今月、このあと2回ワインの試飲会がある。一つはホテルで行われるもので、ホテルのアスレティックジムの会員の女性にお得な前売りチケットを購入しないかと言われ…、C.O.D.で購入する食べ物が結構良いという噂も耳に入っていたのでこの度初めて参加することにした。 もう一つは、マダムのお店が昨年末から二か月に一度開く予定で始めたワイン会で、この度三回目となる試飲会である。マダムの会は企画段階から相談されていたこともあり、出席しないわけにはいかない。 ところでこの日記のなかに何度も書いてきたが、私はワインの味がよく分からない。また覚えようという気持ちもない。最初の1杯だけは、多少味わってはいるが、3杯目あたりから不味くなければどうでもよくなる。そんな私が、試飲会なんて笑ってしまいそうだが、そこは大人だから一応神妙な顔で飲み続ける。 私の子供の頃に、こっそり飲んだビールに大人の味は渋いものと知った。学生時代には、ホワイトやらレッドやら国産の安価なウィスキーを仲間と毎晩数本空け、大人になったような気になっていた。バブルに向かう頃、社会人になって高級ブランデーに成功者の香りを嗅いだ。その頃巷ではフレンチレストランかホテルのラウンジかクラブ以外、ワインなんて置いている店はなかった。そしてウィスキーとか水で割って飲む酒に比べ、一度栓を抜いたら飲みきらないといけないところが割高なイメージがあった。造られた土地や年や作り手によって値段が微妙に異なり、他の酒に比べて格段謎めいた飲み物だった。 しばらくしてフレンチレストラン全盛の時代に突入し、続いてイタリアンレストラン急増の時代になり、日本国民はみんな欧米の優雅な食卓を経験した。 時代が変わり、ビストロ・バール・トラットリアが街中に生まれ、ワインが手頃な酒になって、日本料理店でも、居酒屋でも姿を見るようになり、ウィスキーやブランデーは好きじゃないけどワインは好きという人種が増えてきた。 時代によって、酒の好みも変わってきたけれど、ワインは豊かな酒だと思う。私のなかで最後に行きつく酒になるだろう。 私はワインが好きである。飲み始めたら一人で1本以上は飲んでしまう。 だが3杯目からは、味が分からなくなる。 私には、味わった酒をいつまでも記憶する能力がない。ただその瞬間を豊かに過ごすために、分からないものにお金を払うことも、人生を楽しく過ごすためには必要なことだと思う。ワインは、私にとっていつまでも謎めいた飲み物でいい。 そんな気持ちで、今月の2回のワイン試飲会を楽しみたい。 |
“最近年のせいで物忘れがひどくなって仕方ありませんは…。”と、私の周囲の人が良く話すようになった。私の周囲の人の年齢が高くなってきたわけだが、自分自身も確かに忘れものがひどくなり、笑ってごまかす回数が増えてきたように思う。 何故記憶力が落ちかたか考えてみると、一般人は頭のなかの記憶に関する回路が学校を卒業した頃から退化し始めるのではないかと推測する。何故退化するかと考えてみると生活のなかで覚えなければいけない事が減少するからでは…と推測する。義務教育で平和に社会生活を営むため、良き平民であるために必要な情報を一方的に覚えさせられ、受験戦争で人生の勝者になるための情報を詰め込んだ後、多くの人はそれまでの記憶ペースを一気に低下させる人生を送りはじめる。 研究者や技術者や政治家や確かな経営者は、そうはいかないだろうが…。 しかもその後、人生の経験を積み重ねることで、持っている情報だけで次に目の前に起こる現象が予測できるようになると、ますます新しい情報を吸収しようとしなくなる。だから急速に記憶の回路が退化する…と考えて良いのではないか。 “年のせいで物忘れがひどくなる。”と言う表現は、間違いではないだろうが、厳密に言うと“記憶回路が退化して物忘れが激しくなった。”と…言うべきだと思う。 記憶力を必要とする生活をする研究者や技術者や政治家や確かな経営者は、年をとっても記憶力は退化しないように思う。 物忘れがひどくなってきた私は、“年齢のせい”にはせずに、これからでも記憶回路の復旧がかなうものと信じ、日々努力しようと誓う。 だけど間に合うかしら…。 他人事のように思っている人…他人事じゃーないよ。老いはあっと言う間にせまってくるよ!今のうちから、努力しとかないと、記憶回路は筋肉と同じで使わないと退化する。長い寝たきりの老後が待ってるよ…なかなか死ねない世の中になってきたんだから…。 |
