失恋から二ヶ月が経過した。 今もなお、大袈裟でも何でもなく5分と思い出さない事がなく、それをPCに例えるなら、もはやアイツは壁紙だ。 ウジウジしてたって始まらないのは百どころか千も万も承知。 だから足掻く。 そりゃもう必死で足掻く。 昔から思うんだけど、女のヒトって泣きたがりだよね。 やれこの映画は全米が涙しただの、音楽聴いて泣けてくるだの。 本好きな俺は、それはもうしょっちゅう本屋に立ち寄るのだけど、当たり前のように「これは泣ける」だとか宣伝文句を書いてあったりする。 「ガンダム」世代な俺は「男は涙を見せぬもの」と教わって生きてきたものだから、それでもどうしようもなくって泣いてしまうってのは理解できるんだけど、わざわざ自ら泣こうなどとはあまり考えた事がなかった。 しかし! 悲しい感情は「膿」なんだね。 それは歯痛と一緒。出さなきゃいけない。痛みが慢性になると、さも痛くないような錯覚に陥る。 そう考えた俺は、「そうだ泣いてみよう!」って思ったんです。 んで、ベタだけど「泣ける2ちゃんねる」。 ・・・・・・・ ・・・・・・・・・・・・・・ ・・・・オレサマ号泣。 んで、ちょっとだけ気が楽になったりとか。 女ってすげぇね。 こんな方法知ってんだ。 ちょっと感心。 ほなー。 でも、恋愛モノでドンピシャ(死語)なのは避けないと逆効果!! |
よく言うじゃない、「束縛もほどほどに」と。 これまでの人生で、正しく?お付き合いをしたのはおそらく十数人だと思う。 思う、って言ってしまうのは、それが世間で言うとこの「お付き合い」なのか非常に微妙な関係だった事もあるからなのだけど。 最初は中学生の頃だし、今のところ最後になるのは先々月までのその人。 んじゃ「お付き合い」はしてないけど、お付き合いがあった異性。 これになると増えちゃう、うん、増えちゃうな。 全て素敵でした。 素敵の程度差はあるけども、間違いなく全て素敵でした。 その中で「束縛」してしまった(ゆえに後悔もした)恋愛が3つ。 数える事も憚れるくらい、とてもとても大事な、大切なヒトだった。 今も、どこかでそれを「酷い束縛」だと認めたくない自分がいるのは、まだ病み上がり(依存症克服中)だからなのだろうけど、さすがに理屈は解るようになっている。 やっぱりあれはとても「酷い束縛」だったろうな。 ここで疑問が湧く。 「そーいや俺って束縛された事って無いんじゃないのかな」 もしかしたらされてたのかもしれないけど、実際問題として「やべぇ、超束縛されてんじゃん!!」と感じた事がない。 もちろん嫉妬やヤキモチは体感したことあるけども。 正直に言うと、「誰が見ても物凄く酷い束縛」をされるってのに憧れてる。 激しくされてみたい。 そんな(自称)S気質な俺のM願望。 |
凛とした生き方をしている女性を、物凄くカッコイイと思う。 二人だけになるとスイッチが入ったかのように甘えてきたりなんかすると、それはもう、とんでもなく愛しさを感じる。 バカップルの素敵さを教えてくれたのは、7年前、東京で知り合った貴女でした。 貴女は芸能の世界にいる人だから、世間体を気にしてコソコソとしたデートをするしかないと思ってた俺に、微塵もそんなのを感じさせることなく、この手を引き、連れまわしてくれた。 お台場のテーマパーク、池袋のテナントビル、新宿のラーメン屋、渋谷の109、貴女の事務所近辺、うちの近くのコンビニ どこだって。 それまで、どの時の彼女でさえ、手を繋いで歩く事を恥ずかしがってやらなかった俺には、それがどんなに嬉しかった事か。 手を繋ぐ喜びを教えてくれたのも貴女でした。 最近、貴女が結婚した事をネットで知りました。 凛とした生き方と、素顔が見せる表情がとてもとても素敵な貴女だから、本当に幸せになって欲しいと思う。 心からそう思う。 やっと貴女の出てる作品を観れるようになったよ。 |
色々分かち合える相方。 喜びも悲しみも。 時間も温もりも。 死が二人を分かつまで。 心も身体も混ぜ合いたい。 キミを守る為なら何だってやってみせるさ。 そんなあの頃の俺。 |
