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『さあ/\しいかりと聞かねば分からん。道の道なら幾重の道もあり、小人の身の障りなる処は、あちらへも行きこちらへも行きて、勤める処の定めなれど、内なる処判然として、道が付いてあるようで、判然とせず、判然せぬようで、道が付いてあるのやで。さあこうしたなれど、これではと思う心で居ては、道のために心を尽した事が薄く成る。そこで、一寸出越した処は、五十年の道すがらに幾重の道もあり、又出越した処の談示も、いろ/\に談示々々あり、又刻限話、聞かさにゃならん事もあり、そこで、世界には判然として立派なるものがありて、あれは判然たるものと言うて居れども、もう暫くの間には、さあ/\内なる処、判然としてあるようで判然でなしと、思うて居るなれど、判然でない立派でない処より、判然として。今までに判然たるで、偉い者があんなで、偉い者が何にもならんと言うように、こゝ暫くの間に成る程に。そこで、これを聞かして置かねばならん。どんな談示もある。なれど、五十年の道すがらの事を聞いて、心定めて、どんな談示もせえとも言わん、す なとも言わん。これを聞かして置かねばならんで。』(M20.09.06 おさしづ〔神様のお言葉〕) 皆様、おはようございます!!(o^O^o) 今日も1日よろしくお願いします!!m(__)m ひろ |
Bible.Romans(ローマ人への手紙)8:15 JLB そこで私たちは、奴隷のように、いつもびくびく恐れる必要はありません。 神様の家族の中に、子供としてあたたかく迎え入れられたのですから、実の子供らしくふるまい、神様を「お父さん」と呼ぶべきです。 今日も1日ありがとうございました!!m(__)m 皆様、おやすみなさい!!(+.+)(-.-)(__)..zzZZ ひろ |
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