仮にもっと若かったとしても、この時代。この街。この空間。で、誰かそういう対象として出会える人など、限られた数しかありません。その中で縁のあった人がいれば、もうその人と暮らそうという気もしています。無論、最低限のある程度の許容範囲はどんな人にもあるでしょうが。誰かを探しているなら、良いところや悪いところも含めて、もうそういう運命だったと思うしかない。人間なのですから、人間的なつながりを大事にしようと思っている人ならそれでいいかなあ。その思いの深さは人によって感覚が違うし、育った環境、育った家庭文化も違うし、経験や価値観も違うし、それは仕方がないことだろうと思うけれど。人間的なつながりを大事に考えている人なら、お互い支えあえる。何か得るものも多いでしょう。 仲の良さそうに見えるご夫婦でも、案外そうでもなかったり。何か問題を抱えている。本人同士の信頼関係だけではなくて、親の介護や子どもの成長や発達や教育、自分達の健康や病気や地域の問題や、まあ自然災害とか、そんなこともあるだろうし、いろんな問題を抱えながら生きているわけです。 阪神大震災の時には、そういうことが表れて来たのでしょうね。心のつながり、家族のつながりとか、それと物質的な価値観の違いとか。そういうところのすれ違いみたいなものも表面に現れた。そんな中で、より信頼関係を築いた人もいるでしょうけど、深い心の傷の中での出来事を背負っている部分もあると思いますね。 これから歳を重ねていけば、そういう問題は必ずもっと多くなる。それが人間の一生であり、人生なのでしょう。そういう「自分の生」生きている間に与えられた試練とか運命を受け入れるしかありません。ちょっと宗教的に聞こえるかもしれませんが、長い人間の歴史の中でも、みんなそうやって生きてきたのでしょう。いつどこでどんな問題が、どんな苦しい、辛い状況が生まれるか分からないし、それを受け入れるというか、体験していくしかありません。天が自分に与えた宿命だ。と思うしかないのでしょう。そういう風に考えないと、誰かと暮らすことはできません。一人で生きていくのも一つの生き方なのかもしれませんが、さらに、人間的に成長していこう、さまざまな体験を誰かと共有しようと思えば、誰かといっしょに生きていくことが必要なようにも思います まあ、二人で暮らしていくメリットもある。光熱費や家賃も半分になる。買い物や食事の準備やいろいろな用事も楽になる。収入も増える。その分、自分のエネルギーを別のことに使える。そういうメリットというかプラス面があるわけです。どんなチームでも人数が一人増えるわけですから、それは戦力が増えるのと同じでしょう。お互いの共通の楽しみを持つことも出来るし、喜びを共有することや支えあうことも出来るでしょう。老後になって身体が動かなくなったり、怪我や病気をしたときとか。そういうことも含めて考えれば、誰かいっしょに暮らしている人がいれば助かる。同居人だけでも助かるでしょう。 |