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SOLILOQUY

ひとりごと

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August 01, 2010 20:51:18

友人

カテゴリー: 日記
今日の昼下がり、友人のパン屋さんと彼のカフェで話しをした。彼はパン屋(ブランジェリーと言ったほうが適当か・・・)そしてカフェの他、レディースブティックやインポートTシャツの店も経営している。単なるパン屋のオヤジでもなく、全国展開を目指し大量生産を考えることもなく、社会情勢の変化をみながら身の丈に応じた多店舗展開をしている。私にとって数少ない親友の一人である。元ヨットマン(20年ほど前に持っていた船が沈没してからは乗っていない。)の彼は、慶応大学を卒業した後、短期間日本車のセールスをしていたが、組織には向かなかったのだろう・・・、数年後に安藤忠雄が話題になり始めた頃に設計した建物で喫茶店を生業にした。震災後パン屋をはじめ、その後店を増やし現在に至る。いまでも安藤から直接電話が入ることもあるという彼と、今日も安藤談義になった。(これに近い話を前にも書いたかな・・・書いたような気がしてきたけど・・・)

【エピソードⅠ】喫茶店がオープンする前の話・・・ビルの設計者である安藤に自分にとって初めての商売となる喫茶店の設計を依頼したとき、壁に入った僅かな亀裂が気になって安藤に話をしたら、横にいた施工業者がその程度のことは直す必要はないのではないかと答えたらしい。聞いていた安藤は彼らに「あんたらにとっては他でもしょっちゅうこんなクレームがあるかもしれんけど、この人らにとったら一生に一度の店になるかもしれんのやで・・・直したらんかい。」と言ったそうだ。
【エピソードⅡ】喫茶店(カフェ)での話・・・安藤忠雄が東大出身の部下を3人連れてお茶を飲みに来た時、安藤は一気にアイスコーヒーを飲み干し、残った氷を水のグラスに入れてかき回したそうだ。がさつなイメージの彼は、店を出ようと席を立った際に、部下が座っていた椅子が乱れて通路を塞いでいることに気づき、他のお客さんが迷惑するだろうと言って自ら揃えて出たらしい。氷を水のグラスに入れることは、自分の問題・・・椅子が通路を塞ぐのは他人に関わる社会常識の問題?
【エピソードⅢ】パーティーでの話・・・居並ぶ企業トップが出席するある企業のパーティーに出席した際、世界の安藤が気さくに、「○○君久しぶりやな・・・お茶を飲みにいこ。」と言って他の人をほって置いて会場の外へ出たそうだ。肩書きに媚びることなく誰にでも同じように話しかけるらしい。ただこの話を聞いて、私はパン屋さんの人柄も影響していると思った。

私は、話を聞いていて出会ったことの無い安藤忠雄に興味をもった。しかしそれより増してこの話をしてくれた世界の安藤と利害関係なく話しのできるパン屋の主人(ブランジェリーのオーナー)が一層好きになった。
August 02, 2010 14:52:32

響き

カテゴリー: 日記
そうそうギターはどうなったの・・・って思ってませんか。実は木曜日に手元に戻ってきたけれど、情けないことに改造前の響きがよく記憶できておらず、ギターの弦も新しくなっているので、木曜時点で弦がある程度伸びきるまであと1週間くらいかかるとのことであるし、音を合わせてもすぐに狂いが出るし、そこのところが気になって思いっきり弾くこともできず、どの程度良くなったか分からなかった。予想した結末の最悪の状況である。先生は「変わったでしょ・・・」とおっしゃったが、私は正直に「よく分かりません。」と答えた。すると「弦が落ち着いてきたら分かると思うよ・・・以前は音が広がっていたけれど、今は前へ出るようになったし、しばらくしたら後ろにも回るようになったのが分かると思う・・・」とおっしゃったもので、「そう言えば音がシャープになったように思います。」と答えたが、そう言った後で、心のなかで“えーそうなんかなー”とつぶやいていた。
と言うことで弦が落ち着くのを待っていたのだが、今の時点で完璧ではないにしても、やっと音の狂いを気にせずに練習曲が弾けるようになり、手と耳が慣れてくると確かに以前より音が澄んでいるように思えてきた。それで、やっと今日、そこのところだけ報告をしておこうと思う。そして今週末にはもう一度感想を書かせていただこうと思う。

