今日は朝から大変やった。 口は災いのもとや。 いらん事は喋らんほうがええ。 身に沁みてわかったからこれからは 職場ではなるべく喋らんほうがいい。 仕事以外のことやったらいいんやが。 野球の話やら遊びの話やら健康の話やら。 どうでもいいような話はいいんやが。 仕事の内容でここはこうしたほうがええとか こういう事はせんほうがええとかいうのは はばからんとあかんな。 現場でどんどん決めてくれというけんど あたしは、そんな物事をぐいぐいと 引っ張っていくタイプじゃありまへんし たとえ好きな女の前でも何にも話もせんと 柱の影からああええなと思うやさかい 一歩前に出てから「あんたすいとうと。」とか 口に出してもいいまへんは。 そやけれど仕事のことやったら遠慮なしに ここはこうしたほうがええと思うと 喋ったらそりゃ大変や。 イロイロなところに影響がでてくるもんや。 一言から喋ってしもうたらそれがイロイロな 段取りまで影響してくるもんや。 だから口は災いのもとや。 もう職場では貝になろう。 いらん事は言わんこっちゃ。 余計な一言もいわんこっちゃ。 これからはああしたほうがええとか もう言わん。 どんどんと言ってくれと怒られて 「はい。わかりました。すいまへん。」 と言ったけれどもその意味するところは もう余計なことは喋りまへん。 あんたとは腹の付き合いや。 本音の付き合いはしまへんで。 アッカンベーということや。 今日は蒸し暑うございました。 これから一ヶ月もすればもう 梅雨時や。 ヒトの心はようわからへん。 思ったことは言わんのが 会社の中での役目やな思った。 どうでもいいような無難な事しか 言わないようにしましょ。 |
明日から何して過ごそうかいな。 ここ大阪に来て四ヶ月や。 ほんま、けったいな街や。 おばはんは、よう喋る街や。 おばはんの子供もよう喋る街や。 早口でほんま漫才大会や。 ここは節電も関係ないはな。 わしは、もとから節電マニアや。 いつも会社に行くときはブレイカーは 切っとるで。 パソコンは使わなくなったら 勝手に暗くなりよる。 画面が暗くなるんで ネットで映画みよったら黒うなる。 そのたびにマウスを動かさならんとあかん。 面倒や。 自給自足はええな。 東京も山奥に行けば仙人が住んどうる。 奥多摩のもっと上の標高の高いところや。 毎日、山菜をとって暮らして 夜は溜め込んどったワインを飲んで 優雅に暮らしとる。 このヒトはもともとは 芸術家や。 このヒトは死んでも 仙人や。 自給自足というけれど こげな山奥でどげんやって 調理しはるんやろか。 蒔ではなくてガスで調理しとる。 火力は自由自在や。 原始人のような暮らしやない。 洞窟に住んで毎日腹を満たすために 槍をもって獲物をとりにいくのではなか。 植物性たんぱく質をとって 生きるんや。 現代生活では栄養過多でかえって 寿命は縮んどる。 糖尿病、高血圧、癌、なんでもそうや。 難病も多発しとる。 直らん病気や。 ベーチェット病や。 あんた、もし突然医者に 直りまへんと言われたら どうしないます。 死にたいと思うか。 死にとうないと思っても いつか死ぬんや。 そいでな本能で 子孫を残そうと思うんや。 結婚や、子孫繁栄や。 この仙人はなして こげなととこに住んどるんか。 トウキョーの仙人や。 中途半端な仙人や。 そんなヒトになりたい。 あばら骨をさらして 獲物をとる生活やなくて 毎日、ワインを飲んで 山菜食べて 一ヶ月一万円生活やろうな。 ベーチェット病ってなんやろ。 死の不安と戦っとるで。 死ぬときの肉声を残した女子おるで。 田中のスーちゃんや。 声を絞り出して思いをさらしとる。 人間の生きざまや。 あの声を聞いてみい。 死ぬときはこげんなるんや。 似非仙人にはわからへん。 ワイン飲んでええな。 |
