人を責めるな。自分を責めるな。 何か問題起きた時には、他者のせいにする人で自分は逃げたい。そうやって心の安定をはかる人。 人生がうまくいかないことを社会のせいにしたり、家庭のせいにしたり、挙げ句は義父母のせいに。 こういう人にかかっては悪者はそこら中にいるから、回りも関わるのもオチオチしてられない。 現実をよく見れば、人のせいにしたり、自分を責めたりしないで、流れを掴める。 どん底からの脱出もそれだけ早くなる。 |
「自分のない人」は自分から疲れて行く。 お母さんが本を読んで子供に教育熱心になったり、人の話を聞いて放任主義になったりしたら、子供は戸惑うばかりだ。 こっちが良いと聞けば行列が出来たり、あっちと聞けばわざわざかいもとめたりと意思を持たない。 日本人はそうなんだ。で済ませてしまえば、面倒はない。 しかし、働いてる上司がそうだったら振り回されるだけで迷惑この上ない。 自分を持たない人はそれだけで迷惑が掛かる。「頑固」ではなく「一貫性」のある人間で 居て欲しい。 |
押し付ける人より引き出してくれる人。 なんでも相談にのるよ。と簡単に言う人がいる。金の話しは?宗教の話は?自分の範囲外では無理な事を相談事歓迎する事が出来るのだろうか。 価値観が人それぞれである以上、上手なアドバイスの仕方などない。 自分の考えを押し付けて見ても、マニュアルではない。しかし、どうしたいかを引き出す事はできる。 相手が望むこと、やりたいこと、好きなことを引き出せる話が出来たら好感は持たれるだろう。 |
気持ちがいつも新しい。 自分がして貰って嬉しい事は他人も嬉しいはずと思ってる人がいる。 行為は素晴らしい事なのだが、人には人の生活がある。 普段忙しい人が入院したら、寂しいだろ、退屈だろ、と思い押し掛けるよりそっと時間をあげる。 そんな心使いもお見舞いになる。 その言葉をイヤミと取るか冷たい人と受けるか。 確かに、入院だ。お見舞いだ。と大勢で押し掛けるよりは、メモ一枚で心使いも有るのだなと柔軟性を持つこと。 自分の価値観に固執せず、相手の情報もサラリと受け入れる人って人間関係を上手くやっている人だね。 |
「根にもつ」 いつまでも、同じことに固執してる。愚痴よりも厄介だ。 捨て台詞と言うのがある。ほとんどが負け犬の遠吠えだ。その場で解決しない。出来ないためにその場かぎりにならない人は不幸に思う。 根にもち、解決がなく長く恨み続ける。出来る人はまだ精神的には子供なのだ。 人は人に影響されて磨かれて生きていく。子供は親の保護がなければ生きていけない。 成長するに従い、自分なりの価値観ができ、他人からの影響力が薄くなる。 不幸の種を自分で蒔き自分で育て、不幸を他人(若しくは相手)のせいにしてる人には同情します。 |
落ち込んだ時や辛いとき。人には何が必要だろう。 心伴わない慰めの言葉。傷口舐めあって同情の言葉。 そんなものは、何もならない。少しでも良くしようとする粘り強さか、状況が良くなるまで待つことの忍耐力か。 どちらも、経験して生きてきたが、一番効き目が有ったのは、心軽く笑ってユーモアで生きる事。 顔にシワ作って頑張る人より笑顔で冗談言ってる時が人が助けてくれて解決が早い感じがする。 いつまでもウジウジ悩んでいる人よりは、人に好かれる。 悩んで辛いとき笑わせてくれる友人を「バカにしてる」などと怒っては居ないだろうか。 そうだとしたら、立ち直りは遅いし、好感度も低い。 |
強く言われると叱られたと落ち込む人が居る。相手は注意しただけで嫌った訳じゃないのに、自分は嫌われているからと。 そうなると腫れ物に触るような接し方になるから仕事が進まない。 損得で言えば叱られ下手は損になる。危機感も産まれなければ、仕事の要領も覚えない。 叱られ上手は、反論もしなければ落ち込みもしない。謝った後は気持ちを切り替えて失敗を糧にしてるし、何より素直で前向きだから、好感度が上がる。 すぐに物事を全人格否定したように受け取る相手には頼めないし、何も言えない。また、断れない。 自分で運を捨てるのはやめよう。 |
自分に自信がない人がほとんどだろう。私も自信がない人間の一人だ。だから、いろんなもので武装して生きている。 その自信の無さを劣等感として、ことさら意識し、良くないことがあると、そのせいにしてしまう。 その劣等部分を商品にしてる仕事もあるからなんとも言えないが。 しかし、美人じゃないから、チビだから、顔が悪いから…と卑下してる人は、それが「好かれない」理由になってると分からないのだろうか。 卑屈さは顔に出るから暗い、陰気なオーラを纏ってるから、敬遠される。 街歩いたら声を掛けられる様になれば、雰囲気を纏ってるから女性からも男性からも人気がある。 |
ある会社の社長が言っていた。優しい人、甘えさせてくれる人は沢山いる。探さなくてもいる。 しっかりした人が居ないのだ。 頼りになる人は甘えさせてくれる人ではない。過保護のお母さんの様に甘えさせてくれるのが社会ではない。 波風、嵐をちゃんと乗り越えて行ける。その船を岸まで漕ぎ誰一人遭難者を出さない人は居ないのだ。 犠牲者も出るだろぅ、 相手が歩く道を黙って見守り、転んだら手を貸す。大の大人の関係はそれでいい。 それ以上のベタベタした関係はいずれ重荷になり辛くなる。 優しいだけは社会を乗り越えるには、力が無さすぎないか。 |
人間関係の本は溢れるほど出ている。その本の多くに書かれている。気持ちをわかってあげなさい。辛さを想像してあげなさい。 なるほど、正論である。しかし、本当にわかってあげることは出来ない。つもりにしかなれない。 私は、他人の辛さを共有は出来ない。どんなに苦しいかなど想像つかないから。 でも、このくらいの苦しみかなとわかったつもりで何もせず落ち着く迄隣で黙って見守ってあげることは出来ると思う。 笑顔に戻るまで心の側に居てあげるだけしか出来ない。 |