ご趣味は?と聞かれておそらくもっとも無難に選ばれるであろうこの二つ。 それを最初の日記のテーマに持ってくるあたり、僕の平凡さが伺えるというものですが、いろいろな趣味に手を出してきた中でも「音楽」と「本」はとりわけのめりこんできたのであえて書いてみます。 とはいえ、あまりにディープな話をしても自己満足で終わってしまうでしょうし、誰でも知っている話では何をいまさら、ということになりかねません。このあたりの微妙なさじ加減ができる人が、「空気の読める人」という評価を得るのでしょう。 さて、前置きが長くなりました。しかも自分でハードルを上げている気がしますが気を取り直して。 まだ読んだことのない方に是非お薦めしたい本が、貫井徳郎の「慟哭」です。本格ミステリーなので内容を書けないのが残念です。懐疑的にならずに筆の流れのままに読むと楽しめると思います。もっとも、本好きを自認される方であれば、読んだことがあるかもしれませんね。やや空気を読めていない気がします。 音楽は、ジェイミー・カラム(JAMIE CULLUM)はどうでしょう。 ジャズポップというジャンルに区分されることが多いようです。特に僕が好きなのが「Don't stop the music」です。彼を初めて知った曲でもあります。聞き流していたFMから流れてきたときには「なにこの曲、かっこいいな」と思い、PVを見たときには「うわ、めっちゃかっこいい!」に変わりました。YoutubeなどでもPVがあがっているので、気になる方は是非チェックしてみてください。 さて、空気を読める人になれたのでしょうか。 もし僕のお薦めを読んでみた、聴いてみた、という方がいらっしゃったら是非感想を聞かせてください。また逆に、あなたのお薦めを教えてくださいね。 |
プロフィールにも書かせてもらっていますが、僕はシステム系の仕事をしています。昔は100万人規模のお客様が利用するようなシステムを担当していましたが、今は利用者が職場の同僚である社内向けシステムを担当しています。 100万人規模ともなると、自分とお客様との間に距離がありすぎて、自分の仕事がどのように役立っているのかなかなか実感できませんでした。文字通り、お客様の顔が見えない、というやつですね。 でも今は、すぐそばで席を並べている同僚たちのために仕事をしているので、自分の存在意義をダイレクトに感じられます。「これ困ってるんだけど、どうにかならないかなぁ?」と相談を持ちかけられたときに、それを解決するのが僕の仕事なのですから。 今日も同僚からとある相談を持ちかけられました。 聞けばずっと昔から困っていた事だったのですが、関係会社のシステムを更新してもらわなければ解決できない、と諦めていたそうです。 でもよくよく話を聞いてみると、必ずしもそうではなく、自分の得意な土俵で解決できることがわかりました。 明日も仕事ですが、こういう仕事をしている時間は心から楽しいと思えます。今回の仕事は職場全体の仕事の効率が大きく変わることが見込まれているので、僕の仕事の成果をはっきりと感じられることになりそうです。 僕自身への給料が元手といえば元手ですが、知恵ひとつで大きなうねりを生み出すことができるこの仕事は、クリエイティブ&ドラマチックだとつくづく思います。 ということで、明日は張り切ってがんばってきます。 |
ものすごいウンチクが飛び出て来るんじゃないか?と思わせるタイトルですが、そんなものは出てきません。期待した方、ごめんなさい。今のうちに謝っておきます。 僕が毎朝出勤して最初にするのは、珈琲を淹れることです。 そしてその珈琲は、ドリップ式でないとダメです。なぜなら、僕は珈琲を飲むのが好きなわけじゃなくて、珈琲の香りが好きだからです。 珈琲の香りに包まれていると気分がリラックスして、今日も一日頑張ろう!という気持ちになります。 ところで、珈琲というものは、生のままで豆を食べるものではありません。口に入るまでに、収穫して、精製して、乾燥させて、焙煎して、挽いて、熱湯を注いで、と多くの手順を経て美味しく飲めるようになりますね。このように、生では食べられないけれど、手をかけてやれば美味しくいただけるようになる食べ物に出会うと、僕は思うのです。 