縁切神社へ行ってみた。 足湯で有名で一回は訪ねてみたかったらだ。 参堂に続く路地は占いの館が軒をつらねている。 やたらに占いのお店が多く よほどこの世の悩みにつけこんで商売をしている 輩が根を張っているんやなと感心する。 しかるに訪ねた時間は日没後で 神社を訪ねる客はほとんどいない。 この神社も不景気らしい。 占いの館は日が暮れたら全部閉まってしまっている。 もう少し早い時間に訪ねたら少しは風景は変わっただろう。 この神社は高台にあって 帰りがけには眼下に大阪の夜景が見える。 参堂の路地裏を歩いていくと ピアノの演奏が聞こえてきた。 こんな路地裏の民家でピアノの演奏か。 教養が高いお嬢さんが住んでいるのかいな。 しばらく立ち止まって聴いていたが 演奏はやんでしまった。 ケッヘルニ短調のヘ曲である。 すばらしい演奏でもないが よく練習されていて路地裏には もったいない演奏である。 大阪には浪花節かと思っていたが ここは音楽の都ウイーンのごとし。 教養豊かな関西の閑静な住宅地ならば わかるけれども 占い師が集まる神社周辺で ピアノの演奏か。 縁切神社に寄ってみたが 人気はないし 男が何度も何度も 境内をぐるぐると 早足で回っていた。 これがお百度参りなのだろうか。 よくわからんが必死の形相だし なんやら悩みを抱えているのだろう。 とにもかくにも 参道のお店は全部閉まっているし 開いていたのは散髪屋くらいだ。 散髪屋の看板には「子供900円 お菓子つき」とある。 どんなお菓子やろうか。 それ以外のお店はシャッターは全部閉まってしまっているし 足湯のお店なんてどこにあるのかも わからない。 何でか知らないけれども 神社には夕張市の石炭の塊が置いてあった。 破綻した街のかつての産業の象徴だ。 なんだかこの神社が不景気の理由がわかった。 この神社には御利益やらないはずや。 |
ロイヤルウエディングか。 イギリスの結婚式を少しみた。 28歳ってこんなに歳なんか。 そろそろ頭がハゲあがっている。失礼。 もとモデルか。がりがりやな。痩せすぎやないか。失礼。 となるとこれから結婚するやろう我々は いったい世間からどんな風に見られているのだろうか。 40歳前後の男や女はどんなふうかいな。 もうおっちゃん、おばちゃんなんやろうか。 自分ではそうは思ってもないけれども 世の中はそう考える。 たしかに昔はもっと髪は多かったように思う。 考え方はどうやろうか。 昔から本を読むことは好きだったが 最近は本を読むよりも自分で書くほうが好きやな。 書くという事を始めたのは いつのことからか。 書くというよりも打つということは ワープロに世の中に普及した頃であるから 1990年頃だろう。 まだウインドウズは普及はしていなかった。 当時NECの文豪やら 富士通のオアシス7でちまちまと 書いていたものである。 何を書いていたといっても 日常の景色だろう。 今、あの頃の日記を読むことは 出来るだろうか。 ワープロ専用機で書いたファイルは フロッピイで保管しているけれども 今やフロッピイを読み取る装置なんぞないのだ。 昔撮ったビデオが装置がなければ 再生出来ないのと同じ理屈である。 明日は前半戦の最後の休みである。 あいにくの雨らしい。 今日は散歩ついでに 図書館に寄ってみた。 初めて寄った図書館である。 司馬遼太郎の原稿を見てきた。 活字ではなくて生の筆記である。 ああいう風に歳をとって 綺麗な白髪になるためには どうすりゃいいのだろうか。 最近本は読まないので 少しは本を読んでみようかなと 思ったけれども とりあえず読んだのは 一冊だけである。 検視と検死の違いってわかる? そんな本である。 |
今日から五月である。 また一つ歳をとったな。 男、四十にして天命を知るやったか。 何にも変わってとらん。 関西も節電やろうか。 昨日から家に帰って気がついたのだが 自分とこのアパートの玄関の電灯が消されていた。 これまで全てのアパートの玄関の電灯をつけていたが 間引きして間隔を置いて電灯をつけている。 大家さんがやったのやろう。 大家さんがどんなヒトかも知らん。 隣のヒトがどんなヒトかも知らん。 見知らぬ土地に一人できたし何も知らん。 関西電力も原発の定期検査が終わらんかったら 夏は計画停電の可能性があるとか テレビで社長が言っておった。 たぶん、その影響やろう。 家に帰ってきて鍵穴が見えればいい。 別に明かりがあってホッとするわけでもない。 これまで明るすぎたのやから。 前半の休みの三日目が終了しつつある。 まだ時間はあるけれども今日は 何をしとったんやろう。 電気屋に時計を見に行って 電波時計というのが陳列されているのを 見たけれども 正確で10万年に一度しか狂わないという フレコミやけれども全部時間がバラバラや。 時間も個性があるんやろうか。 統一してくれないと困る。