冬の空は高くて、遠くて。 とてもきれい。 帰り道で、見上げた空に、星座が優しく光っていて。 家へ続くライトのよう。 この空は続いている。 今日出会った人と。 これから出会う人にも。 ずっと、ずっと続いている。 |
ものごとには はじまり があって おわりがある はじまりには勇気を持って 飛び込もう おしまいの日には潔く 決断をしよう はじまりがあるから おわりがくる 恐れずに 前へ進もう |
言葉には温度がない。 ただの文字の羅列にすぎない。 ひとつひとつの言葉には、意味があって、使われ方ひとつで、読まれ方ひとつで。 変わってしまう万華鏡のようなものでもある。 言葉は用い方によっては、凶器にも、お守りにもなる。 たとえ、言葉が本心からのものでなかったとしても。 その言葉を真実だと信じれば、真実にもなる。 自分がそうだと感じることで、言葉は意味や力を持つのだ。 言葉の力を信じない人は、言葉に惑わされたり、溺れることがないけれど。 救われることも、決してない。 魔法の言葉をどれだけ好きな人に贈れるか? 相手を想う気持ちがあれば、自然に言葉はあふれてくるはず。 言葉の力は信じるひとにだけ、届くのだ。 |
わたしにはわたしの恋愛観があり、大事にするものがある。 好きな人の前では、可愛くありたいし、「きれいだね」って言われたいし。 女として認められたいと思う。 好きな人には、いつも男前でいて欲しいし、清潔感のあるかっこいい人であって欲しい。 それは外見の見た目の、顔の造作が整ってるとかではなくて、男性としての生き様みたいなものが、顔にきちんとあるってことが大事。 清潔感は男女ともに必要だし、常に自分を磨く努力はしなくちゃいけないと思う。 わたしは好きな人に求めるものが多いのだろうか? 好きって、いつも言って欲しいし、愛情は言葉と態度で示して欲しい。 自分も相手には同じように気持ちを贈りたいし。 それが重く感じる人もいるかもしれないけど。 いくら好きあっていても、何年付き合っていても、いつも、いつでも「好き」とか、愛情表現は目に見える形で、してもらいたい。 求めるものが多いのかな? めんどくさいって、思われるタイプであるのは、他ならぬ自分自身がよくわかってる。 けれど。 恋愛観は曲げられない。 同じ価値観じゃなきゃ、一緒には歩けない。 大事なことや大事なものは、目に見えない。見えないからこそ、表現する必要があると思う。 |
わかってくれるでしょう? とか。 態度で示してるから、いいだろう…だとか。 何も言わなくても、大丈夫だって思うのは、とてもデンジャラス。 自分はわかっていて当たり前だけど、相手には届いてないことだってあるわけで。 いかに態度で表してみても。届いてないことはある。 示してみせたものを受けるアンテナの感度は人によって違うのだし。 何も言わなくてもわかるはずーとか、態度で示してるからじゅうぶんでしょ?ーみたいな思い込みは、独り善がりにすぎないから、気をつけないといけない。 自分と相手は、まったく別の人間なのだから。 理解しあったり、つながるためには、いつでも、くどいくらいに、形を示しておくことも必要だ。 |
早いもので、今日から3月。 陽射しも、気温もあったかくて。 春がぐーんと近づいた感じ。 それはそれで嬉しいのだけれど。 花粉症も本格的にはじまって、軽い頭痛と鼻が出てシンドイのなんのって。 薬が効いている間はいいけれど、薬がきれると、も~大変。 目はしょぼしょぼするし、まいってしまう。 それでも、やっぱり春っていいなぁ~。 |
自分の心だけでも持て余したり、わからなかったりするのに。 自分以外の、たとえば、友達や家族、好きな人や、出会ったばかりの人、好きになりそうな人の言葉の意味なんて、本当にわからない。 自分の言葉には自分が責任を持つ。 それは当たり前のことで。 でも、相手の言葉の真意は受け取る側の感情次第で、どんなふうにも解釈できるもの。 相手の気持ちを正しく受け取れれば問題はないけれど。 そのとき、そのときの気持ちの持ち方ひとつで、ハッピーになったり、毒になったりもする。 言葉だけで気持ちを全て把握することなんて、どだい無理な話だけれど。 それでも、言葉には気持ちがこもるもの。 気持ちのない言葉には意味がないという人もいるけれど。 気持ちがなければ、その言葉自体をハナから使うわけでもなく。 やっぱり、なんらかの意思があって、その言葉を使うわけで。 言葉と心は一本の線でつながっているものだ。 |
こういったネットからの出会いのサイトでは。 メール1つで、出会いがつながったり、終わったりする。 それは本当に簡単なことで。 ただの言葉のやりとりが、ネットの枠を越えて、リアルになったりもする。 リアルになることは、ある意味、奇跡とも言える。 その奇跡を信じていないひともなかにはいて、ちょっと可哀想になったりもする。 ほんの少しの勇気や相手を信じる力を持って、一通、一通のメールを大事にしていくことが必須ではないだろうか? メールに書く言葉も、一生懸命考えて(気負う必要はないのだけれど) 山のように来るメールの一通として、埋もれてしまわないように。 ダイヤモンドの原石として見つけてもらえるよう、どこか、自分だけのオリジナルスパイスを振りかけてみる。 気持ちのこめかた一つ、言葉の選び方一つ。 出会いが奇跡になるか、バーチャルのままで終わるか? 自分次第、相手次第。 |
出会うということは 奇跡 奇跡を信じるか、信じないか? 信じるひとは救われる? 出会えたら その奇跡を信じればいい 信じていれば きっと 出会える |
わかって欲しいことがあっても。 どこまで言っていいのか、いけないのかーが、難しい。 わたしは心を許していくと、いろんなことをダイレクトにぶつけていくもので。 それは自分を知って欲しいからだし、踏み込んでいいよーという合図でもある。 わかって欲しいのは、心。 理解して欲しいのは気持ち。 わがままな要求もあるかもしれないし、無理難題を言うかもしれない。 そんな時は優しく、時には厳しく、甘えさせてくれたり、おおらかに受けとめて欲しい。 わかって欲しい。 いつもそう願って渇望する。 心。 |