私はその程度の耳の持ち主である。ヨーロッパに留学しているプロが使用するバイオリンの響きのことなど、とやかく言える器ではない。音楽に関しての私の感想などたいしたことはないと思っていただいたほうが良いかも知れない。
人のことを下手に批評するのはやめて謙虚に生きようと思う・・・自信を失っている最近の私である。
August 03, 2010 21:38:49

救い

カテゴリー: 日記
昨晩は、アルゼンチンタンゴを聴く会があり、私も出席の予定で楽しみにしていた。この会はディナーショーというほど固くはないが、演奏の合間にテーブルブッフェで料理が運ばれアルゼンチンワインをいただくという、耳もお腹も両方タンゴで満足しようという企画である。演奏は、ピアノ・バイオリン・バンドネオンのトリオ。バンドネオンとは形状から言うとアコーディオンに似ているが幾分小さな形をしていて、おそらく鍵盤数は少ないと思う。空気を送り込む微妙な手の動きで独特の哀愁のある音色を奏でる。ドイツで作られ、現在はあまり新しい楽器は作られていないようであるが、その希少な楽器は戦前、アルゼンチンに渡り、タンゴの音階とリズムに欠かせない楽器に成熟した。日本では奏者も数少ないため、普段聞きなれない哀愁の音色を聞くため、昨日は多くの音楽通が集まっていた。久しぶりでタンゴでワインを飲んで…それから2軒ほどはしごして…、翌日の朝6時前には職場に出る予定だったので、通勤で往復2時間半を費やすと体力的に苦しく思い、ビジネスホテルも予約しており準備万端…楽しい一夜になる筈であった。そう、その筈であった。
ところが、開演直前に一本の電話が入り、急遽予定外の場所に行かねばならなくなり…結局、一曲も聴けず、一杯も飲めず、何一つ口にできず…主催者に詫びを入れ、ホテルにキャンセルの電話を入れることになる。当日キャンセルは全額支払わなければならないと説明を受けた。
とっても幸せになれる筈の一夜が、突如最悪の夜となった。バンドネオンの感想を書きたかったのだが、そんなわけで違う落ちをつけなければならない。
“人生には、こんなどんでん返しが起こることもあるんだ。”と…

翌朝、再度ホテルに電話したら、「今回は、ご連絡いただきましたのでキャンセル料は結構です。」と…私の人生には、ささやかな救いも用意されていた。
August 04, 2010 20:24:24

報せ

カテゴリー: 日記
私の子供の頃、まだテレビにカラー放送が無かった頃、アメリカの連続テレビドラマで“ベン・ケーシー”という医師が主人公のドラマがあった。黒板に白チョークで♂♀誕生(八角形の対角線)†(死亡を意味する十字架)∞という五つの記号を描くところから番組は始まる。ドラマの内容は一切覚えていないが、その記号のくだりだけはくっきり記憶に焼きついている。
昨日の昼、私は一人で総合病院の手術待合室にいた。執刀医から無事手術が終わったと知らされ、手術室の前で出てくるベッドを待っていると、赤ちゃんの泣き声が聞こえたので、その方向に目をやった。通路の先20m程向こうに産科病棟があり、多くの新生児とその母親、そして親族が誕生の喜びを分かつ姿が想像できた。また私の目の前にはTELEPHONEという看板が掲げてありその下には、おそらく以前は公衆電話が5台は並んでいただろう、今は何も置かれていない長いカウンターが見える。多くの人がここから誕生の報せ、そして死亡の報せを送ったに違いない。時代が変わった今でも携帯電話でこのフロアーから喜びと悲しみが発信されていることが想像できる。人生のなかの最大のドラマ…誕生と死亡が繰り広げられる総合病院には子供の頃に見たあのドラマのようにいくつもの人間のドラマがある。