物事を理解するために人は本を読み、知恵のある人の話を聞き、最近ではネットで検索し、頭の中の知識を増やそうとするけれど、本当に自分の一部になるという体内の場所は頭ではないような気がする。 頭は知識を増やし蓄える場所だということはなんとなく分かる。私がここで言う“本当に自分のものにする”ということの別の言い方を探してみると“腑に落ちる”が近いように思う。 “腑に落ちる”とは内臓に落ちるということで、途中でつかえていたものが流れて、すっきりするという意味なのだろうが、この度の意味は、私的には少し違っていて、鉄の玉が突然体のなかに現れて内臓附近に着地するという感覚だ。 昨日、私に突然“腑に落ちる”感覚が舞い降りた。上下関係が不明確で金銭的利害が一致しないグループの意思統一に関する閃きである。その内容はすでに頭では理解していたつもりで他人にも話していたことだが、明らかに別の次元への扉が開いたような衝撃があった。 この感覚を経験できた私は、同時に自分の考えを他人に伝えることの難しさを思い知った。 だって、この素晴らしい経験さへも他人にどう伝えればいいのかが分からない。おそらくこの日記を読まれた方々も、私が何を言いたいのか、お分かりにならないと思う。 頭で理解していると思っている人は、まだ分かっていない…なんて言う奴が目の前に現れたら、みんな困るだろうし…。 この感覚については、公の場では封印するつもりだ。分かりそうな人に話して反応をみることしようと思う。 その間も、私はさらに別の次元で理解を深めてみようと思う。 |
今晩、マダムのお店で私の誕生会が行われる。…と言っても、今日が私の誕生日ではないし…私だけの誕生会ではないし…謎の京都人の誕生会と…、もう一つ、しばらくの間パリに仕事に行く女性の壮行会を兼ねている。もう一人のメンバーは、1月に同じマダムの店で誕生会をした薔薇のおじさんである。彼は参加しないわけにはいかない。結局総勢4人である。 薔薇のおじさんは、70才を越えてから私と同じ大動脈解離と診断され、昨年前立腺癌の手術を受け、その人柄と良さとこれからの長寿を祈って誕生会のメンバーは揃ったが、その時これから他のメンバーの誕生会もやろう…と言う提案が薔薇のおじさんから出たもので、今日のイベントとあいなった。 イベントと言う見方は、正しいと思う。おそらく一応3人の主賓のうちの誰か一人のために集まろうということになったら、みんな用事を作って、誰も集まらないという結果になりそうだ。 そこのところを見越したマダムが、誕生会と壮行会という名目で人集めをしたに違いない。 なかなかしたたかな作戦だ。これだけ分かりやすく飲み会を企画していただくと、マダムの術中にはめられたと分かっていても参加しないわけにはいかない。 かくして、プレゼント交換なし、ケーキの持ち込みなしで、参加者全員が会費を支払う酒宴が開催されるのである。 ただし、私は今日は酒を飲まない。しっかり自分の健康を考えノンアルコールビールを飲んで車を運転して帰るつもりである。 そう…明日も豚一匹をまるまる食す酒宴があり、これは飲まないわけにはいかない。自分の名前だけ上がっている誕生会は二の次にして、明日に備える。健康管理の行き届いた私である。 |