「どれだけの時間と犠牲の上にこの食べ物はできたのだろう。」と。 きっと初めて珈琲豆を食べた人は、「こんなものは食べられるものじゃない。」と思ったことでしょう。そして、一緒に暮らしていた同じ部族の仲間たちには、「珍しい豆を見つけて食べてみたけど、食べられなかったよ。」などと伝えたことでしょう。きっと長い間、珈琲豆=食べられないもの、という認識が広まっていたに違いありません。やがて人類が火を扱えるようになり、たまたま火で生豆を炙ってみた人がいたか、山火事などで燃えた豆を手にした人がいたりして、火を通すといい香りがするようになることを学んだのかもしれません。でも香りがいいだけで、食べても苦いだけだったことでしょう。これに熱湯を注いで飲む、という発想に至るまでには、まだ長い時間が必要だったのではないかと思います。 珈琲の場合は、正しくない手順で口にしても美味しくないだけで済みますが、毒性のある食べ物の場合は深刻です。今のように科学が発達していませんから、食べた人が犠牲になって、誤った食べ方を経験して、少しずつ正しい手順を学んでいったのでしょう。毒があるとわかっている食べ物を、食べ方を変えるにしても、敢えて食べようとするそのスピリットは尊敬に値します。このようなスピリットこそが、人類の進化を支えてきたのではないかとさえ思うのです。 |
わがままと甘えの区別はどこにあるのでしょう? どちらも相手に対して何かをお願いする、という点では同じですね。 となると、その内容によって区別できるのでしょうか。 誰がどう見てもわがままだ、というものは確かにあるにしても、受け手によってその区別のラインはかなり違う気がします。僕の場合はプロフィールにも書かせてもらっているように、頼られるのが好きな人間なので、きっと「甘え」のゾーンが他の人よりも広そうです。 このように、絶対的な基準のようなものはなくて、受け手がどう感じるか、それに尽きるのではないかと思います。ただ、定義らしい定義をするならば、僕の中では「相手の気持ちを考えた上での願い事は、わがままではない。」というあたりに落ち着きそうです。 「(忙しそうなときに会いたいとか言ったら迷惑がられるかな?)」とか、 「(手をつなぎたいけどそんな気持ちじゃないかな?)」とか、あまりいい例が浮かびませんが、お願いするときに少しでも相手への気遣いがあれば、お願いの内容はあまり関係がないように思います。気を使ってくれているのがわかれば、わがままとは感じないでしょう。あくまでも僕の場合ですが。 勝手に慮るに、甘え下手な人というのは、相手の気持ちを考えすぎるあまり、何も言えなくなってしまう人なのではないでしょうか。あるいは逆に、自分が気を使っていることを意識させたくなくて、気遣いのないような振る舞いをしてしまう、なんて人もいるかもしれません。 だんだん僕の趣味・嗜好が入ってきて恥ずかしくなってきますが、願い事の終わりに、「ダメかな?」を付けると、もれなく甘え上手になります。それに上目遣いが加わると、効果が倍増します(当社比)。 結論だけみるとアホっぽいですが、「ダメかな?」に相手への気遣いがあればOKなのですよ。願い事をするのはコミュニケーションの一つ、ぐらいの軽い気持ちでいいと思います。 |
金曜日に、職場の歓迎会がありました。 4月に入社した新人社員のためのものですが、事情があって今になってようやく開催の運びとなりました。 体調不良で療養中の人を除いた全員参加で大いに盛り上がりました。職場の飲み会はとても久しぶりのことです。男だけなのでちっとも華やかではありませんでしたが、みんなで手荒い歓迎をしてあげました。 職場は若い人が多く、50代が1人、40代が1人、残りが30代以下と堅苦しい雰囲気は全くありません。飲み会の雰囲気も至って和やかです。やっぱり同性のみの飲み会では恋の話(こう表現するのがたぶん正解なのでしょう)になるわけで、最初のターゲットは当然の流れで新人くんになりました。彼は見た目もそうですが、いわゆる草食系男子で、「自分はMなのでSな年上が好きです!」などとのたまっていました。 次のターゲットは予想通り僕でした。妻帯者・公認の彼女持ちを除くと僕だけになってしまうので、他の人では面白い話にならないのです。 