いつのまにか眠りに堕ちた僕は、窮屈な姿勢に心地よい体温を感じながら目を覚ます。 隣には 目蓋を閉じたまま穏やかな寝息を立てるキミが、こちらを向いたまま、キミの右腕が僕の左肩に差し伸べられていて。 あまりに愛しくて、終わってしまうのが勿体無くて、 起きあがるのを止めた。 カーテンの隙間から射す光の花道には小さな埃たちが照らされ、舞っていて、それを見ながら僕は、「時よ止まれ」と、子供の持つ真剣さで願ったんだ。 あのとき、何故、世界は終わらなかったんだろう。 |
自分以外の誰かに言う、もしくは言っていた「愛してる」。 自分以外の誰かとしている、もしくはしていたセックス。 この世のものとは思えないほど強く嫉妬する。 Coccoは歌う。 「あなたのお姫様は誰かと腰を振ってるわ」 人は何故、「愛してる」以上の言葉を、 セックス以上の愛情行為を、 持ち合わせていないのだろう。 セックスに限っては、それが本来遺伝子保存のどうだとか、その行為以上の愛情表現はいくらでもあるだとか、ヤってたって愛してるとは限らないとか、そんな事はどーだっていい。 人間だけが、セックスを子作りするだけの行為じゃなくしてしまってるのは世界が認めてるのだから。 そうでなければコンドームを始めとするあらゆる避妊具は、自然に刃向かう行為でしかない。 ならばそれは、親しい人とするスポーツの一つなのか。 だとすれば、やはり、セックス以外の愛情表現行為を、簡単にしてはいけない何かを、すると嬉しくて、されると悲しい何かを、 神様は与えてくれなかったんだろう。 俺はけして綺麗な人間じゃないし、かつて悲しんだ事も悲しませた事もあった。現在の貞操観念の薄弱さをどうこう言えるような立場にはないし、自分もそれを数多楽しんで来た。 スベテ「業」なのかな・・・。 とりとめもなく。 ほなまた。 |
いやぁ、昨夜は取り乱しておりました。 まだまだ自己修復には時間が必要なのだと再度自覚した次第です。 最近はもっぱら「依存症」についての文献を読み漁っておりまして。 それはつまり「なんてこった!俺は恋愛依存症だったのか!!」って驚愕の事実を突き付けられたショックからな訳ですが。 調べれば調べるほど面白い(と書くと語弊もありそうですが)事が次々と解ってきます。 この「依存症」てのは物凄く複雑な症状で、一概に短い文章で言い切るのは大変困難なんですが、つまりはハッキリと「病気」なんだって事。 特にメジャーなのが「アルコール依存症」で、これについての研究はかなり深いとこまで進んでいるようです(実際自助団体も圧倒的にアルコール依存症者を対象としたものが多いようです)。 ものすごーーーーーく簡単に書くと、 何らかの物事や事象に異常に固執、執着するようになると脳内麻薬(βエンドルフィンなど)が分泌され、それを失う事で分泌が停止し、禁断症状に襲われる(だから止めれない)。 まぁそんなわけで、これが結構シャレになんない。 実生活にまで支障が出る事もしばしばな訳で(今のとこギリギリ支障が出ないラインを保てていますが)。 まだまだ勉強中なんで詳しく書ける程ではないですが、 共依存、恋愛依存、回避依存、アダルトチルドレンなどなど、それらについて詳しくは別ブログにて自身の克服日記としてやってますので、「自分もまさにそれだ!」とか思っちゃう人は、一度御覧くださいませ。 あ、それと。 俺が隠れオタクである事はプロフィールやら日記やらで触れている訳ですが、先日このような本を買いました。 「オタク学入門/岡田斗司夫」 まだ全部は読んでませんが、これが大変面白い! 1996年頃の本の再刊なんですが、サブカル好きな俺の脳を刺激しまくりです。 そして現在の日本はオタクに支えられてるんだと改めて痛感しました。 「オタク」って言葉に偏見がある人は是非ご一読を。 一応書いておきますが、俺だって「萌え」とか「美少女なんたら」とか全く共感できない人種ですからw ただ、その文化の成り立ちやらは非常に興味深い。 てなわけで、今夜はここまで。 ほなまたぁ。 |
ダウンタウン信者。
隠れオタク。
空とか好き。
恋愛依存症(克服中、別ブログ参照)。