目覚まし時計が最近おかしい。 電池を入れ替えても 何時間かしたら 止まっていることが多い。 明日の朝はどうなるのだろうか。 自然に目が覚めると思うのだが 万が一目が覚めずに 会社に遅刻したら 会社に入って初めての ことになる。 これまで遅刻しそうになったのは 何度かあって 地下鉄の駅で 電車に乗ろうと 改札口のところで 財布を忘れた事に気がついて 家に戻ったことくらいか。 自転車通勤を 始めてからは 自転車が途中で 壊れてしまったことくらいか。 そのくらいであって 遅刻はまだしたことのない。 大雨、台風のさいにも 遅刻はしたことのないのは 通勤手段が 自転車だからだ。 途中でパンクしないように 「パンクしない自転車」 を買って乗り回して パンクはしないが タイヤは磨り減るので 何度もタイヤを交換し 振動でリムを破損し 最後にはハブを破損し とうとう動かなくなってしまった。 二万キロ走ってもう少しで 月まで走ることに なるとことで 後輪が回らず 交差点の真ん中で とうとう 動かなくなる。 でもそれでも 遅刻はしなかった。 遅刻をするとなると 余程のことがないと しそうにもない。 二度寝をして 遅刻しそうになる。 そういうのは よく聞くことだ。 二度シャワーを浴びて 遅刻しそうになるというのは 一番ありえるかもしれない。 いつも乾くまで ずっとハダカでいるから。 完全に乾くまで とくに お尻の部分が 乾きにくい。 |
186歳が生存しているとか 戸籍が存在しているらしい。 本人は存在してないだろうが 明治以前の戸籍の管理は どうしていたのだろうか。 庄屋さんが管理していたのか 近所のお寺が管理していたのか。 宗門改め張は寺の管理ならば 戸籍が寺院にいまでも 保管されているのだろうか。 明治以後は 役所が管理しているのだろうが コンピューターがあるわけでもないし 書類の管理はどうしていたのだろうか。 戸籍というのは まだ請求をしたこともないし 必要性が感じたこともない。 誰それと結婚するわけでもないし 当人が存在した証というのは 何らかの自己証明をする機会がないと 必要性は感じられない。 戸籍というのは 字体を見るがぎり 明治ころの まだ家族観が儒教的な 道徳観に支えられた頃の 名残ではないか。 一戸との家と見ているのだろう。 いまでは家族はすでに 個人、個人でバラバラであるし 以前よりは家族間のつながりも 希薄になり始めている。 戸籍ではなくて 個籍ではないか。 と思う。 いずれ家とかの観念が 古くなってしまえば 名称の変更もあるかもしれない。 昔は「戸籍」と評していたけれども 今では「個籍」と書くようになりました。 理由は家族観念の変化に伴う 独り暮らしの増加。 未婚者の増加。 個人の意識の向上などと 22世紀頃に 名称が変更されたりしているかも。 |
目覚まし時計が 最近壊れたのか 乾電池を新品に替えても 数時間後には 止まってしまう。 いつとまるかわからないので 朝はもし目が覚めないで 遅刻したらどうなるかと よけいな事を考えてしまう。 新しいモノに買い換えればいいので 最近は時計売り場を覗いて 良さそうな時計を見るのが 日課になっている。 出来れば修理が出来ないかと 分解をしてみようかなと 思って 止まってしまった時計を よく観察してみると 秒針が 長針を 追い抜こうとして 長針にひっかかって 止まってしまっている。 長針の先が 猛暑のせいか 反ってしまって 変形をしてしまって 秒針の進路を 妨害していたわけである。 目覚まし時計のカバーを 外して長針の変形を 指で軽く押して しばらく様子を見ることにした。 いまのところは 時計は正常に動いている。 SEIKOの時計って 熱に敏感なのか。 時計売り場に展示してあった デジタル時計の 温度計も一番表示が高かったし SEIKOの時計は暑さに敏感で 熱には弱い素材なのかも しれない。 今度もし 秒針が進まないようだったら 秒針を取り外すのも 一考だろう。 進路には常に 試練が待ち受けているのだ。 進路ではなくて 針路なので タイトルは 間違ってます。 |