私は、“安心せよ”とのメッセージを送ることができたことに感謝した。
August 05, 2010 21:11:18

青空

カテゴリー: 日記
最近、空を見上げましたか?ここのところの空は深く澄んだ青色、雲は純白。この猛暑のおかげだろうか…こんなにきれいな青空はなかなかお目にかかれない。知っていますか…少し高い所に登れば、本当に近くに大阪と和歌山が見渡せる。この晴天は明日まで続くもよう…写真撮影には明日がチャンスに違いない。しかし相変わらずあの撮影ポイントへの道は通行止め…。
武庫川という地名がある…地名研究家によると“武庫川”は“向こう側”と言う意味で自分のいる場所からはるか向こうの土地という意味であったようで、武庫川はおそらく、大阪南部か和歌山から遠くに見えた土地の呼び名だったのだろう。同じように“六甲”という地名も“むこう”と呼ばれたことが起源のようで、後に他の由来が結びつく。昔の人は晴れた日に山の頂に立ち遠い向こう側に思い馳せたに違いない、現代に生きる私も山の頂から大阪湾や紀伊半島に目を凝らす。
遥かかなた(向こう側)が見える日、自然界が与えてくれる稀な日を昔から人は待ち望んだに違いない。遠くを見つめるその瞬間、頭の中を想像力が駆け巡る。

明日、なんとか時間を作り、あの山の上に立ちたいと思う。
August 06, 2010 20:05:03

世界

カテゴリー: 日記
私の初めての一人旅は、学生の時のヨーロッパ旅行だった。当時は簡単に長期の旅行なんてできない世相だったので、アルバイトでお金を貯めて就職する前に外国に行っておかなければ次にいつ行けるか分からない・・・という思いがあった。当時1ドル360円の固定相場制の時代で、今の若い人から見れば別の惑星の話に違いない。初めて乗った国際線エアラインの乗務員に英語で話しかければ首を傾げて片言の日本語でかえされ、出ばなで英語力に自信をなくした。ルーブル美術館の前でカメラマン風のフランス人(?)に1枚のポラロイド写真を撮影され50フラン(今ではユーロなのだが)という、ほうがいな代価の請求を拒否できず、払ってしまった自分が情けなくて悔しく思い、今でもそのときの情けなさが頭をよぎる。スペインに入国する前には、当時内乱が終息しておらず田舎に行くとライフルで狙撃されるかも知れないと脅され、それでも行ってみた。プラドー美術館では“裸のマヤ”の原画の前で、写真撮影させるから金をよこせと警備員に言われ・・・エッフェル塔の近くでは、偶然話しをしたヨーロッパに着いたばかりの同年代の日本人青年が、私の忠告を無視してジプシーの子供達に囲まれ相手をしたものだから財布を盗まれた。泊まった宿は英語が通じないし、当時まだアメリカの習慣であったチップを置いても手をつけてくれない。ドイツからオランダに向かう国際列車のなかの社内検閲(イミグレーション)で他の乗客の前で腹巻に隠していた有り金を全部みせろと言われ・・・どうしてそこまでしないといけないのかと思いつつ、渋々服を捲り上げた。
いっぱい恥ずかしい思いをした。なんて自分がちっぽけな日本人かと思った。

今日は、ふと若かりし当時の日々を思い出した。今となっては楽しい日々を思い出した。
恥をかき、悔しく情けない思いをし、英語が通じない外国があることを知り、盗人と詐欺師が堂々と闊歩する通りがあることを知り、世の中に戦争や内乱というものがあるということを知った。ほんの少し・・・少しだけ世界というものを知ったような気がした。
私は今、若かった頃の、あの当時と同じ経験をしようとは思わない。だから世界のことは今でも少ししか分からない。でも私は昔少しだけ世界を知った。

私の息子を含め、今の青年に言いたい。恥をかけ・・・知らないことは知らないと言え・・・悔しく思え・・・経験するなら今のうち・・・

あーっ・・・私は凄いおっさんになったものだ・・・
(これ、以前も書いたような気がしてきた。おっさんどころか老人やな・・・)
August 07, 2010 23:04:56

