昨日帰って来ましたが正直被災地の方には申しわけなく…行ったが本当に申しわけなかった気持ちが終始変わらなかった…。 実際日本人は少なくてなんか元気がなかった。 向こうではかなり話題になっていた…。 帰りの飛行機でやっぱり来ないほうがよかったなぁと考えながら帰ってきました、せめて今年は自粛するべきだった…。 |
先日甥っ子が中学に入学した。が東北の被災地の方のことを想うと…胸が痛い。自分の時もそうだが中学の入学式の時どれだけ楽しみにしていたことか…。 東北の被災地の方の中で中学の入学式にどれだけ夢を膨らました子供さんがいたと思えば胸が痛い…。 格好付けているわけではない。 自然な気持ちだ。 じゃあお前に何が出来る? 本当に何も出来ない。 昔しなんかあった時 『物をたつ』って… あった。 祈りを込めてタバコを止めよう。 せめてもの自分の祈りを込めてタバコを一生止めてみる。 今はそれしかない…。 |
考えてみたら…韓国人でありながら日本で生まれ育ったので当然日本の教育を受けた…。しかし20年くらい前に韓国に留学しました。(2年弱) その時から韓国に生まれ育っていればどれだけ楽だったのか、とか考えていた…。 難しいんだけれど、移民っていう感覚などなく…朝鮮人っていう感じもないが、 運命的に朝鮮人として日本に住んでいるっていう感じ。 留学してから正直外からの日本がよく見えた、てか韓国から見た日本だ。 正直自分が韓国人だから韓国人よりの考えになる。 例えば、昔しの不幸な原因を作った国で暮らしているのが考えられないとか、在日が日本で生活していけるのかとか~。 日本人に殺されないのかとかだ。 続 |
1の最後のほうの言葉は留学中にお世話になった先生が言った文言だ…。 それを聞いた時、自分なりに日本人じゃない自分が日本の教育を受けた…。しかし日本の教育って別に普通だった。 だが差別やら朝鮮人が日本の学校へ通ったり日本人の先生が朝鮮人を教育することが韓国では珍しく写ったんだろう。 逆にいうと日本人が韓国で教育を受け軍隊に行き、国旗も韓国で、言葉もハングルで。 家に帰るとおばあちゃんがみそ汁を飲んで日本語を喋り。 影で日本人…日本人…と差別される。 日本に帰っても日本語が出来ないし、韓国での基盤があるので当然韓国での生活をしていかなけばならない。 |
ゴールデンを利用して韓国に行ってきた。 おじいちゃん、おばあちゃんが韓国に帰らなかった意味が本当に判った。 久しぶりの韓国だった。 残念だが韓国は日本を追い越すことは無理だろう。 やっぱりって感じだった。国民性なのか? 冷静に感じたことだが、建物はガタガタであり小屋、空気は悪く、タクシーやバスも昭和50年代の汚い物ばかりで道もガタガタだ…。田舎に行けばもっと最悪だ…。 食堂だって日本みたいにあらゆるものがなく、汚い何屋か分からない同じような店ばかりで、車も日本車に足元もよらない汚い車ばかりだ。 どうしてなんだろう? 本当に日本に生まれ育ってよかったと思う。 日本に帰って日本の便利さ綺麗さ日本人のマナーに本当に在日でよかったとつくづく思った。 留学してた時のことが甦ってきた。 仲良くなると必ず利用してくる。いわゆる悪い金目当ての人間が多く、信用出来ない。 便利さ速さ清潔さは日本は世界一だと思う。 逆にいうと韓国は世界最低レベルだろう。 |
日本で辛い時、韓国よりましだと思うようにしている。 何が。 うん、韓国のほうが貧しいから~かも。 国民の生活もしきたりも文化もさまざま日本が便利だし、娯楽も多くてってて感じかな。 でも…前にも触れたけど、味噌チゲやキムチの匂いがするこの国にロックは無縁だと思った。 清々演歌だろう。 しかし、子供の日にある大きな公園に行った時、イベントで子供が沢山いて、出店やら人の表情やら出店の商品やら見た時、出店は安そうな一口カステラのような物や、古い子供のおもちゃやら…。 かなり日本と違うレトロさというか… 表現しにくいが 幸せそうに見えた。 いや楽しかった。 その時思ったのは、日本人が失った幸せがこの人たちには確かにあったように思えた。 日本って無駄な幸せが多いかも知れない。 いや金のかけ過ぎが正解かも知れない。 一口カステラを紙コップに入れて日本円で約20円ぐらいで必死に売っている。 確かに綺麗に越したことはない…だけど 凄く幸せそうに見えた。子供ってどこの国でも本当に可愛い。 国民性だから仕方ないかも知れないが、幸せと金のかからない工夫は韓国のほうが上手いと思った。 |