無料会員は 「はじめましてメールを送れなくなる。」 というように 突然決まってしまったようである。 980円払えば、良いとのこと。 9月9日なんてもうあと二週間もないではないか。 となると、コメント交換はどうなるのだろうか。 これでは、もはやこの サイトに居てもしょうがないかなと 思ってます。 メールをくれる人は 滅多にいないし、 コメントを寄せる人も 滅多にいないので これはそろそろ潮時かなと 思い始めた。 今のうちに 気になる人に メールを送ってみようかなと ちょっと考えた。 こちらとしては ただ毎日訪問をして 読んでいるだけであるが これからは、 メールさえ送れないならば 今のうちに 初メールを済まして おかないといけないのかな。 初めましてメールをもらっても 続かないのならば 最初から送らなければ いいのであるが メールさえ送れないならば 八方ふさがりで 地下に閉じ込められた 鉱山労働者のような ものである。 無料というのは 限界があったのだろう。 こちらとして なんの享受も受けていないので。 なんの出会いもないものですから たぶん有料会員には ならないだろう。 無料でも 出会いもないのに 有料になって 出会いがあるなんて 考えにくいのだ。 メールのやりとりが 出来ないなんて 今のうちに 送るしかないかな。 たぶん 面倒だから 送ることもないだろう。 コメントが送れればいいのだ。 メール交際ではなくて コメント交換でいい。 中学生みだいだ。 |
夕方からは雷雨で 夕立が降って だいぶ涼しくなったけれども また明日からは暑くなるという。 世の中は小沢か管のどちらが 総理になるかで ニュースになっているけれども なんで今の時期に小沢さんは 出馬したのだろう。 世間の逆風はわかっているだろうに。 世論は望んでないのに わかっているということは 彼が総理になったら 世論は無視ということだろう。 もとより世論が正しいわけでもないし それなりの政策やら考えを もっているかかどうかである。 総理大臣になったとして 検察に逮捕されたら どうするのだろうか。 なれなかったら 引退だろうか。 もう年齢的に 出馬も最後ではないかと 思う。 管さんの政治と 小沢さんの政治と 何が違うのか。 断固やり遂げるような 周りを無視しても やるような豪腕さは 管さんにはないようだ。 小沢さんだったら 何かやってくれそうな 期待はあるけれども 多分世間の反発は 激しくて 結局短命に終わるだろう。 政治なんか興味はないのであるけれども 雷が激しい中 たまには頭を冷やして 政局のことでも 考えてみた。 |
夏は過ぎ去ろうとしている。 秋分の日も近い。 朝5時頃に目が覚めると ベランダから空を眺めるが 以前は空は白みはじめていたが 今は真っ暗で オリオン座は東に位置している。 日差しはたしかにきついけれども 日照時間は確実に短くなっているし 間違いなく秋はくるのである。 たしかに猛暑なのであるけれども 暑さ、寒さも喉もと過ぎれば なんとやらである。 |
新学期が始まった。 小学生、中学生、高校生が 朝は通勤途中に 列をなしている。 大学生はよくわからないが まだ休んでいるのだろう。 会社員は休みは盆と正月だけで 毎日、毎日会社に通って お金を貰いにいくのである。 自転車マナーアップをか 看板を掲げたボランティアの 高齢者とか 横断歩道の旗振りボランティアの 主婦であるとか 急に出現するものであるし 慣れていないので とても交通の邪魔になっている。 ボランティアというのか 持ち回りでやっているのかも しれないけれども 横断歩道なんか 本人の判断で 渡るものである。 交通の流れをみながら 変化していく中で 状況判断は個々のものだ。 お願いだから 立ち位置をよく考えて 歩道に立ってください。 ボランティアの皆さん。 暇だろうからと思う。 |
会社で勉強会が 毎週水曜日、夕方からある、 何を勉強するかというと 業界のことであるとか 商品のことであるとか 経営管理のことであるとか であるが 毎週、毎週、 講師は当番制である。 座学であるし 黙って聞いていれば楽なのであるが 講師役は大変である。 資料を集めて 話の筋やネタを集めて 短時間でわかりやすく しゃべらないといけない。 今週は自分の番であったので 先週から ネットで情報を調べたり 図書館に出かけたり 日経新聞のデータベースや 帝国データバンクで 情報を集めたり 取材を直接したりと かなり熱心に知識を 集めまくったのだ。 