このあいだ、介護を16年やったという人がいたので友達になってみたのだけど、あっという間に破綻した。 けっこう、自分と同じような立場の人のほうがもめやすく、全く違う人間のほうがやりやすいのかも。 やっぱり、介護問題となると私もひとこと言いたいし、そうなると、どっちが上とかいう話になってしまって感覚が違うともめちゃうのかも。 とにかく介護とか、大変な話だから、そういう話は信頼できる長年の友達以外には話さないほうがいいかもしれない。 何にしても、福祉関係の話はもめがちだ。特にいっしょうけんめいやっている人ほど、やっぱりひとこといい勝ちだしね。 そのとき、私がかちんときたことは、 亡くなった親を私がまだ、考えたり思っていることに関してだ。 なんか、それに関して、あきれた。私は親のことは、慣れちゃって、無感覚になっているの、ということだったけど、 その人の親はまだ、施設にいて生きているらしい。その感覚の違いもあるだろうけど。たぶん、死んだとしても、16年も介護したあげくだと、満足して、あまり、後悔したり考えたりしないと聞いたこともある。 だからといって、人のことばかいにしていい話ではないと思う。 福祉や介護をがんばっている人の中に、がんばるあまり、他の人をばかにする人がいるのは間違いない。 昨日、広島の被爆者の話が強烈だったので、夢の中で、近くで原爆が爆発して、逃げる、という夢をみた。 その人も、いまだに、死んだ弟や妹のことを深くもうしわけないと考えていると聞いて、やっぱりそういう人もいるんだと思う。 私も、同じように、後悔や申し訳ないと思っているのだけど、 やっぱり、人には言わないけど、それなりにそのときにいろいろなことがあって、それを聞いたらああ、と、思われるけど簡単には言わないことがある。 何かあるなと察して、聞かずに理解する、というのも必要なのではないかと思う。 そういう私も、表面だけ聞いて、いろいろ違った理解をすることもあるとは思うけど。 そのとき、相手が傷ついたり、何かのしぐさを見せたら、あ、何かあったな、しまったと思えるのは、やっぱり、ネットとかでは無理だ。 やはり、ネットでは、軽い話しかなかなかできないのだと思う。 とにかく、介護問題に関しては、私はいろんな思いがあって、それらを現実的に行動していくということを、いっぺんには無理でも、少しずつやらないと、生きていけないのだから、 私はやるしかない。 ずっとその周辺に近寄ったり、ときには休んだりしていくことが、すっかり刻まれたライフワークになっているので。 それこそ16年介護した人とかは、案外、逆に満足、あるいは嫌になって、二度と近寄らないのかもしれないし、また、いつか戻っていくのかもしれないし。 ただ、私は、まだ、足りないという思いが残っていて、もっともっとというこの思いを、他の誰かの役にたちたいという思いに変えていけたらいいのにと思うのだが。 そうは簡単にいかないだろうけど。 まず、生きて行かないといけないし、また、自分自身もいろいろ体も本調子でないし。 ただ、すこし現実的になってみると、ぐんぐん体の調子がよくなってきた。 |