私には“級友”という人間関係の概念が希薄で、通学した全ての学校の同級生、先輩、後輩、恩師との交流がない。かといって私から避けているわけではない。私から誰かを誘って酒を酌み交わしながら昔の思い出話をしたいという気持ちが湧かないのだ。 こんな話をすると、私が冷徹な人間のように思われるかもしれないが、自分では決してそうではないと思う。 例えば、早朝の散歩の時、親しかった同級生や担任の先生の名前と顔を次々と思い出しながら歩くことがある。こんな形で定期的に子供の頃の記憶を呼び起こしている人はそうはいないだろう。 ただただ、自分からは誰にも会いたいとは思わない。記憶のなかに彼らが存在していればそれ以上は望まない。記憶のなかの彼らはいつまでも少年であり青年であり溌剌とした教師であり続ける。 来月中旬、小学校4年生の担任の先生の傘寿を祝う会がある。 そのことで昨日当時の同級生から35年振りに電話があった。懐かしかった。 小中と同じ学校で親しくしていた彼は、中二の時に鉄砲水で両親を一度に亡くした。以来二人は違う高校に進み、成人して一度だけ、会ったきり…彼とは、ずっとなにか話しそびれたことがあるように思えてならない。 彼に会うため傘寿の会に出席しようと思い“出席”と書いた葉書を投函した。 |
昨日、行きつけの整骨鍼灸に行ったら、昨年9月に結婚した若い先生が、治療しながら、もうすでに結婚生活に亀裂が入りかけていると話しかけてくるものだから…、適当に話を合わせておこうと思い… “私もそんな時期があって、みんなそれを乗り越えるんじゃーないかな…そのうちに二人の間の相違点が普通になって…このまま死ぬまでいっしょにいるんだと思ったときに、私の場合は彼女から離れて行ったけれど…。” “えーっ、そうなですかー” “世間では、結婚したカップルの三分の一は離婚しているらしいしね…世の中なにが起きるか分からんよ…。” また、いつもの落ちを付けてしまった。まぁー新婚生活を勝手に楽しんでくれ… 治療中に私は“幸せですわー”と何度も繰り返した。 帰り際に“患者に幸せです…と言われたらどんな気持ちですか?”と先生に聞いてみた。 “嬉しいですね。幸せって言葉聞いたら幸せが寄ってくるような気がします。” 100点満点の答えが返ってきた。『幸せを呼ぶ10の言葉』なんて本書こうかしら… これから、もっと人の前で“幸せ!”って言おうと思う。 …なんて考えている安易な親爺である。 |
昨日ある若い女性と話す機会があり、調子に乗って、いつも言っている私の人生訓… “幸せはいつまでも続かない。辛いこともいつまでも続かない。何が起こるか分からない。人生何が起こるか分からない。”を…話した。 彼女は、真剣に聞いているようだったので、少し声を大きくして私は続けた。 “幸せかどうかは、自分自身で幸せだと思うか、そうでないかの違いだけ…同じ人生を歩んでも、感じとり方はそれぞれ違う。自分が自分を幸せだと思っていれば、他人に憐れみを受けても余計なお世話だ。そして他人のことを不幸ととやかく言うこともない。同じ人生を生きるなら、幸福をかみしめて生きたほうが楽しいに違いない。不幸だと思って生きてれば不幸がやってくる。今に幸せを感じることができたら、幸せが向かってくる。この宇宙は心の中で自分が宣言したことを実現する仕組みなんだ。” 彼女は私の話に食らいついてきた。そして質問を投げかけた。 “占いを信じますか?” 私は、されに調子にのって答えた。 “私の分かれた妻がある占いの免許皆伝で、いろいろなことを彼女に頼って占いで決めていた時期があり、彼女に重い負担をかけ、その頃は私自身の主体性がなくなっていたように思う。結局彼女が私から離れていった原因の一つにはその重荷があったのかも知れない。私は占いを信じている。それは私の関わる宇宙は未来と現在と過去が同時に存在していて、過去から現在に移動する点が現在だと信じているからで、そう考えると予言とか占いの類はあって当然だと思う。そのうえで私は占いを必要としない。今の私は、これから起こる全ての幸せも辛いことも受け入れられるし、未来を他人から教えられることを望んでいない。このことについて話始めると時間がかかるから、次の機会にしようか…。” 目を輝かせて聞いてくれた彼女はもっと聞きたそうな素振りをしていたけれど、お互い二度と話をする機会のないことを知りながら笑顔で分かれた。 真剣に話した自分自身に少し照れくささを感じつつ、人の好い親爺らしく彼女の幸せを祈った。 |