それで水曜日の朝は 朝から こんな話をしようとか あんな話をしようとか 頭の中は講義の 話題で朝からそればかり 考えているのだ。 定時の時間が終わって 始まるまでまだ時間があるが 早めに 会議室に向かって 資料を配る段取りをして 待ったが誰もこない。 日程が変更になったのだ。 月初めの初日の 水曜日は無理ということで。 という事で今日の 木曜日に講義日が変更である。 今日は朝から ぜんぜんやる気がしなかった。 昨日の時点で 緊張の糸が切れてしまって かえって余裕をもって 講義にのぞんだのであるが 案外、評判がよろしくて 社内なのに 握手を求められたりと なんだか不思議な感じである。 人前で30分も喋るのは 学校の先生であるとかは 普通であろうけれども そういう機会は日常ではない。 喋るというのは なかなか楽しいものだ。 反応を見ながら 話を展開をしていくというのは なかなか楽しい。 噺家たちの喋りを研究したいと 思っている。 なにせ私は 無口な男でとおっているのだ。 社内で喋るということだけで 面白がられたのかもしれないな。 それで、つけられた あだ名が 「池上先生」である。 なんだか喋り方や風貌や 講義の仕方が似ているそうだ。 彼の本は本屋で立ち読みはしている。 筆者に読者は似てくるのだろう。 彼のような膨大な知識を持つために もう少し本を読んで勉強をしようと思う。 |
会社から 帰ろうかなと パソコンの電源を切って 帰る支度をしていたら 突然真っ暗になった。 外は雷がゴロゴロなっていたし 博多駅周辺は 突然の停電に 戸惑ってしまう。 暗闇の中を手探りで 外に出て 周りのビル街を見回すと あたりは真っ暗である。 空港の周辺は稲光をして ピカピカと光ったり消えたりしている。 真っ暗な会社の中でも 階段だけはなぜか 蛍光灯はついていて 非常灯とでもいうのだろうか。 停電になっても手すりの横に 設置された蛍光灯は 点灯をしている。 闇の中では 光が頼りである。 はたして他の人はどうしているのだろうか。 階段を上がって様子を伺うと 「停電ですかね。」と 言っていると 「あ。ついた。」 停電はわずか一分くらいであった。 停電というのは そんなに経験は出来ない。 超大型の台風が数年前に 直撃、上陸したときは 3時間ほど停電をしたけれども それに比べたら 平和なものである。 「停電ですかね。」なんて 当たり前の話をノンキに言葉に出すのだから。 月曜日に来たときに パソコンは大丈夫だろうか。 停電ということは 一瞬の間に大電流が流れたのだろうか。 もしそうすれば、 パソコンだけでなく ハブであるとか 電話機であるとか ケーブルや コンセントを通じて 誘導電流は 被害を及ぼすだろう。 月曜日の朝から パソコンが動かないなんて もしそうなったら 仕事は出来ない。 今日はパソコンの電源を切っていたが 他の部署ではパソコンでデータ 処理中にいきなり 落雷で停電であるから データもどうなったか わからない。 とりあえず 今日のところは 被害はなさそうだということで 帰ってきたが 月曜日はどうなるのだろう。 |
日中は暑いので 外に出かけるのは 日没後が多い。 出かけるといっても散歩がてら 買い物に行くので特別な 用事があるわけでもない。 雷鳴は聞こえないが 稲妻が光るなかでもお散歩である。 日中は数時間おきにシャワーを 浴びて裸でベランダに出ている。 裸でベランダに出ても 周囲には見えないように 簾がかかっているので 猥褻物陳列罪には ならないだろう。 公衆の面前で 裸になったら 犯罪になるだろうが 先日横浜で起きた 事件では若い女が 同居する男に 裸で歩くようにと指示を して真夜中に 歩かせたそうだ。 裸で歩くのに 靴を履いていたのだろうか。 いつも裸で過ごしていると 猥褻物という観念はないので 同類として 履物はなんだったのだろうか。 そういう点を知りたいのである。 裸というのは素足という意味も含まれるのか。 アベベのように素足だったのか。 そんな事を考えながら 夜風に吹かれて シャワーの水が乾くのを 待っている。 ベランダに出ても 天皇参賀のように 多くの群集が下に いるわけでもないし 簾で囲ってあるし 明け方には 星を見るのに ちょうどよいし 冬の星座を見ながら 夜明けの 星雲を観察するのが 最近の 明け方の過ごし方である。 |