正直おじいちゃんはインテリだった。 しかし気はキツイタイプだった。 いつも本を読んでた…。 医者だった。 おばあちゃんは看護婦だった。 小さい頃苦い思い出がある…。 耳鼻科だったため定期てきに鼻や耳や喉を兄弟全員検診させられていた。 今まならなんともないが、小さい頃喉を検診させられた時に たまたまへんとう腺が腫れてて、おまけに膿が溜まってたのだ。 麻酔を喉の中に打つのだが究極に痛い…。 動かないように母が抱っこしたまま、後は延々と膿を絞り出すのだけれど、まさに究極の激痛だった。 やさしいおばあちゃんはおじいちゃん…に、もういいやん、って、でも…キツイおじいちゃんは、泣きながら苦しむ自分をよそともせず続行。 未だへんとう腺が弱い自分である…。 しかし無事終了、点滴。 多分孫なので完璧に診察したかったのだろう。 気がキツイって本当にこの日からそう思った。 だからおじいちゃんには兄弟全員あまり近づいていかなかった思い出がある…。 昭和25年に耳鼻科を開業医したおじいちゃん…。 無口だった。 10歳で日本に来たおじいちゃん子供が6人。 必ず通知表を見せなければならなかった教科書もたまに声を出して読まされた…。 酒は弱く、プロレス観戦が好きで夕食は必ずテーブルの真ん中でおじいちゃんより早く食べれなかった。 まさに戦前の人って感じでした…。 |
先日TSUTAYAで借りてきた映画 クロッシングっていうDVD、タイトルは多分そうだったと思う。 北を背景に韓国で作られた哀しい物語の映画だ…。 簡単に説明すると主人公の妻が結核にかかり薬が無く、子供と妻を残して中国に命がけで薬を仕入れて戻るっていう目的だった。 が妻は主人公が行ってから身体が弱り食べ物が無く他界した。残された一人息子は(小学生)主人公を追って中国の国境付近で捕まり、強制収容される。 結論からいうと息子も他界する。 実に北そのままの映像だし本当によく作られていた…。 泣いた。 日本だったら直ぐに治るのに。 食べ物だって、自由だって想像を絶する。 北だけではないことも理解している。 神様は本当にいるのかなぁ。 食べ物は多少あるのだが日本に置き換えると、うどん一杯2万円ぐらいするかも知れない。 到底普通の人が普通に食べ物を食べれないのだろ。 この映画で思った。 無駄なことをせず、寄付を趣味にすれば気持ちが少しは楽になるかも…。 北の人のことを思えば自分の愚痴や虚しさや嘆きなんて…今回の東北の乞食の人もそうだが。 上を向いて歩かないとバチが当たってしまう。 |
日本と韓国を行ききしてた時期があった。 朝目覚めた時に今どっちにいるか…、韓国なのか日本なのか 1~2分布団の中で、どっち? みたいな現象がたたあった。 週末は日本で平日は韓国でとかではなく。 週に多い時には2~3回行ききしていた…。 日本ならこうなのにとか、例えば日本とよく似ているが故に 日本とダブってみてしまうところやら、 日本にいれば韓国ならこうなのにとか… どっちつかずみたいなのでおかしなジレンマみたいなのになった記憶がある…。 言葉も日本にいるのにハングルが出たり、どっち?がどっち?だ…。 でも日本に生まれ育って日本の重さには勝てない。 過去をたどれないからだ。 例えば、韓国にも日本にも歴史があるが 日本の芸能人なんかの歴史は分かるが韓国の芸能人の歴史は分からない…。 それをたどっていく根気がないし、しんどい。 松田聖子をテレビで観ても松田聖子の歴史は分かるが、韓国で観るテレビでこの女優さんの名前は分かるが歴史が分からない。 要するに過去があまり分からないのだ。 確かに名前やら生年月日やらは覚えれるが人物や物の歴史を 分かるのは日本だけだ。 当たり前。 その違いかな。 |
信用出来るのか…? 信用面においては日本が断トツかな。 残念だが韓国は信用性に欠ける。 中国はそれより衰えるだろう。 人間性なのか? 叔父から聞いた話しだが日本は島国だから他国の人間があまり来ないが 朝鮮は陸つながりになっているから、騙してなんぼ。 要するに他国の人間が、いつ攻めてくるか分からないのだ、だから騙してでも生き伸びたい。 何回もいう祖父母達が韓国に帰って骨を埋めたいと…言はなかった意味が本当に判った。 何故あんなインチキな国に帰らなければならないが正解だったのだろう。 過去の姿が今の自分の姿だとよくいうが、過去の行いがいいから今の日本は伸びたのかも、だとしたら今の日本も一人一人が頑張っていけば未来が良くなってると思う。 |