プロ

カテゴリー: 日記
昨晩、タップダンスのライブを見た。東京で活動する(北野武の座頭市に出ていた)タップダンサーのわが町で初めてのダンスライブがあった。バックにピアノ・サキスフォン・パーカッションを引き連れてのタップダンスのショーである。10日ほど前に身長185cmの素顔の彼と初めて話をした時の彼の印象は挨拶のちゃんとできる高感度の高い万年少年という感じ…甘く優しいしゃべりに、もし私が女性だったら思わずついていきたくなるような(私に、男色の気はありません。)素敵な男性という印象…。「タップし始めたら目つきが変わりますよ!」と笑いながら自ら語った通り、昨日はリハーサルの時から笑顔が消え渋みが出てかっこ良さが増していた。一部・二部合わせて2時間、動き続けてアンコールに応え、観客を笑顔で送り出した後、誰もいない舞台の上で大の字になって「疲れた…。」と小さく独り言を言った彼を見て、さらに彼のファンになった。(私には、男色の気はありません。)先ほどまで強く平静であった人の、一人になったときの弱さを見せられると…たまりませんね。
普段トップクラスのエンターテイナーに接することのない私は、彼らの観客の前でのプロフェッショナルな表情・呼吸・動きに接して、プロの根性、体力、気合を思い知った。

それはそうと、アルゼンチンタンゴとか…タップダンスとか…最近ライブに関してよく書いているので私が何を生業にしているか不思議に思うかも知れないが、実は私の仕事の一つにフリースペースの運営というものがあって、クラシック、ジャズのコンサートからタップダンスまで一流のエンターテイメントを目の前で見る機会が多い。実に刺激のある日々を過ごしている。

あなたも、刺激をもとめて一度会場に足を運んでみられませんか…。
August 08, 2010 15:48:42

群集

カテゴリー: 日記
今朝、山裾の道を車で走っていると、両サイドの歩道を群れをなして同じ方向に進む集団があった。確かこのあたりの山へ向かう小路を行ったところに名前は分からないが新興宗教の本山があり、以前にも同じような集団の間を通り抜けたことがあった。この暑さのなかでの人の群れは、私にはとても奇妙な光景に見えるもので・・・、水や草を求めて私とは全く異質の生物(例えばバッファローとかガゼル)が群れているように見える。但し命の源である水や食料ではなく、心のやすらぎや精神的安定や悩み苦しみからの解放を求めているところが人間らしいと言えるのか…
私は人の多いところが苦手で・・・従って祭りを見に行ったり、一皿の料理を食すために並んで待つということは得意ではない。得意ではないという表現は微妙であるが、絶対に人の多いところへ行かないということや待つことをしないという訳ではない。私は大人であるから時と場合で行動する。

今日私が言わんとするところは、私は人と同じ行動することが苦手で、いくら素晴らしい教えをいただけると言われても並んでまで行こうとは思わないと言う事・・・。いや決して今朝の新興宗教の人々を馬鹿にしているのではない。その宗教も他のどの宗教も人々に正しい道を説いていることは間違いないと思うし、その人にとって生きるうえで大切なよりどころなのだと言うことは理解できる。あくまでも私の問題として、私が彼らの列に並ばない理由は、それが正しい教えであるにせよ、絶対ではないという認識があるから・・・絶対であると自ら語ったり、そういう素振りをする団体には近寄らない。教えが絶対正しいとは言わない宗教があったら並んでみようかな。正しいことはいっぱいあって、大抵の場合その反対も正しいことが多いと理解している。こんなふうに考えている私は皆といっしょについて来なさいと言われても、なかなか動く気にはなれない。皆といっしょは変だと思うし・・・、

私のようなものを“天邪鬼”と言うのだろうか・・・ ・・・ ・・・
August 09, 2010 20:55:45

煙草

カテゴリー: 日記
私が煙草を止めてから25年目である。止めた理由は、ある人に対して勝手に自分の意思の強さを確かめたかったこともあるが???もう一つの理由は、“もったいない”と思ったからだ。煙草の吸い始めは、大抵の人がそうであるように大人の真似がしたかったからで…そのうちに本当に美味くなって、胃まで吸い込むものだから私が煙草を吸い込んだ後に吐く息に煙は混じらなくなっていた。煙草を吸う友人は当時パッケージのデザインがスマートだった“セブンスター”なる銘柄を購入していたが、私は学生時代から“ハイライトやチェリー”等のサラリーマン(おっさんの)の煙草を好んで吸った。あるときハッカ入りの煙草“セーラム”が発売され、爽快感が気に入り以後そればかり吸い始める。ところが一日に二箱購入するのだが、自分が吸うのは実質20本だけだという事実に疑問を持った。そう…私の周囲の人が勝手に私の煙草を吸うことを黙認していたのだ。“もったいない”と思った。私は煙草を止めた。きっと私の煙草を吸っていた人は困ったに違いない。
私の父は、超ヘビースモーカーで一日に“缶ピー(フィルター無しの煙草50本入)”を二缶吸っていた。吸いすぎで体を悪くし、動けなくなり医者から煙草を吸うと死ぬと言われ…止めた。煙草を止める理由をもって、私は、はじめて父親を越えたと思った。