電波時計も信頼できない。 福島の原発の影響で電波を発射しておる 電波はしばらく止まっていたそうだ。 電気がなければ電波は発射不可能ということや。 電気がなければ電波時計も正しく動かないのか。 ココは関西やからたしか佐賀か福岡の電波を 受信しとるはずやけれども、それでも 電波時計は全部バラバラの時間をさしておる。 電波時計だけでない。普通の時計もどれが 正確な時刻かわからない。 時計というのは信頼ならんな。 この前津波でお父さんが流された小学生の日記を 読んだけれども 日記の中で腕時計が壊れないで動いていた事を 書いていた。何メートル防水とかの そういう意味だろう。正確かどうかは わからない。津波の中でも動くんや。 時計が欲しいな、欲しいなと思っても なかなかいい時計には巡り合わない。 時計といっても腕時計のことや。 軽くて、小さくて正確な時計や。 男モノの時計はだいたいごついし重たい。 女モノで小さくて文字盤が見やすくて 正確な時計や。 少しずつ、少しつづ最近遅れてきよるから 毎日時刻を修正してから職場に行かないといけない。 時刻の修正が要らないとなると電波時計やけれども たいてい時計はごつい。 いろいろ回っていてもなかなかない。 回るお店がよくないのだろう。 今時、腕時計やったら家電量販店やろう。 ホームセンターの時計というのは どうも安っぽい時計ばかりの集まりや。 SEIKO シティズン、CASIOさえ置いてないとこもある。 ミドリ電器がいいなと思ったので この前行った、小さな店舗ではなくて もっと大きいで広い店舗に小雨の中行ってみたら あるのは壁掛け時計ばかりである。 がっかりやな。 そんなこんなで今度はケーズ電器に 立ち寄ったがここもないな。 時間をつぶして腕時計を探して いったい何をしとるんやろう。 この調子ではいつになったら いい腕時計やら女に巡り合うやろな。 どっちも難しい。 女のヒトを見るときは 左腕の時計を見るようになった。 センスのいい時計をしているヒトには 声かけたくなる。 どこで買ったんや? ほんと世の中のヒトは どこで腕時計を買うんやろか。 |
なんでこない忙しいのか。 三日も休んで会社やらかか。 午前中は忙しくなかけんど 午後からはとたんに忙しくなって 大丈夫かいな終わるかいなと思ったら なんとか終わったけんど。 注文が多い料理店という 宮沢賢治の小説はあったけれども 注文が多いのはなんでやろか。 ネットでの注文が多いようだ。 在庫があれば即出荷であるから 便利やろうな。 打ち込まれる存在やから そこで働いて右往左往して ネズミみたいに動いているのは わしらや。 今日、朝、会社に行く前に アマゾンで買物をしよと思って 結局やっぱ現物を見てから注文をしようと 思ってやめたんやけれども 今日、たった今、在庫を見たら もう在庫はないし 最低価格でもない。 休みの間に世間のヒトは 最低価格のところに注文をするんやな。 売り切れなんや。 たぶん世の中のヒトは暇やから パソコンで買物しとるんや。 横着にもわざわざ店舗にも行かんでな。 そういうわけで自分とこの会社も 忙しいわけである。 まあ明日からまた休みに入るわけで 自分も最低価格のところを検索して 明日は店舗に行ってみようかなと 思うとる。 難波なんか行ったこともない。 大阪も広いし 自分が住んでおるところでも 都会やなと思うとに これ以上に都会っちゅうというと どげんところやろか。 だいたいこの辺りの 家電量販店でも どえらい広いし 博多のヨドバシカメラなみである。 けれどな 自分が欲しいもんは 置いてないので しょうもないけれども。 さっき寄ったのは ケーズ電器とミドリやったけれど 置いてないんや。 まあ、明日は迷子にならんように せないかん。 大阪って広かけん いっちょんわからんと。 まあせっかく大阪に来とるんやし 難波とかいうところに 行ってみっか。 難波ってなんて読むんやろ。 なにわ? なんば? どっちやろうか。 そのくらいなんも知らんと。 いまだに河内弁に違和感や。 勝新太郎の映画で河内の言葉を 使ったとったけれど まさにその地や。 明日は忙しいは。 朝は5時半起きや。 寝るで。 ほなさいなら。 |