とはいっても、僕も何か面白い話題を提供できるわけでもなく、いつからいないのだとか、どんな人がタイプなのだとか、あまり当たり障りのない話にしかなりませんでした。ただ、興味本位というよりも、心配している様子の10歳下(妻子持ち)もいて、嬉しさと同時に微妙な感覚も味わいました。 結局三次会まで執り行われ、解散となったのは朝5時半。それほど栄えている街で飲んでいたわけではないのですが、2時3時になっても飲みに来る客が多いのには驚きました。今日は午前中は寝ていましたが、夜になっても眠いんだか眠くないんだか、酒が抜けているんだか抜けていないんだか、よくわからない状態です。 いつかの飲み会のときにはいい報告ができるように。少し決意を新たにしました。 |
先週に続いて昨日も会社の飲み会がありました。 2週続けてとなると滅多にないことです。 前回は社員による新入社員のための歓迎会でしたが、今回は同じ事務所で働いているパートさんの主催による、パートさんの歓迎会でした。 どのような飲み会になるのか想像がついていたので、正直なところ気乗りしなかったのですが、歓迎会という看板がつけば万難排してとまでいかずとも、予定がないなら参加して歓迎しなければ、と思い参加してきました。 わざわざこの日記を読んでくださった方を不快にさせたくないので詳細は書きませんが(詳細を聞かないようにしていた、というのもありますが)、飲み会に参加しなかった職場のパートの方や、すでにやめてしまったパートの方の悪口を肴に酒を飲むという、僕が最も嫌う雰囲気の飲み会になってしまいました。 こういうときにどうするのが大人の対応なんだろうと今でも考えてしまいます。結局僕は話の輪からすっかり外れて、あるパートの方の連れてきた7歳の女の子と一緒に店の中にあるダーツをして遊んでいました。 子供は無邪気でかわいいなぁ、なんて思っていると、「おじちゃん、おじちゃん」と呼ばれてしまい、テンションダダ下がりになったりもしましたが、7歳の女の子に「お兄ちゃん♪」と呼ばれたらヘンな気分になったりするかもしれないので、よしとします。 |
今日、仕事帰りにふと思いました。 最近あった幸せな出来事って何だろう?と 「・・・。」 「・・・・・・・。」 うん、あれだ。 「幸せ」って言葉がよくなかったんだな。 僕が思うような幸せを感じているなら、きっとここにはいないはずだ。 どんな小さなことでもいいから思いつくものを書いてみよう、とかやり始めたら、おいしいラーメンに出会ったこと!とか書いてしまいそうだ。というか書いてるし。 確かに先の日記で教えてもらった、美容師さんのお奨めのラーメン屋の「にぼしつけ麺」は僕にとって大ヒットだったわけですが、幸せの象徴として挙げるわけにはいきません。なんでもないようなことが幸せだったと思う、と言っていた人がいましたが、これはちょっと方向性が違いそうです。 ちょっと表現を変えてみて、充実感を味わった出来事は何だろう? これなら少しはまともなものが出てきそうです。 仕事で難しい問題にぶつかったときに、試行錯誤しながらなんとか解決にこぎつけたこと。ラーメンと比べるとずいぶん進歩した気がします。 スポーツジムの帰りに、車を運転しながら疲労感に包まれていたこと。今日も仕事帰りにスポーツジムに寄ってきましたが、体は疲れきっていても心は健やかで穏やかです。 考えてみると、どちらにも自分の力を出し切ったということが共通しています。学生時代には毎日いろんなことがあり、時に自分の能力の限界を超えるようなことも起こりました。だから、学生時代は充実していたなと振り返って思うのでしょう。きっと皆さんにもそんな経験があったと思います。 でも、社会人になると自分の所属する世界は会社(=仕事)がほぼ全てになり、仕事を覚えるまでは必死になっていても、いずれは慣れてきます。毎日常に全力を出し切って仕事に取り組むことが理想かもしれませんが、そんな毎日では心まで疲れきってしまいます。そんなことができる超人はそうそういません。 なので、僕はできることからやってみようと思います。 一日何かひとつ、仕事じゃなくてもいい、些細なことでもいいから全力を出してみようと。そうすればきっと自分の中の何かが変わる。積み重ねていけば大きな力になる。そんな風に思います。 |