最近、町のいたるところで禁煙スペースが拡大し、公共施設だけでなく一般のお店でも喫煙者の肩身が狭くなっているようだが、個人事業者はともかく煙草を止められない企業人に私は疑問をもつ。企業人はあくまで歯車である。自分の代わりはいくらでも居るわけだから、ことあるごとに会社に対して自分の価値をアピールすることが宿命だろう。そんな環境下で個人の嗜好を優先し、環境や健康に悪影響のある煙草を吸い続ける人間に、私が企業の幹部であったなら会社の重要なポストは任せない。まぁ、私は企業マンではないから言っても仕方ないけどね…。

煙草を吸う人が吸う場所を選ぶ時代がやって来ると30年前に誰が予想しただろうか…常識というものは、時代と共に変化する。いつか、吸うと長生きする煙草ができるかも知れない。
August 10, 2010 22:02:15

別れ

カテゴリー: 日記
昨日、久しぶりの出会いがあった。一人は私のほうから訪ねて行った東京の百貨店にも出店しているチョコレート屋さんの社長…チョコレート屋さんなのに先代のときから時計・メガネの店を経営していて、さらに個人的に税理士さんもしている。少し変わった人だ。この度は新しいメガネを買い求めることと、以前購入したお気に入りのメガネのフレームが壊れたので修理依頼を兼ねて出かけた。私より十ほど年上の社長は普段あまりメガネ店に姿をみせない。携帯に電話して出てきてもらい話をした。3年振り…短時間だが楽しかった。そしてもう一人は…店を出て帰り道、繁華街を歩いていて、突然名前を呼ばれた。17年振りに出会う高校の同級生だった。おとなしそうに見えて結構積極的…学校卒業後イタリアンジェラートの店で成功し(ハーゲンダッツやホブソンズなんてまだ無かった)店も順調に増やしていた頃、山道をイタリアのスポーツカーで走っていてカーブで曲がりきれず、ガードレールに激突し車は大破…、助手席に座っていた女性は即死したと聞くが、本人に確かめたことは無い。その後事業は一進一退…、地震の影響もありアイスクリーム屋から足を洗い、今は震災後芦屋ではじめたガールズバーを一軒だけ経営している。“ガールズバー”がどんな営業形態か分からず聞いてみた。カウンターのなかのバーテンさんが若い女性ということで、入店しただけでセット料金が加算されると説明を受けた。「うちは、そんなに高くないよ!」と続いた。
彼は、ある同級生の所在をたずねてきた。高校の時はバスケット部のキャプテン…身長は高く、胸板も厚く、顔も良く、頭も良い。私の記憶ではとてもスマートな男だった。その後時代はバブルへと進み、一時は時流に乗って芦屋山の手の億ションに一人で住み、人が羨むセレブな生活をしていたと聞く。バブルがはじけ…、全てが逆回転をはじめその後どうなったのか噂も聞かなくなり20年…、昨日出会った同級生はバブルではじけた友人の金融債務の保証人になっていたらしく、本人は黙って自己破産して姿をくらまし、第二順位の保証人である本人の兄はすでに死亡しており、結局肩代わりの返済を続ける羽目になったとのこと…、よくある話と言えばよくある話…。人生には深い落とし穴が用意されることがある。

私は、この日同級生に二度嘘をつくことになる。一つは「近いうちに店に寄るよ。」もう一つは「捜している同級生の噂を聞いたら、すぐに連絡するよ。」
“ガールズバー”のような営業スマイルのお店は苦手だ。そして同級生同士の醜聞に関わりたくもない。
17年ぶりの出会いは、少し重苦しい空気のなかで…別れとなった。
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