人」らしい人でも100%の「善人」なんて多分いませんよね。ましてや、私みたいな不純な、けがれの多い人間に苦悩がないはずがないんですよね。

苦悩の最大の、そして恐らく唯一の役割は、無益で不純なあらゆるものを浄化すること、あるいは焼き払うことです。完璧に清らかな人間には、苦悩はけっして訪れません。

でも、その苦悩は、「完璧に清らかな人間」に至るまでに避けられないプロセスなんでしょうね。
そして、きっとそこには一生かかってもたどり着けないんだろうと思う。
それは、決して、否定的な意味なんかじゃなくって、一生、(つまり、死が訪れるその日まで)成長し続けることができるんじゃないか、(いや、成長し続けたい)ってこと。
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