人は他人がいることで自分を確認することは、皆が知っていること。 では、他人がいなくなって自分だけになったらどうやって自分を確認するだろう。 違う。 他人がいなくなったら自分を確認したいと想わなくなる。 概念がまったく変わるのだ。 では、自分がもしサラリーマンで、もしいきなり他人がいなくなったらどうなるだろうか。 仕事ができる人間である自分は他人がいなくなったらどうするだろう。 まず、電気とかそういった文明の利器がなくなり、また他人がいないのだからお金を稼ぐという行動はなくなる。 じゃあ、どう生きようとするのだろうか。 答えは簡単。 自分を食わせていけばいいのだ。 つまり、生きる力がどれだけ強いかになる。 自分で食物を作り、調理し、そして生きる。 どれだけこういった生きようとする意欲が大事になるといえる。寂しいと想ったらその時点で自我が保てなくなる。 では、他人がいながらも人間関係を築かずに「個」になった人はどうなるだろう。 食物も何もかもあるわけだから「生きる」意味としては別に変わらない。 しかし自分がどうやって「生きる」のかを独りで決める必要がある。 相談や甘えることのできる人がいないのだから。 その時、私はひとつの強さが出てくると想う。 ただ、人とつるむことで自分を保てる人間と、生き方をすでに自分だけで決めた人間とでは明らかに「強さ」が違うと想う。 どっちが強いと想う? 私はもうどっちが強いか自分で決めた。 自分のことも自分で決めたい。 どうせ、死んだら記憶に残らない。 なら 限りある命を強く生きたい。 |