50代は難しい年という話はしたけど。 もちろん、幸せそうなのほほんとした50代の人もいるんだとは思いますが。いろんな、もやもやが出る年だと思うんです。 肉体的にもいろいろ言われてますが。 身近に50代は、人が変わったようになった人が何人かいるので、で、その誤解をそのまま持ち続けたらいけないな、とも思いました。 60代になったら、また、別の人のようになる場合もあるので、その人が50代のときにいろいろ言われたとしても、時がすぎたら許して受け入れてあげなさいって、友達から言われたのだけど。 その友達の母親も何かあったらしい。 とにかく、昨日も50代の人と三人ぐらいネットで会ったのだけど、 ひとりは、学校教師で、上から目線で怒ってきてびっくりした。 もうひとりは、何か、私を嫌いな若い女性と間違えたらしくて、いろいろ、ねちねち言われてしまった。 もうひとりの50代の人は、問題がないのだけど、言葉たらずで、若い女性を傷つけていた。本人はそれに気づいていないようだったけど。 そうやって、何かしら、言葉がすべって人を傷つけたりも、私も、最近そろそろ自覚もある。 いろいろ見て、前のこととかも考えて、私も気をつけても、それでも、荒れた50代になってしまいそう。 たづなをきゅっと引き締めたい。 年配女性になると、若い女性が苦手、もしくは嫌いな人が数人いるようだけど、これもちょっと心配。 私は、若い女性がけっこう好きで、仲良くしていたのだけど、最近、そういう、女性嫌いの女性の気持ちがちっとわかるような気もしてきた。 ある日、突然、ふっと変わった。やっぱり、体内的なもののようだ。 ある日、父親がふっと嫌いになる思春期の女性、みたいな感じで、体調や女性ホルモンの変化でなるような気がする。 産み、と、関係ある気がする。 私はだいたい、女系で、女嫌いな年配の女性たちに囲まれてきたので、しゅんとしたり、かしこまったりするのに慣れていたのだけど。 そういうのも生理的なもので、しかたなかったのかなーと、理解ができるような年になってきた。 とはいえ、私は、まだまだ、若い女性が好きだと思うが。 それから、その体調の変化とともに、苦手だった、若い男性と話すのが、平気、から、好きに変化。 これも、年配の女性は若い男の子好き、とか、言われたりするけど、 それも、生理的変化と関係ある気がする。 全く、嫌いだったので。ちょっと前まで。 よかった面もあって、これからは若い人ばかりになるわけで、年よりはどんどん死んでいく。以前のように、お年寄りにだけ受けていたら、この先友達ひとりいなくなるなーと思っていたので。で、若い人が平気になったのはよかった。 もしなれたら、職場で人気者のおもしろいおばちゃんがいたのだけど、そういうふうになれたらいいのにね・・・。 昔、若い人が多い職場で、けっこう、ポジション的にいじられキャラだったのだけど、当時はそういうの苦手で、おどおどしたり、慌てたりで、そこも、かわいらしかったのかもしれないけど・・・。 宮沢賢治みたいに、笑われても笑っていられるようになれたらいいんだけど。 しかし、存在自体が怖い存在の年配女性・・・。 バカにされなくなかったのはよかったけど。 笑っているように見えてもそうでないのが見えちゃうし。 まーいいか。 昨日、20代から30代ぐらいの都会の孤独な男性とも話していたのだけど、ひとりでできる遊び、釣り、とかがいいとか言っていて、ひとりでめんどくさい家族を持たずにこれからもお金をひとりじめして生きていく楽しさを語っていた・・・。 そういう人もいるのねー。 しかし、都会だったら、確かにいろんな楽しみが用意されているけど、田舎でひとりは寂しいよ、と言っても、どうも田舎を知らないみたいで理解不能だったようだ。 ただ、都会へ出たら、そういうおひとりさまの楽しみもそろっているのかと希望は持てた。 都会はひとりでも寂しくない、とは、聞いていたし。 また、ひとりでも、誰も邪魔しない、というか、周囲がいろいろあれをせよ、これをせよ、ボランティアせよと言ってこないようだ。 楽でいいね。 思ったとおり、都会へ行くと楽しいようだ。ちょこっと行って、 でも、年を取るとやっぱり、いろいろ地域にかかわりたいので、また、戻ってできるんだったらいろいろ人を助けたりしたい。 逆に、お荷物になるかどうか。 そうやって、田舎の人は、一定期間都会で遊んで、で、帰って何もなかったかのように構成員に戻る。 それを見て、なるほど、そうするのかと、遅まきながら出かけてきます。自力で。 その都会の若い男性は、やっぱり、親の老後とか自分の老後とか何も考えていなくて、親は親でなんとかするでしょう、と、言っていた。必死に生きていってるから、それどころでない、みたいな。 必死に生きているけど、ラジコンで遊んでいるようだ。 自分が育てられたぶんだけ、返したほうがいいとは思う。 15歳まで育ててくれたら、15年は介護したらいい。 親が飛び出して、誰にも育てられなかったら、見なくてもいいかも。 私は、けっこーいろいろ親の足をひっぱって、怒られてきたので、お返しも長かったかな。やっぱりいろいろ帰って来るね。 今、子育てしている人も、子供にしただけ、将来、子供は返してくれると思う。子供がいない人は誰も返してくれないし、ラジコンで遊んでいるしかない。 でも、別に選んだわけでなく、選ばれなかっただけだし、しかたないわ。 遊んでいても、独身者のせいじゃないと思うよ・・・。 しかたなく、辛く、がんばって遊んでいるのです・・・。 さて、腱鞘炎でできなくなった趣味を、何に変えるか、そろそろ考えないとな。 いろいろ聞いたので、何か思いつきそうだ。 近場の美術館めぐりや、ラーメン食べ歩きとか・・・。 西洋館の歴史や写真を撮るとか。 手も目もさほど使わなくて、運動にもなるし、よさそうな。 それに、ブログに発表できそうだし。 そうそうあと、本の話になったのだけど、本や音楽をすっかりいろいろ忘れていて、しばらく親のことでいろいろ、非現実的なことから離れていたので、ブランクがある。また、元に戻すのは大変だ。 それを、バカにする、本好きや、知識人とやらがいて困るけど・・・。 私も若い頃本ばっかりで、そのときの私、嫌味だったのかしら・・・。 アホ女だったら、アホ男が喜ぶのだろうけどね。 うーむ。けっこうドジで、アホなとこも多いのだけど、一方で、ものすごく勉強したというのもあるので、そのギャップが、嫌われることがたまにあります。 アホでいる人は利口だとか言うけど、でも、うそばっかしついていられないしね・・・。 最初から驚かれないように、知的キャラでいたほうがいいのかしら。 それも長続きしなさそうだし。 |