「なんば」に行ってみた。 なんちゅう大都会や。 行ってみてびっくりやけれど そこに行くまでが大変や。 初めてのおつかいみたいや 自分は何しに行ったかというと 深夜バスに乗って帰省するためや。 それと電器屋でインターネットカメラを買うためや。 「なんば」まで行きたいんですけれどと駅員に 蚊のなくような小さな声で言うと 「なんば」は近鉄もありますしJRも ありますとこきやがる。 こっちにとっては見知らぬ土地なんや。 それも32番出口や。 32箇所も出口があるんや。 電車に乗って乗り換えや。 皆が行き寄る方向に歩いていくと どうも違う。 駅員に聞いてみると なんやら四ツ橋線はずーっと 歩いていかんということや。 なんばウオークというところを 歩いていく。 なにやらゴッホの絵やらルノワールの絵やら 油絵が地下街の両端にかかっとる。 盗まれたらどげんするとかいなと思ったら あとで看板みたらあれは複製やと。 やっぱ大阪や。 びっくりさせるのが好きなんや。 大阪は座るところはない。 なんばウォークはベンチなんかない。 休ませず歩けということやんろ。 それかお店に入ってお金を遣えということなんや。 きらびやかな都会や。 このあたりの女子はファッション雑誌から 抜けてきたというような美形の女子ばかりやな。 なんばウォークというのを抜けていくと 長い長いトンネルというのか通路や。 このあたりは盗人が多いんで注意という アナウンサが鳴っておる。 なるほど壁には非常の際には 「いたずらに非常ベルは鳴らさないでください。」とある。 「いたずらで、非常ベルは鳴らさないでください。」となら わかるんやけれど。 むやみに鳴らすなという意味なんやろ。 |
育った街に帰ってきた思う。 若者だらけでこいつらは何者やと思う わけわからん奴だらけやな。 将来があるやろうから まじめに勉学に励んでいるような 感じはせずにファッションを磨いて ナンパにせいをだすような ドンキホーテに出入りしているよな やつばかりやなと感じる。 都会の特徴なのか消費生活に忙しく 仕事はサービス業というのか モノを創ったりするよりも 販売業というのか接客業というのか 水商売というのかそんなこんなで ビルの中で働いているようなヒトばかり のように見える。 見た目は大事やからファッションセンスにたけて 小学生はまだしも中学生になったら すでに大人と変わらんような ファッションセンスを身につけるのやろうか。 も一つのこちらの街の特徴は 教育水準というのか とりあえず都会の中で生き抜いていくには 技能労働者になるわけではなく 知的労働者になるためには ペーパーテストに強くないといけなのか やたらに塾が繁盛しているということだ。 要するに大学までいって会社員になるということだ。 会社に入るために結果として 大学に行くというのか、目的がないというのか 何になっていいのかわからないということだ。 そんな中途半端な人々というのか そういう人々たちが多い街というように 帰ってきて感じている。 あと数日間滞在してまた帰るのであるけれど こちらは商業主体やな。 工業というのか モノ創りやら工場というは 見当たらない。 労働者というよりも 汗をかかない職業の人たちが多いという感じである。 農業は皆無であるし 観光地あるわけでもないし とにかくこの街は街並みの変化が 大きい。 たった三ヶ月離れて帰ってきたら お店の移り変わりようである。 入れ替わり立ち変りお店の 新旧が激しくもはや 住むヒトもどんなヒトが住んでいるのか わからない。 そんなこんなであと滞在は 二日である。 自分も移動する移民やなと。 |
なんでこんなに可愛い子が多いのかいな。 こちらに帰ってきて思う。 なんでこんなにタクシーが多いのかいな。 こちらに帰ってきて思う。 街を歩いてみれば産業は 第三次産業である。 飲食店やら販売業やらのサービス業である。 そういうところでは 可愛い子は小さい頃からそういう職業に 自然になれるように進化してきたのだろう。 街に立ってティッシュ配ったりチラシを 配っているコも普通に可愛いのである。 タクシーは多すぎである。 歓楽街というのか飲み屋は街にざらに あるけれどもそれでも多すぎる。 過当競争ではないかいな。 客がそんなに多いとは思えないのであるが。 こんなにも街に普通に可愛い女の子がいれば 中には芸能界に行くコもいるだろう。 なんだかAKBの二番煎じのような 娘っこクラブをこの地で作るようである。 たしかにここに作れば普通に可愛い子は 見つかるだろう。 最近では浜崎あゆみやら 古くは小柳ルミコやら そういう芸能人になるような 土地柄というのかそうい下地があるのだろうか。 そういう事は住んでいれば考えないけれども 一度、その土地を離れて他のところに 住んでみたらそういうところを 感じてしまうのである。 ようするに遊び人の街なのだろうか。 歓楽街が近くにあって エンターテイメントを輩出するような 土地なのだろうか。 パチンコ屋さんも多いし 開店前から店の前で たむろをしている人々は 働いてお金を稼ぐというよりも 一攫千金で金を稼ごうと思うのだから。 そういう土地なんだろう。 歩いてみて街がどんどん変化していく。 お店の入れ替わりである。 新しいビルが建っているものの よく見れば空屋も多いし 不動産屋の看板を見れば 賃貸しの値段も下落も甚だしい。 デフレというが家賃の下がりよう。 タクシーも多いが 空き室の多い。 |
短い滞在もあとわずかである。 あと出発まで3時間を切ってしまった。 また移動である。 数ヶ月の間に街は変化している。 知っているヒトも少ない。 全国ばらばらに散ってしまったのだろう。 仕事があれば残りたいのであるが 仕事がなければ生活は出来ないから仕方がない。 全国どこに行っても最初は知らない土地で あとは年月が解決してくれるだろう。 移動の手段はバスである。 深夜バスである。 9時に出て翌朝の7時過ぎには大阪に到着である。 自宅に帰り着くにはたぶん8時過ぎだろう。 バスの移動というのは初めてであったが 安いだけである。 3時間ごとのトイレ休憩では 目が覚めてしまうし ぐっすりと寝れるわけではない。 うつらうつらとして寝られないし 隣のヒトがどんなヒトかもわからない。 静かにしてくれるヒトはたいていはいないし ウオークマンのカシャカシャ音やら お菓子を食べるための包み紙を開く音やら 音はとても気になるのである。 今回は耳栓を準備してみた。 100均の耳栓である。はたして効果はあるのか。 途中のパーキングエリアに着いたら 軽めの体操をしておかないと エコノミー症候群になりそうであるし 安いのはいいけれども寝れそうで 寝れないのが深夜バスである。 お客はだいたいは若い20代が中心であるし カップルも多い。 さすがに子供を連れた夫婦や 老人は見かけないけれども それでも60歳前後かなと思えるヒトもいる。 新幹線の半額以下の予算でいけるけれども 歳をとったら時間があれば 船旅とかいいかな。 陸の高速道路の移動となると 振動もある。 せっかく帰ってきたけれども 感傷にふけってはいけない。 たぶんヒトの自由な移動というのが 経済のダイナミズムを創っているのかもしれないから。 地元でずっと暮らしていけるわけではない。 仕事があればいいが 地方公務員やら自営業で地元に密着してない 会社員を選んでしまったわけで 転勤というのはつきものなのだ。 転勤だけではなくて 小学校、中学校、高校、大学と 環境が変わっていくあいだに もう友達は出会っては別れていく。 会社でもそうであって 出会ってはまた別れというのは ヒトの移動が激しい。 こちらに帰ってきて偶然であるが もう25年くらい会ってもいない 女性を偶然こちらの地元で見た。 そうかこちらで暮らしているのか。 むこうは自分には気がつきもしない。 横には旦那さんらしきヒトがいた。 25年前も一言も喋ったことはないが こちらはよく覚えている。 名前は忘れているが顔は覚えている。 そんな存在であるが 地元に帰ってきて知った存在に出会うと 実家の近くで生活してたんだな。 すれ違っていたんだ。 自営業でなければ もう学校時代のヒトはどうなっているのか まったくわからない。 そういうふうに個人個人は みんなバラバラの存在である。 隣のヒトが誰かも知らないし 地域社会というのはないし そういう社会なんで 一生のヒトと知り合うというのも簡単なようで 難しい。 ココもそんな感じかもしれない。 お気に入りのヒトが ある日突然、会員でなくなっている。 そんなこともある。 お気に入りということではなくて たんにこっちが知っているだけの 遠い存在なんであるけれども。 移動の自由で縛られない社会というけれども それだけ縁遠い社会なんだな。 |